第13話
カリカリとシャープペンが紙に擦れる音だけが響く。
目の前には女子中学生(可愛い)、そしてここは彼女の部屋で現在完全に密室となっている。
彼女は俺の方を一瞥もしないでひたすらに机に向かう。
なぜなら彼女は受験生だからである。
「高宮さん、質問いいですか?」
「ん?」
「ここなんですけど______」
そう言ってテキストの問題文を白く長い指でなぞる。
「あー、これはだな_____」
「なるほどなるほど、流石高宮さんですね」
問題を咀嚼し、目の前で解いてみせると、彼女からお褒めの言葉を頂いた。
ついこの間の梓による地獄の猛勉強が役に立った瞬間だった。
「やっぱり桜塚に通う人は頭の出来からして違うんですかね」
「葉風さんもその桜塚を狙ってるんだよね?」
「そうでした」
てへっとお茶目にピンク色の舌を出す葉風さん。
そもそもなぜ俺がこんな家庭教師みたいな事をしているのかといえば、例の約束であるバイトのためである。
だからと言って別に俺のバイトは現役女子中学生の家庭教師などでは決してなく、本来の仕事は個人経営の弁当屋『葉風弁当』の手伝いだ。
しかしまあ、こう言ってはなんだけれどこの店は某チェーン店のようにいつ何時でも客が来るような店ではなく、割と暇な時間が多い。
そこで葉風さんの両親、つまりは俺の雇い主である人から直々に、ぜひ現役桜塚生徒である俺にその暇な時間で娘の勉強を見て欲しいと頼まれ、こんな家庭教師の真似事のようなことをしているわけだ。
「世の中何が起こるか分からないもんだな」
「なにがですか?」
「なんでもないから続けて」
「はーい」
そう言って素直に机に向かう葉風さん____フルネームを
今は市立の中学校に通う『葉風弁当』の1人娘だ。
目指す高校は俺と同じ桜塚学園のため、受かれば春から俺の後輩になる。
「そういえば高宮さん」
「なんだ?」
「高宮さんって今彼女とかいますか?」
好奇心丸出しといった風に口元を猫のようにして聞いてくる。
別にここで「関係ない話をするな」と無理矢理話を終わらせることは容易だ。
だが、葉風さんとはこの先何度も顔を合わせることになるわけで、ならばここで俺がするべきは歩み寄った彼女を突っ撥ねることではなく、むしろ積極的にコミュニケーションを取っていくことだ。
そして葉風さんに返す言葉は。
「ノーコメント」
である。
「意外ですね、高宮さん結構モテそうな顔してるのに…あ、分かった。分かっちゃいましたよ?この私の灰色のガン細胞は誤魔化せません!さては過去に彼女がいましたね?」
「…ノーコメント。それとガン細胞じゃなくて脳細胞な?」
ズバリと某少年探偵のようにドヤ顔で人に指をさす葉風さん。
一瞬ギクリとしたが、答えは濁しておいた。
「…細かい男は嫌われますよ?」
「別に誰かに好かれたいわけじゃないからな」
「もぅ、ああ言えばこう言う人ですね」
「こればっかりは性分なものでね。それよりもそう言う葉風さんはどうなんだ?」
「さ、さぁて、勉強勉強!」
すっとぼけるようにわざとらしく言ってペンを握る。
明らかに触れて欲しくなさそうな反応だったため俺も会えて深くは追求しなかった。
再び部屋には時計の針の音とシャープペンの走る音だけが響くようになる。
一瞬でさっきまでのゆるゆるな空気から一変してピンと張り詰めたピアノ線のような空気になる。
葉風さんのこの切り替えの良さは正直に俺もすごいと思う。
それから2時間ほどして葉風さんがテキストを見つめたまま口を開いた。
「さっきの話なんですけど」
「さっきの?…あぁさっきのね」
「えぇ、実は私好きな人がいるんですよね」
「…」
まさかの恋愛相談だった。
「ちょっ!なんで黙り込むんですか!?」
「いや…好きな人がいるのか…と思って」
「ん?んん〜?アレアレ?もしかしてだけど〜もしかしてだけど〜、高宮さんって私に気があるんじゃないの?」
「それはない」
再びからかうように猫のような口でニマニマとする葉風さんを一蹴。
っていうか古いネタを知ってるな…。
「そうはっきりと言い切られると1人の女としては切なくなりますね」
「で、好きな人がいるんだっけ?言っとくけど俺はその手の話の事はよく分からないからあんまり期待はしないでくれよ?」
「はい、別になにかを期待しているわけではないので大丈夫です」
「そう言われるとそれはそれでムカつくな」
「にしし、さっきのお返しです」
どうにも食えない少女だ。
「実はですね、同じクラスにすごいイケメンの他の女子からも人気のある男の子がいるんですよ。その子はスポーツ万能で勉強もできて、おまけに性格も優しいっていう三拍子揃った人なんです」
男の俺から言わせてみれば「なんだその胡散臭い男は?」というところなのだが、話の腰を折ってはいけないと思いツッコミたいのをグッと堪えた。
「で半年くらい前なんですけど、帰りに急に雨が降りましてね、その日は家の手伝いで早く帰らなきゃいけなかったんですけど、傘も持ってなくてどうしようって思ってたら隣からスッと傘が差し出されたんです。
まあそれがその好きな男の子なんですけど。
流石に悪いと思って1回は遠慮したんですが、その子は自分はもう一本傘があるから大丈夫だって言って傘を貸してくれたんです」
ここまでは普通にベタベタな話だ。
これが漫画の世界なら、本当はその男はもう一本傘なんて持っていなくて、結局濡れて帰って次の日に風邪を引く流れだ。
そして女の方は『私のせいだ』という罪悪感からお見舞いに行って_________と、最終的にその男に恋をするという流れに繋がるわけなんだが…流石にそんなチョロいヒロインが現実にいるはずはない。
オリジナリティ溢れた展開に期待だ。
「でも、本当はその男はもう一本傘なんて持っていなかったんだです。それで雨に濡れて帰って次の日風邪を引いて学校を休んじゃったんですよ」
ん?
なんか雲行きが怪しくなってきた。
いやいや、ある程度のテンプレが許そう。
「それでなんか私のせいみたいで悪いなって思って、先生に住所を聞いてお見舞いに行ったんですけど、私のことは一言も責めないでむしろ私が濡れなくてよかったって風邪で辛いはずなのに私のことを心配してくれて___」
「もういい、分かったからもういい。要するに葉風さんがチョロかったって話だな?」
「わー!自分がチョロいことくらい私自身が1番自覚していますから言わないでください!」
あまりに予想通りすぎてつい話を止めてしまった。
っていうかそんな漫画みたいな展開本当にあるのか…。
「まあそれはそれとして、葉風さんはその優しくてイケメンでスポーツも勉強もできる嘘みたいな完璧男を好きになったと。…それって本当に実在する人物?葉風さんの妄想じゃなくて」
「しますよ!?するに決まってるじゃないですか!人の好きな人を妄想呼ばわりしないでもらえます!?」
「なんか…ごめん」
目を三角にして怒る葉風さんのあまりの迫力につい謝罪の言葉が口をついた。
「あ、いえこちらこそすみません。取り乱しました」
「で、結局俺はそれを聞いてなにをしたらいい?」
「そうですね、人生の先輩としてなにかアドバイスでも頂けたらと」
人生の…先輩…。
響きだけ聞くとかっこよく聞けるけど、実はそれほどかっこいいわけではない不思議な言葉だ。
「あれ以来少しは話すようにはなったんですけど、妙に意識しちゃったり、その子の周りに他の女の子がいたりで私からは話しかけられない状態でして、ここから距離を縮めるのはどうしたらいいんでしょうか?高宮さんも一応同じ男なら分かるはずです」
「『一応』ってなんだよ。これでもれっきとした男だからそこを勘違いしないように。それと、距離を縮めるのならそんなの積極的に話しかけるしかないだろ」
「正論なんて聞きたくないです!ノーモア正論!」
「いや意味分からんから。そういえばふと思ったんだけど、まさか葉風さんが桜塚を狙ってるのって…」
「そうですよ!その通りですよ!金田くんが桜塚に行くって聞いたからですよ!悪いですか!?」
「また取り乱してるぞ?」
「取り乱してますよ!」
取り乱してるというよりはヤケクソって感じだと思うけど、面倒だから訂正はしない。
「とりあえずの目標としては携帯番号を交換することだな」
葉風さんが落ち着いたところで話を再開させる。
「それができないから相談してるんじゃないですか」
「でも、本気で付き合いたいって思うんならいつかは超えないければいけない壁だぞ?」
俺の場合は真代とそれなりに接点があったから成り行きでの交換になったけど、葉風さんとその金田くんにそれほど接点がないとなると葉風さんの方から聞きに行かなければ一生前には進まない。
「それにその男にも四六時中誰かがくっ付いているってわけじゃあるまし、聞くチャンスはいくらでもある。あとは葉風さんの一歩を踏み出す勇気次第ってところかね」
なにしろあの真代や辻野にだって1人でいる時間は存在しているわけなのだから、金田という男にそういう時間が存在しないわけがない。
「一歩を踏み出す勇気…」
言葉を噛みしめるように呟くと、葉風さんの表情に決意の色が浮かんだ。
そんな彼女へ水を差すように俺は口を開く。
「ただ______」
そこまで言って思い直す。
これは今言うことではないし、そもそも真剣に恋をする人に言うべきことではない。
「いや、やめておこう」
「なんですか?言い掛けてやめるのはよくないですよ?」
「気にするな。ほれ、手が止まってるぞ」
「ぶーぶー」
不満丸出しの葉風さんのケツを叩き(比喩)、無理矢理机に向かわせる。
結局その日のバイトは夜の10時まで続いた。
「やっぱり海だろ」
俺、椎葉、真代の3人を集めた辻野が俺たちの前で雑誌を広げる。
そこには『今年の水着特集』なるものが書かれている。
下心丸出しである。
「最低ね」
「最低ですわね」
女子2人からジト目を向けられて一瞬怯む辻野だったが負けずに続ける。
「夏といったら海、海といったら可愛い女子の水着だろ!な?高宮」
「ちょっ、俺を巻き込むな!」
「建前はいい!お前だって女子の水着姿を見たいはずだ。いや見たいに違いない!そうだろ?」
見たいか見たくないかで言えば確かに見たい。
だが辻野のように鼻息を荒くしてまで見たいものかと聞かれればそこまでではない。
俺にしてみれば、見れれば儲けもの程度のものだ。
それに真代の水着姿に限っては2年前に一度見たことがあるわけだし。
「可愛い女の子の水着姿って言っても真代と椎葉だけじゃないか」
「まあ確かにそこは残念だが、それでも2人とも見てくれだけは超一流だから全然オッケーだ」
「ほう?言うじゃない2人とも」
「流石に少しカッチーンと来ましたわ」
しまった、当の本人がいるのを失念していた。
結果、今度デザートを奢るということで今回は許してもらった。
流石に『太るぞ?』なんて口が裂けても言えなかった。
あの人を殺しそうな目を見るに、真代には筒抜けだったのだろうけど。
「まあ海という提案自体は悪くはないわね」
「そうだろ?差し当たっては熱海に行こうと思うんだが、なにか意見のある人」
「別に構わないわよ」
「正敏にしてはいい提案ですわね」
女子2人はオッケーが出た。
当然俺も文句はない。
「それじゃあ後は日程か。早いうちに予約しとかないと宿も新幹線も取れないからな」
「それでしたら後ほど正敏の方へそれぞれ都合のいい日をメールで送ればよろしいかと」
「それが順当ね」
前回の集まりとは違い、話し合いがスイスイと驚くほどスムーズに進んでいく。
この調子なら今日は早く終わりそうだ。
「でも、高宮くんは本当に海でよかったの?」
「あぁ、構わない」
真代の確認に椎葉と辻野は『?』を浮かべていたが、まあわざわざ教えることでもない。
それで俺に気を使って計画を変更させるのは流石に悪い。
「そう、それなら海で決定でいいわね」
こうして俺たち『青春倶楽部』の記念すべき最初の活動は『海へ旅行』に決定したのだた。
「ところで計画が固まってきたのはいいのだけど、2人のバイトは順調なのかしら?当日になってからやっぱりお金がないなんて言ったら承知しないわよ?」
「分かってるよ、ちゃんと毎日ファミレスで時給1000円で働いてる」
「へぇ、辻野はファミレスか」
「そう言う高宮はどうなんだ?」
「個人の弁当屋。時給950円」
「それって…儲かるのか」
「失礼な、確かに暇な時は暇だけど忙しい時は忙しいんだぞ?」
休日は朝から入っているけど、昼や夕方はすごく忙しくなる。
文字通りに目が回るほどだ。
「まあ2人ともちゃんと働いているのなら言うことはないわ。引き続き馬車馬のように働きなさい」
そう言って俺たちの経過報告の満足したように機嫌良さげに頷く真代だった。
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