第12話
「お願いします」
「…」
凍るような視線の妹に蔑むように見下されながら俺は地面に額を擦り付けていた。
「兄さん、妹相手にその格好って兄としてのプライドは無いんですか?」
「ない!」
「いっそ清々しいですね…」
呆れたような声を漏らす梓だったが、今は兄としてのプライドとかそういうことを考えている暇はないのだ。
来たる中間テストはもう明後日に迫っている。
恋海さんに言われていたのも関わらず、残念なことにこのままでは赤点一直線という極めて危ない状況だ。
幸い今日から2連休、璃子は友達の家へ勉強会&お泊まり会ということで今家には俺と梓の2人だけだ。
そこでこの窮地を脱出すべく俺は天才妹である梓に教えを請うことにしたのだった。
「そもそも毎日ちゃんとコツコツ勉強勉強していればこんな直前になって焦ることはなかったんです。そんなだとどうせ兄さんは授業中も真面目に聞かずに寝てばかりなんじゃないですか?」
耳が痛い話だ。
梓の言うことはには何ひとつ間違いがない。
俺が授業をまともに聞いてないことまで言い当てるなんて、本当に見てきたかのようだ。
「まったく、どうしてちゃんと勉強をしないんですか?それで後悔するのは他でもない兄さん本人なんですよ?」
がみがみくどくど、およそ2時間近く俺は梓から説教を受けている。
その時間を使って俺に勉強を教えてほしいのだけど…。
そこで俺のスマホが鳴った。
「出てもいいですよ」
「ありがとうございます…」
通話ボタンを押す。
『高宮ぁ!勉強を教えてくれ!いや、教えてください!』
切羽詰まったような悲鳴めいた声が電話の向こうから聞こえた。
『このまま行ったら俺絶対赤点なんだよ!頼む!頼みの綱は高宮しかいないんだ!』
「悪いな辻野、俺高等部の授業とかまともに聞いてないから、状況は辻野とそう大して変わらないんだ。椎葉にでも頼りなさい」
『蓮乃にだけは絶対頼りたくない。バカにされるのは目に見えてる』
それでも椎葉は優しいし、なんだかんだで教えてくれるだろうけどな。
『わかった、じゃあ勉強会といこう。椎葉も高宮がいればそれほど攻撃してこないだろうし』
「勉強会?どこで?」
『俺ん家は…ムリだ。椎葉の家もやめておいた方が身のためだ。そうなると高宮の家になるんだが…』
「…ちょっと待て」
スマホのマイク部を指で押さえて梓に向き直る。
「というわけで、ウチで勉強会をしたいんだけど…」
「ダメです」
「え?」
「ダメです」
しかし梓から出たのは拒否だった。
その口調は取り付く島もないほどに冷たい。
「お友達と勉強会なんてどうせ兄さんはサボって遊ぶに決まっています。今の兄さんに必要なのはそんなゆるい勉強ではなく部屋に監禁状態で今からテストまで寝ずに勉強することです」
「え…」
梓の____実の妹の口からとんでもない言葉が漏れ出た。
監禁と今言わなかっただろうか?
しかも寝ずにって、…鬼か?
「とにかく勉強会は絶対にダメです」
そういう梓からはどこか焦りのような色も見えたが、なにを焦っているのか分からないので流す。
下手に突いてバカを見るのは勘弁したい。
「悪い辻野、俺はこれから修羅の道に進む。お前も諦めて椎葉に救いを求めるといい」
『待て、意味が分からないんだが。っていうか蓮乃と2人はホントムリだって』
「俺から蓮乃にあまりイジメないようには言っとくから。それじゃあ健闘を祈る」
『ちょっ!高み_____』
ブチと通話が切れる。
それは頼みの綱が切れる音だったのかもしれない。
「梓先生、お願いします」
そして俺は修羅道へ足を踏み入れたのだった。
「それじゃあ少し休憩入れましょうか」
何時間くらい経っただろうか?
梓の声が和らぎひと時の休息を得ることができた。
あれから俺はトイレに行くことさえ許されず、ただひたすらに机に向かってシャープペンを動かし続けた。
この調子でいけばテスト本番にはペンダコができていることだろう。
「兄さん、トイレに行くなら今のうちですよ。10分休憩したらまた4時間は部屋から出しませんから」
天使のような笑顔で鬼のようなことをいう梓だった。
「そういえば梓はもう中学は通わないのか?年齢的には義務教育だろ?」
「お父さんが言うには一応籍としてはこの辺りの公立中学に在籍してるみたいですよ?今更面倒ですから行ってないですけど」
「いや行けよ」
「だって今更公立中学の勉強をやったってつまらないんです」
「だったらウチの編入試験でも受けてみればいいんじゃないか?璃子もいることだしちょうどいいだろ」
「…なるほど」
何気なしに思ったことを言っただけなのだが、梓は割と真剣に考えだした。
「確かに家で1人で留守番をしているよりは多少退屈凌ぎにはなりそうですね」
「とは言ってもウチの学校の編入試験は結構難しいって聞くけどな」
「大丈夫です。難しかろうとどうであろうと、それが正当な試験であれば受からない試験はありませんので」
強がりでもなんでなく、さも当然のことを言うように梓が言う。
流石は天才、言うことが常人とは全然違う。
「兄さんも入試には受かったんですから中間テストくらいなんとでもなるでしょう?」
「いや、確かに入試には受かったけど、それは入試の内容が割と真面目に授業を聞いてた中学の頃の問題しか出なかったからで、高等部の内容とか全然分からないんだけど」
「違いますよ、高校の授業は中学で習った内容を基盤として進められます。つまり本来は中等部の授業内容を理解しているのならそれほど高等部の授業内容の理解に時間はかからないはずなんです」
「それは梓みたいな頭のいい人間の考え方だろ?俺みたいな凡人にはそんな風には思えない」
「なにを言っているんですか、兄さんだって私と同じDNAを持っているんですよ?だったら私にできて兄さんにできないことなんてないはずです」
ドヤと言わんばかりに『言ってやりました』感満載の表情を浮かべる梓だが、もし梓の言う通りならどれだけ良かったかと思う。
少なくとも、嬉々として勉強しようとする梓と、嫌々に仕方なく勉強している俺の間には大きな溝があることが確かだ。
「さて、時間ですね。続きを始めましょうか」
「あ、ごめん。ちょっとトイレ」
梓の言葉でトイレに行くのをすっかり忘れていたことを思い出し、逃げるようにトイレへ駆け込んだのだった。
地獄の猛勉強によって中間テストをなんとか切り抜けた俺は、辻野、椎葉、真代と近くの喫茶店に集まっていた。
「さて、テストも終わったところで俺たちの同好会の名前を決めたいと思う」
「高宮さま、テストの調子は如何でしたか?仰ってくださればわたくしが力になりましたのに」
「まあ…なんとかなったよ」
「椎葉さん、甘やかしてはダメよ。今回だってどうせ梓さんにでも頼ったのでしょう?でなければあれだけ授業中に寝ていて赤点を回避できるわけがないもの」
「その通りです…」
「おい!聞け!?俺の話を聞け!?」
辻野が泣きそうになりながら声を張り上げた。
なにか言っていることは分かっていたのだけれど、椎葉と辻野での優先度では椎葉の方が上だったために無視してしまった。
「あ、悪い辻野」
「軽いわっ、あと蓮乃、お前はわざとあのタイミングで高宮に話振っただろ」
「ぷいっ」
「このっ____」
「落ち着いて辻野くん。話が進まないわ」
「…なあ高宮、俺最近真代がどういう奴なのか分かってきた気がする」
しれっと自分は関係ない然で言う真代を横目に、辻野が俺に耳打ちする。
「いや、あれはまだ真代の表面でしかない。完全体にまでなれば些細なことでも心を折りに来るから」
「お前よくそんなのと付き合ってたな…素直に尊敬するわ」
「俺もそう思う」
実際真代の彼氏になるのなら相応の覚悟で臨まないと1週間と続かない。
それを思うと俺はまだ頑張った方だろう。
まあ振られたのは俺なんだけど。
「で、なんだっけ?同好会の名前だっけ?」
脱線させたお詫びというわけではないが、話を元に戻してやる。
無視はしたけれど、完全に聞いていなかったわけではないのである。
「そう、せっかく同好会を立ち上げるんだったらやっぱり名前は必要だと思うんだ。というわけでなにかいいアイデアのある人」
「…」
「…」
「…」
しかし誰の手を挙げない。
だいたいどんな活動をするのかすら知らないのに名前なんて考えられるか?
『青春っぽいことをする』というテーマを知っている俺ですら浮かばないのに。
「辻野くん、いいかしら」
沈黙が続く中で最初に声をあげたのは驚くことに真代だった。
「なんだ?」
「質問なのだけれど、どこかになにかを届け出るわけでないのなら同好会の名前なんて考える必要あるのかしら?」
ピシッと空気が凍りついたのがわかる。
それは誰もが思いつつ誰も口にしなかったことだ。
それは今回の議題を根本から否定する言葉だからだ。
「それは…あれだ。名前があった方がいろいろと締まるだろ?『俺たちは〜同好会だ』みたいな」
「だからその名乗る機会というものがあるのかしら?例えばバンド同好会だったら文化祭のステージで演奏を披露するから名前は必要だと思うわ。マイナーなスポーツの同好会だって大会に出るのなら名前が必要になるのは分かる。でも、私たちにはそんな崇高な目的はないじゃない」
グサグサと言葉のナイフが辻野を容赦なく貫いていく。
「そうね、そもそもの話をするのならまずは私たちの同好会がなにをするものなのかを聞かせてもらわないことにはどうにもこうにも話は進まないわ。ねえ辻野くん、あなたは結局なにがしたいの?」
容赦無し。
どういうわけか真代は辻野や椎葉の前では猫を被るのをやめているらしい。
そのおかげというか、そのせいというか、辻野は真代の正論にタコ殴りに遭っていた。
可哀想に…まるで完全敗北を喰らったプロボクサーのようにへたり込んでしまっている。
ここはひとつ俺が進行を代わってやるか。
「辻野が前に言っていた通りなら、辻野は今しかできない青春が送りたいらしい。だから同好会を作るのは目的のひとつであって手段ではないんだと思う。まあもしかしたらその先のことも考えているかもしれないけど」
「今しかできない青春って…臭いわね。一体なにに影響されたのかしら?」
「そういえばこの痛々しい男は昔から青臭い青春ドラマを好んでおりしたわね」
「あー、確かにいるわよね、そういうドラマとかにすぐ影響されちゃう単細胞な人って」
横目でチラリと俺の方に視線を向ける真代へ『うるせぇな』と睨み返す。
人の黒歴史を穿り返すようなことはホントやめて欲しい。
「…」
そして今はまさに絶賛黒歴史更新中の辻野は真っ赤に染まった顔面を両手で覆い蹲ったままプルプルと震えていた。
そんな羞恥に染まる辻野を更に煽る少女2人。
2人とも天使のような容姿をしている癖にやっていることは悪魔そのものだった。
そんな辻野を尻目に、こちらへ飛び火しないように息をひそめる。
許せ辻野、俺にも探られて困る腹があるんだ。
「で、同好会の名前だったわよね」
「『正敏と愉快な仲間たち』で良いのではなくて?」
「あら、それはいいわね。間抜けさが名前から滲み出るようで素敵よ」
イジメだ、目の前で凄惨なイジメが繰り広げられている。
「な、なあ2人とも。辻野をイジメるのはその辺にしてやってくれないか?」
「イジメ?酷い言い掛かりね。これはイジメではなくコミュニケーションよ。ねえ椎葉さん」
「申し訳ありません高宮さま、少々お見苦しい姿をお見せしました」
「なっ…ちょっと椎葉さん、あなた裏切るつもり?」
「裏切る?まさか、そもそも真代さんと結託した覚えはありませんわ」
「へ、へぇ?そう?」
やんわりと微笑む椎葉に対してこめかみをピクピクとさせながら無理矢理の笑顔を浮かべる真代。
仲良くなったのかとも思ったが、どうやらそうでもないっぽい。
「辻野、終わったぞ」
2人がバチバチと視線をぶつけ合う中で死んだように動かなくなった辻野の身体を揺るってやると、恐る恐るその顔を上げた。
「本当か?」
「あぁ本当だ。ただちょっと面倒なことにはなったけど」
顎で椎葉と真代を示してやると、辻野は感心したように声を漏らした。
「へぇ、あの蓮乃が…ねぇ」
「?」
辻野の言葉の真意はよく分からないが、悪いことではなさそうだし敢えてこちらからは突っ込まなかった。
「まあ同好会の名前なんてこの際どうでもいいだろ?適当に『辻野倶楽部』とでもしとけば」
脱線に脱線を重ねる話題を少々強引だったがもとに戻す。
「なによ『辻野倶楽部』って。それって『正敏と愉快な仲間たち』となにが違うのよ?もっと真面目に考えなさい」
「少なくともバカにしている感は抜けたと思うんだけど」
俺の言葉に真っ先に反応したのは、さっきまで椎葉とバチバチしていた真代だった。
「とはいえ真代さんの言うことにも一理ありますわ。同好会の名前に正敏の名前が入るのは正直気分のいいことではありません。高宮さまの名前ならば大歓迎なのですが…」
「それは私が勘弁して欲しいわ。痛々しい同好会が余計に痛々しくなってしまうもの」
ホントに酷い言い草だとは思うが、ここで反論なんてしようものならその矛先が完全に俺の方に向く上に、また話が脱線しかねない。
ここはスルーが一番だ。
「じゃあさ、『青春倶楽部』ってのはどうだ?」
「「「青春倶楽部?」」」
辻野の突然の提案に3人で首を傾げる。
シンプルで且つ俺たちの活動の趣旨を捉えた名前は、しかしあまりにダサかった。
「まあいいんじゃないかしら?ダサいけど」
「そうですわね、無難といえば無難ですわね。ダサいですけれど」
「ダサい言うなっ!」
再び顔を真っ赤にして叫ぶ辻野。
多分俺たちかなり迷惑な客になっているんじゃないだろうか?
「それでだ、満場一致で名前が決まったところで、俺たち『青春倶楽部』の記念すべき第1回目の活動を発表する」
「わーわー」
「ざわざわ」
「適当かよ」
全く興味なさげな女2人にも負けず、辻野は続ける。
「き、来たる夏休み。この長期休暇を利用して合宿をしたいと思う。なにか意見がある人は挙手を」
「合宿って…なんの意味があるのかしら?」
「え…」
まさか根本から否定されるとは思っていなかったであろう辻野が困惑気味に声を漏らす。
俺は真代の言いたい意味が分かるが、今の言い方では少し頭の弱い辻野には正確には通じないだろう。
「辻野、この場合『合宿』じゃなくて『旅行』が適切だと思うぞ?合宿だと意味がまた変わってくるから。そういうことだろ?」
「そういうなんでも分かってますみたいな態度、すごくムカつくわ」
ムスッと顔を逸らす真代。
どうやら俺の考えは正解だったようだ。
「でもどこに行くのは知らないけど、交通費なり宿代なりを考えると結構な金が掛かるよな?俺そんなに金持ってないぞ?」
「確かにそうね、先立つ物がなければ所詮は絵に描いた餅よ」
「それは…まぁ」
この反応を見るに辻野もそこまで金を持っているわけではなさそうだ。
「蓮乃、お前ん家の別荘って使えないのか?」
「いきなりわたくしを頼らないでくださいませ。厚かましい男ですわね。残念ながらわたくしの家の別荘は今年は使用人一同に貸し出す予定ですわ」
「マジか…」
ガッカリしたように肩を落とす辻野。
っていうか椎葉の家って別荘まで持ってるのか…。
期せずして住んでいる世界の違いを思い知らされた。
「そうなるとバイトするしかないかね」
「だろうな」
辻野の呟きに同意する。
金がないのなら稼ぐしかない。
幸い俺たちは高校生だ、ならばバイトの1つくらいやったって問題はない。
「それじゃあ2人は今日からバイトということね。精々頑張りなさい」
「え?おいおい、真代はやらないのか?」
真代の発言に辻野が反応する。
まあ真代を俺たちと同じ層の人間だと考えていればそういう反応にもなるだろう。
「真代の家はそれなりに裕福だからな、その上無駄遣いとかしないから旅費くらい小遣いで賄えるんだよ」
「ま、そういうことよ。それなりに貯金はあるわ」
「なんで高宮が真代の経済事情を知ってるのかってのは…聞くだけ野暮か」
「そういうことだ。俺たちは精々セコセコ働くとしよう」
「違いないな」
そう言って俺たち貧乏組は力なく笑うのだった。
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