第6話

「で、あの女は一体どこの誰なのかな?」


「特に兄さんとの関係は?」


夕食時、リビングで俺は2人の妹から詰問…尋問に遭っていた。


「璃子にはさっきも説明しただろ?俺の友達の椎葉蓮乃。クラスメイトだよ」


「兄さんに友達?そんなわけないじゃん」


「お兄ちゃん、男と女の友情は成立しないんだよ?」


2人してひどい言い様だ。

仲良くなっては欲しかったけれど、結託はして欲しくなかった。

だがこれは、こうなると予想できなかった俺にこそ落ち度があったかもしれない。

この2人は似た者同士なのだからこうなる可能性は最初からあったのだ。


「むぅ…兄さんが口を割らないとなると、これはその椎葉って女に直接聞くしかないんじゃないかな?璃子」


「そうだね、それでも惚けるようならいっそ身体に直接…」


どんどん話が不穏な方へ転がっていく。

流石にこんな妹たちのよく分からない嫉妬に椎葉を巻き込むわけにはいかない。


「お前らいい加減にしろよ。椎葉は学校に2人しかいない俺の大事な友達だ。変なことしたらそれこそ一生口を利かないだけじゃ済まさないからな?」


「うぅ…分かった」


「…不承不承ながら」


2人は明らかに納得いかないという感じではあるけれど、しっかり俺の前で約束した。が…


「でもお兄ちゃん、流石にあの女みたいにお兄ちゃんを傷付けるようならわたしも容赦はしないからね?」


璃子の目は真剣だった。

確かにあの時璃子にはかなり心配を掛けた。

毎日死んだような目をして、なにも喉を通らず、なにを話しかけられても答える気すら起きず、なにをするわけでもなくただ病室の窓から外の風景を意味もなく眺めるだけの日々。

親も海外で心の拠り所もなかった璃子にはかなり負担をかけてしまった。

でも、


「ダメだ」


それはダメだ。

もう万が一にも俺があんな風になることはないけれど、その万が一が起きたとしても、俺は決して仕返しなんて望まない。

それにあの一件で傷付けたのはむしろ俺で、傷付いたのは彼女なのだ。


「絶対にダメだ」


念を押すようにもう一度言い聞かせると、璃子はまたも渋々頷いた。


「あの…璃子が言う“あの女”って誰?わたしの居ない間になにがあったの?」


そんな中であの事故について唯一蚊帳の外だった梓が率直な疑問を口にする。

だが、俺は改めてあの一件を実の妹に説明する気はない。

あれはもう終わったこと。

なにもかも俺が終わらせてしまったことなのだから。


「梓の気にすることじゃない。もう終わった話だ」


俺は突き放すように言うと、自分の使っていた食器を流しに持っていき、そのまま自分の部屋へ戻った。



俺は小さい頃から親の影響を一身に浴びて育った。

そのため親の趣味、つまりはオタク趣味をかなり強く引き継いでしまった。

そして今の俺の部屋の惨状たるや、壁には何枚にも及ぶタペストリー、本棚に積まれたライトノベルと同人誌、他にもコンシューマーゲーム機がいくつかと、据え置き、ノートパソコンが一台ずつ。ベットの脇にはゲームの特典で付いてきたカバーを被せた抱き枕、などなどと所謂“オタク部屋”と化している。

つい最近まではもう少しまともな部屋だったのだが、これもまた例の一件が原因で2次元にどハマりし、そのおかげでこの様な完璧なオタク部屋となってしまった。


2次元美少女は傷付かないし、どれだけ愛しても裏切らない。

その気楽さに気が付いたのもつい最近だ。

全ての人間は2次元キャラの元平等なのだ。


もちろん俺のような重度の2次元オタクは、日本という国がオタク文化に寛容になってきているとはいえあまり受け入れてはもらえないことは重々分かっている。

だからこの趣味の事は他の誰にも話していない。

知っているのは多分妹たちと彼女くらいだ。

その梓でさえ最初見た時は引いたと言っていっていた。

璃子は璃子で

『わたしはお兄ちゃんがどんな姿になっても変わらず愛してあげられるから』

などと少し可哀想な人を見る目を向けてきた。

自分だって壁一面に俺の写真を貼りまくっているくせによく人をあんな目で見られたものだ。


「まあ少なくともあの2人には見せられないな」


頭に浮かべるのは辻野と椎葉の2人。

初めてできた“友達”。

こんな趣味を見せたら2人がどんなにいい奴らでも離れていくに違いない。

それならそれで別に構わないけれど、出来る事なら今の関係のまま付かず離れずの関係を続けたかった。

だから、俺は絶対2人にこの趣味を言う気はない。

2人に隠し事をする罪悪感を覚えながら俺は布団に入った。





俺たちが高等部に上がり、璃子が中等部に入学して1か月が経った。

今はゴールデンウィーク真っ只中。

俺は毎日朝に寝て夕方に起きるという昼夜逆転した生活を送っていた。

そんなある日、


「兄さん、今いいですか?」


ドア越しに梓の声。

正直今から寝ようとするところだったためあまりよろしくはないのだけれど、可愛い妹のため起き上がってドアを開けた。


「なんだった?」


「…兄さんもしかして今から寝るところでした?」


申し訳ないという感じではなく、責めるような口調。

まあ今は朝の9時。

今から寝る奴なんて碌な奴ではない。

俺は妹の手前見栄を張ることにした。


「まさか。ちょうど今起きたところだ」


「その割には目の下の隈がひどいですよ」


「これは…ほらあれだ。化しょ_____」


「化粧なんてバカな言い訳したら怒りますよ」


「ごめんなさい、今から寝るところでした」


梓は璃子と比べるとかなり基本まともな性格だ。

食べ物の好き嫌いも無ければ、人付き合いもいいし、生活リズムもよく、休みの日であっても朝の6時には起きて夜の9時には布団に入るくらいだ。

兄としては妹が良い子に育ってくれて嬉しい限りだが、そのおかげで最近はよく生活習慣について璃子と一緒に怒られることがある。

あとは璃子と同等程度のブラコンをなんとか治してもらえれば言うことはない。


「それよりなにか要件があったんだろ?」


「あ、そうでした。実は買い物に付き合ってもらいたくて」


「買い物?なにを買うんだ?」


「ちょっと…ね」


そう言って適当にはぐらかそうとする梓。

まあ言いたくないのなら無理に言わせようとはしないけど、どうせ一緒に行くのならすぐにバレるだろうに…。

っていうかそれだったら今まで時間はたくさんあっただろう。

何しろ梓は学校に行ってないんだから。


「じゃあそうと決まったら璃子も呼んでくか。1人だけ置いて行ったらあいつ絶対拗ねるだろ」


「兄さん…本気で言ってます?」


「え?なんか不味った?」


「璃子なら今頃バスの中ですよ。今日から3日、あの子はクラスのみんなで旅行らしいですから。ってゴールデンウィーク前に璃子が言ってましたよ」


……?

あ、そういえばそんなこと言ってた!


「あれ今日からだったっけ?」


「兄さん…」


再び妹に睨まれる。

昼夜逆転の生活のせいでいつのまにか日にち感覚がおかしくなっていたようだ。


「ま、まああれだな。っていうことは実に6年ぶりに2人きりってことだ」


「ふ、2人きりっ!?」


あ、不味った。


「そ、そんな…2人きりだなんて…。これは璃子には悪いけどまたとないチャンス!今夜はお楽しみの予感が…ふふふ」


「いや、そんな予感はないから」


ホントに、普通にしていればまともな妹なんだが、これさえなければ…。

そんな妹の困った一面に頭を抱えながらも、俺は梓を部屋から追い出し服を着替えた。



「兄さんと2人で買い物なんてもしかして初めてなんじゃないですか?」


俺の袖の端を遠慮がちにちょこんと摘んで隣を歩く梓が、可愛らしい笑顔を俺に向け見上げるように言う。

正直歩きづらいし鬱陶しいが、つい最近6年ぶりに再開した妹が甘えてきていると思うと振り払うのも躊躇われた。


「そういえばそうだな。まあ梓がまだ日本にいたのは小学校に入る前だったからな」


流石に幼稚園と小学生低学年が2人だけで買い物など行けるはずがない。

こればかりは仕方がないことだった。


「つまりこれが兄さんとわたしの初デートってことだよね?」


「デート…とは言わないだろう」


兄妹で出掛けることを果たして“デート”と言うのだろうか?

そういうのはあくまでアニメやマンガの世界の話であって、現実ではまず言わないだろう。


「それでどこに行くんだ?」


「分かりません」


「はい?」


いやいや、買い物に付き合ってくれって言ったのは梓のはずだ。

ならどうしてその本人が行き先を知らないんだよ。


「それではここで問題です。わたしはこっちに戻ってきて日が浅いです。つまりわたしは、今この町のどこになにがあるのか分からない状態です。では兄さんが取るべき行動は?」


「まずはなにが欲しいのか聞く」


「そうじゃないでしょう!」


「えー」


理不尽に怒られた。

だってなにが欲しいのか知らなきゃどこに連れて行けばいいのか分からないじゃん。


「じゃあヒントです。いいですか兄さん。買い物に付き合って欲しいというのはあくまで口実です」


「口実…?」


つまり梓はどうにかして俺を外に連れ出したかったってことだよな。

そしてその口実が買い物。

あぁ、分かった。

俺の灰色の脳細胞を舐めるなよ?


「梓は俺の健康を気遣ってくれてたわけだな。確かにゴールデンウィークに入ってからは家でゴロゴロ_____」


「ちーがーいーまーすぅっ!」


ぷくっと赤くなった頬を膨らませて俺を睨む梓。

一体なにが違ったんだ?

完璧な回答だったじゃないか。


「兄さんってアレですよね。鈍感系主人公を地で行くタイプですよね。普通ここまで言えば気付きますよね」


「鈍感系主人公って…」


ひどい言われようだった。

お兄ちゃんそのうち泣くよ?


「…それで答えは?」


「町を案内してもらうという名目で兄さんとデートがしたかったんですっ」


「デート…」


あ、さっきのは冗談でもなんでもなく本気でデートのつもりだったのか。

デート…あまりいい思い出はないけれど、梓がそう言うのなら付き合ってやるか。


「それじゃあするか、デート」


「むぅ、しょうがないので兄さんに付き合ってあげます」


そう言う梓は不機嫌を装っているが口元が緩んでいるのが見える。

そして俺の差し出した右手を、その柔らかくて冷たい手でしっかりと握ったのだった。



一緒に歩く梓を見ていると、とても女の子らしく育ったと感じる。

スカートを気にしてあまり激しく動くようなことはしなくなったし、ご飯の食べ方だって綺麗に上品に食べるようになった。

それに、寝ていないの俺のことをさり気なく気遣ってくれたりと優しい一面も兼ね備えていて、ホントにもうどこに出しても恥ずかしくない女の子に成長していた。


「もうこんな時間か。そろそろ帰ろうか?」


「え…帰っちゃうんですか?」


「そりゃ、もう5時半過ぎてるからな」


どうやらなかなか夢中になっていたらしく、気が付けば夕方になっていた。


「なんだかもったいない気もしますけど、仕方ないですね」


俺から時間を聞いた梓がシュンとして残念そうにそう呟く。


「悪いな、時間もなんだけどそろそろ俺も限界…」


そう、今日俺は一度も寝ていない。

そろそろ俺は起きてから24時間を迎えようとしているのだ。

まあ昼夜逆転の生活をしている俺にも非はあるんだけど。


「それは兄さんの不摂生が悪いんです」


案の定ジト目の梓にまた怒られた。


「それでは帰りましょうか」


梓が俺の手を握る手にぎゅっと力を込める。

どうにも家に帰るまでがデートのようだ。

そうして2人で一歩目を踏み出そうとした時だった。


「高宮?」


前から見覚えのある顔が2つこちらへ歩いてくる。


「やっぱり高宮じゃないか?どうしたんだこんなところで?しかも女の子連れ」


見覚えのある顔の1人、辻野がニヤニヤと肩に手を回してくる。


「別に辻野の勘ぐるようなことはないよ。それに女の子連れって言うのならそっちもだろ?」


俺はもう1人の方へ視線を向ける。


「辻野こそ椎葉と2人きりでデートか?」


お返しと言わんばかりのニヤニヤと。


「はっはっ、それこそねぇよ。蓮乃とはそこで偶々会っただけだ。それに相手は蓮乃だぜ?生まれた時から知ってる顔なんだぜ?今更そんな感情お互いにねぇよ。それにどうせデートするなら俺もその子みたいな可愛い女の子の方がいいしな」


「いや、椎葉も普通に可愛いだろ」


少なくとも俺から見れば椎葉は同じクラス____いや、同じ学校の中でもかなりに可愛い方だと思う。

多分辻野は一緒にいる期間が長過ぎて気付かないだけなのだろう。

っと、椎葉といえば、なぜか椎葉がたい焼きを口の前に持っていったまま固まったている。

この格好のままこっちまで歩いてきたのだと思うとそれはそれで器用なものだと感心する。


「なあ辻野、椎葉はどうしたんだ?」


「あー、放って置いてやってくれ。大丈夫さ、あまりにショッキングな光景を目の当たりのしてちょっとフリーズしてるだけだから」


「それホントに大丈夫なのか?」


まあ1番付き合いの長い辻野が言うのなら大丈夫なんだろう。

っていうかショッキングな光景ってなんだ?


「それよりそっちの子紹介してくれよ」


「あぁ、こっちは妹だ」


「高宮梓です。いつも兄がお世話になってます」


俺の紹介に合わせて控えめにお辞儀をする梓。

っていうか友達の手前、そろそろ一回手を離してくれると嬉しいんだけど。


「妹…?え?」


そういえば辻野は璃子と面識があったんだっけ?


「梓は血の繋がった実の妹だよ。で、最近アメリカからこっちに帰ってきたんだ」


「あ、あー。聞いたか蓮乃。妹だってさ」


「い…もう…と…?…はっ!?わ、わたくしこんなところで一体なにを?ってわわっ、わたくしのたい焼きが!?チョコレークリームが…」


どういうわけかフリーズが解けたみたいだけど、そのせいで持っていたたい焼きを手の中でお手玉し、挙句落としてしまった。

悲しそうな顔で地面に落ちてチョコレートクリームのはみ出したたい焼きを拾い上げる椎葉。

しかし中身はチョコレートクリームだったのか。

勝手なイメージで申し訳ないのだけど、椎葉は小倉派だと思ってた。


「しっかしアメリカからね。どっちかっていうと璃子ちゃんの方がそれっぽく見えるんだけどな」


それは俺も思わなくはない。

璃子は外人特有の天然のブロンドヘアーだし、逆に梓はアジア人特有の漆のような黒髪だ。

普通は逆だよな…。


「璃子ちゃんといえば、そういえば今日は璃子ちゃんいないんだな。2人きりでデートなんてあの子が絶対許さないだろう?」


「璃子は今クラスのみんなと旅行行ってるからいないよ」


「璃子さまといいますと高宮さまの妹さまでしたっけ?」


日常の中でこれほど“さま”を聞くこともあるまい。


「そういえば椎葉と話すようになったのは退院した後だからな、璃子とは面識がないか」


実は辻野と椎葉では話すようになったタイミングに半年ほど差がある。

だから俺が入院した時椎葉はお見舞いに来なかったし、だから椎葉が璃子と鉢合わせすることもなかったのだ。


「でも高宮が入院中の時の璃子ちゃんに会わなかったのは正解だったかもな。あの子チワワみたいな見た目なのにその眼光はケルベロスだったし。男の俺だって噛みつかれそうだったってのにあれで女が見舞いに行こうものなら噛みちぎられてただろうな」


「辻野、お前人の可愛い妹になんてことを言うんだ?」


「いやでも的確な例えだと思うんだけどな」


多分その時期は彼女と別れてすぐの頃のことだろう。

なにもかもがどうでもよくなっていたあの頃のことは正直ほとんど覚えてもいない。


「あの、兄さんが入院したって話もう少し詳しく教えてもらえませんか?」


梓だった。

そういえば前に梓の前で璃子とこの話をした時も知りたがってたっけ?


「え?お前妹に話してないの?身内だろ?」


「だからこそ知られたくない話もある」


「はっ、違いない」


わざわざ兄の醜態なんて聞いたって仕方ないだろう。


「そういえば椎葉はなぜか知ってるよな?なんでだ?」


「ふふ、ナイショです」


柔らかく微笑んで誤魔化した椎葉。

え?逆に怖いんだけど。


「まあいつか話さないといけない日が来ると思う。だからその時まではなにも聞かないでくれ」


誤魔化すように梓の頭を撫でてやる。

梓は不満そうにしながらもその手は振り払わなかった。


その後、10分ほど話してから俺たちは2人と別れて家に帰った。

道中梓はなにも話さなかったが、手だけは家に着くまで絶対に離さなかった。

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