第5話

『高宮く〜ん、帰る前に生徒会室に寄ってってね』


放課後になり帰宅の準備をしていると校内放送で呼び出しがかかった。

その聞き覚えのある声と口調は間違いようがなく恋海さんのそれだった。


「おいおい高宮。初日から生徒会室に呼び出しって一体なにをやらかしたんだ?」


「今日はずっとトイレと教室の往復だよ。目の前にいたんだから知ってるだろ?」


「そう…だった…か?」


「なんでそんな自信なさげなんだよ?」


「いや、高宮のことだからまた俺が見ていない隙に単独行動してなにかやらかしていても不思議じゃないからな」


「辻野…お前は俺をなんだと思ってるんだよ?」


実際、昨日の約束が関係しているのは間違いない。

確かに後日って言ったけど、翌日に呼び出すことはないだろう。

こっちの予定も考えてくれ。

まあ予定なんてなにもないんだけど。


「って、そこも計算尽くか」


「なにか言ったか?」


「なにも。それじゃちょっと行ってくるわ」


「待ってるか?」


「要らない。寂しければ椎葉に一緒に帰ってもらえ」


「死んでもごめんだ」


2人して笑うと、それを切っ掛けに別れた。

辻野はもう少し他のクラスメイトと話をすると教室に残り、俺は恋海さんの待つ生徒会室へ足を運んだ。



「どうぞ」


戸を叩くと恋海さんの声が廊下に響いてきた。

生徒会室とは言っても所詮は学校の設備。

漫画やアニメのような仰々しい扉ではなく、他の教室と同じ安っぽいスライド式の扉だ。


「失礼します」


中へ入ると4つの目が俺を貫いてくる。

1人は言うまでもないが、もう1人のポニテの人は一体どちら様だろうか?


「1人じゃなかったんですね」


「2人っきりだと期待した?残念、彼女は生徒会副会長の橘花桃子たちばなとうこちゃんよ。私の優秀な右腕にして唯一無二の親友にして忠実なる僕なの」


「後輩になに変なことを教えてるんだ!」


「痛っ!?ちょっと待って、グーはダメ!グーは!」


紹介された生徒会副会長、橘花先輩が恋海さんを殴った。

叩いたのではなく文字通り殴った。

スゲー、女子が女子をグーで殴るの初めて見た。


「あたしは橘花桃子。紹介された通り生徒会副会長だが、このバカの忠実なる僕ではないから勘違いしないでくれ。本当に頼むから」


橘花先輩が必死な形相で懇願してくる。

この人も恋海さんのせいでだいぶ苦労が絶えないようだ。


「それで、昨日の今日で呼び出した理由はなんですか?後日伺うと言ったはずですが」


「だって高宮くんって、『後日とは言ったけどいつとは言ってない』とか言って結局来てくれなさそうだし、もういっそ呼び出しちゃえ!と」


「そんなことのためだけに校内放送を悪用したんですか…」


「すまない、あたしの力不足だ」


「いえ、橘花先輩は全くなにも、これっぽっちも悪くありません」


「そうか?そう言ってもらえると助かる」


「あ、あれれ?なんか2人がいつのまにか仲良く結託してる?」


「「恋海(さん)のおかげで」」


「わーん!2人して私を虐めるぅ!」


机に突っ伏してわざとらしく大声で泣き始める。

しかも腕と机の隙間からチラチラ覗いてるの見えてるぞ?

泣き真似が下手にもほどがある。

こんなのに騙される人なんてそうそういない____


「す、すまない恋海。少しばかり冗談が過ぎた!謝るから泣かないでくれ」


え?

橘花先輩の顔がマジだ。

マジで親友を泣かせてしまったかのような顔をしている。


「桃花ちゃんはどうせ私よりも高宮くんの方が大事なんだ〜!」


「そんなことはない!あたしにとって恋海より大事な友人はいないんだ!」


「じー」


なんだこの茶番は?

2人の茶番を冷めた目で見つめる。

あ、今あの人口元が歪んだぞ。


「そ、そう?本当に高宮くんよりも私が大事?」


「ああ!勿論だ!」


「私の方が好き?」


「ああ!」


「私の下僕?」


「勿論だ!……?」


「よし!言質はとった!」


「…なっ!?」


恋海さんのその言葉で自分がなにを口走ったのかを思い出したらしい橘花先輩は恋海さんに食ってかかる。


「嵌めたなっ!?」


「騙される方が悪いんだよ」


「なんだと!?汚いぞ恋海!」


「ふふっ、綺麗なままでは人は生きられないのよ」


「ふ、深いっ!?」


「じじー」


なんだこの茶番は?(2回目)

俺は2人の繰り広げる茶番を冷めた目で見つめる。

なんとなく橘花桃子先輩という人物が分かってきた。

第1印象ではしっかり者のイメージだったのだが、こと恋海さんが関わると完全にポンコツになる。

今の茶番も今思えば1つのスキンシップだったのだろう。

なるほど、こういう友情の形もあるということか。

ひとつ勉強になった。


「こほん、そういえばキミの名前をまだ聞いていなかったな」


「完全に蚊帳の外へ追い払われてましたからね。ホント帰ろうかと思いましたよ」


「あはは、ごめんね?」


軽い調子で謝ってくる恋海さん。

絶対許さん。


「そういえば私もまだ高宮くんの下の名前聞いてないんだ。妹さんの名前で名字は知ってたけど」


「あれ?そうでしたっけ?」


そう言われればそうだったかもしれない。

記憶を逆再生して昨日を思い起こす。

……。

………。

ダメだ。

梓の帰還とその後が濃過ぎて全然思い出せない。


「正直自分の名前はあんまり好きじゃないんですけどね。でも流石に橘花先輩に名乗らせて自分が名乗らないわけにはいきませんよね」


「あれ?あれあれ?私の時は?」


恋海さんが何か言っているが聞かない聞こえない。


「俺は高宮那由多たかみやなゆた。一、十、百、千、万の那由多です」


「うわぁ…キラキラネームってやつ?」


「その通りですけど、そんなあからさまに引いたような声出すのやめてもらえます?」


「あはっ」


てへっと言わんばかりに頭に手を当てて舌を出す恋海さん。

超うっぜぇ!


「そうか、だったらあたしも恋海のように高宮と呼んだ方が良さそうだな」


「えー、遠慮せずに『那由くん』って呼んじゃえばいいじゃない」


「そ、そんな気安く呼べるかバカ!」


「ぶっ殺しますわよ?」


「なんで高宮くんも怒るの!?っていうかなにその言い方!?」


つい咄嗟に椎葉の言い方が出てしまった。


「さてさて、親睦も深まったところで話を本題に移そうかな。あ、高宮くんお菓子食べる?」


「本題ってなんか嫌な予感しかしないんですけど。…別に要りません」


「まあ遠慮はするな。せっかくの頂き物だ。ダメになる前に食べてしまった方がいい」


「そういう話なら」


「ちょっと高宮くん?私と桃花ちゃんとで態度が違わないかな?」


こめかみをピクピクとさせながら恋海さんが笑みを向けてくる。


「それは…橘花先輩が言えばただの厚意に聞こえますけど、恋海さんが言うと何か裏がありそうに聞こえますからね。要するに人徳の問題と言いますか…」


「桃花ちゃん!高宮くんが私を虐める!」


「いや、高宮は的確に恋海の性格を見抜いてると思う」


「桃花ちゃんの裏切り者!バカ!アホ!」


「なんか言ってますよ?」


「もう騙されん。あいつの涙は金輪際信じない」


「まな板!鉄板!断崖絶壁!濃尾平野!」


ぶちん。

何かが切れるような音がした。

俺には分かる。

恋海さんが誰のなにを示唆していたのか。

俺には分かった。

誰のなにが弾け切れたのか。

ガシッと橘花先輩が恋海さんの胸を鷲掴む。


「ど、どうしたの?桃花ちゃん。私桃花ちゃんのことは好きだけど、そういう趣味はないいぃたたたっ!」


乳房を力加減なく思いっきり握り潰されて悲鳴を上げる恋海さん。

自業自得だ。


「ごめん!ごめんね!ごめんなさい!桃花ちゃんのおっぱい侮辱してごめんなさいぃたたったぁ!乳首!乳首は洒落にならないってばぁぁあ!!」


どうしてわざわざ追い討ちをかけるようなことを口にするのか?

しかもなんか痛めつけられて喜んでいるようにも見える。

ドMなのだろうか?


「あの、ホントにもう帰ってもいいでしょうか?ってかもう帰りますね」


「ちょっ、ちょっと持って!桃花ちゃん、ストップストップ!このままだと本当に高宮くん帰っちゃうから!」


「…そうだな、これではわざわざ呼び出した意味もなくなってしまう」


「あ…」


そう言うと橘花先輩は恋海さんから離れる。

その際に恋海さんから名残惜しそうな声が漏れたのは……聞かなかったことにしよう。


「こほん、今回高宮くんをわざわざ校内放送まで使って呼び出したのにはちゃんとわけがります」


「やっぱ帰ってもいいですか?」


「ダメです」


そう言われるとさっきまで感じていた嫌な予感が余計に膨らんでくる。

なにがどうとは言えないけれど、きっと碌なことではない。


「確か高宮くんは中等部からの進学組だったよね?で、その中等部には別の小学校からの進学と」


「よく知ってますね」


「生徒会長ですから、ちょ〜っと調べれば簡単に分かることだよ」


情報のセキュリティ緩すぎないか?

この学校のプライバシーは一体どうなっているんだか。


「そんなキミに、そんなキミにだからこそ聞くけれど、キミはこの学校が好きかい?キミは今のこの学校に不満はないかい?」


言われて考える。

特に不満という不満はない。

ある程度校則は緩くて、購買の品揃えもいい。

でも、だからって好きかと聞かれればそうは言い切れない。


「別に好きでも嫌いでもないです。特に執着もなければ出て行きたいと思うほどの嫌悪感もないので」


「ふむふむ、つまりキミはこの学校を詰まらないと思っているわけだね?」


芝居掛かったような言い方で頷く恋海さん。

この人演技とか絶対下手だな。

そして恋海さんは決定的な、おそらくそれこそが1番言いたかったことであろう一言を告げた。


「なら生徒会に入ろうよ」


「帰ります」


「待って待って!そんなに急ぐことはないでしょ?せめて話だけでも、ね?ほら、お菓子あるよ?」


なぜお菓子で釣れると思っているんだ、この人は?

あまりに必死で懇願してくるため取り敢えず腰を下ろす。


「それで、俺に生徒会に入れだなんてなんの冗談ですか?」


「冗談なんかじゃないよ。私は至って真面目」


「だとしたら余計質が悪い。俺に、生徒たちのために活動する生徒会なんて向いてないのは俺自身がよく分かっています。それに今期の役員選挙はとっくに終わって新生徒会は既に結成されているはずですが?」


「そうだね、今期生徒会はもう結成されている。だからキミに生徒会に入ってもらうのは今期ではなく来期。今期は来期に向けての下積みとして生徒会の手伝いを頼みたいの」


「でも____」


「それにキミが生徒会に向いていないなんて私は思わない。むしろ見ず知らずの誰かのために身を投げ出せるキミ以上に適任者はいないんじゃないかな?ね?Tくん?」


ゾクっと背筋に悪寒が走る。

知っているのかこの人は?

あの事故のことを。


「言ったでしょ?私は生徒会なのよ。我が校の生徒のことであればちょっと調べるだけで簡単に分かっちゃうの。それがたとえ2年も前の話でもね」


ただのボケた先輩だと思っていたけれど、どうやら俺は大きな勘違いをしていたようだ。

この人には絶対に油断してはいけない、隙を見せてはいけない。

ボケたフリして裏では獲物を狩るための策を張り巡らせている。

この人はそういう人種だ。


「最初から知っていたんですか?昨日声をかけてきたのも知っていてだったんですか?」


「勘違いをさせたのならごめんね。昨日会った時点では流石の私も知らなかったの。でもキミには興味が湧いたし、あの後キミの人柄についての知っておきたくて調べてみたら____ね」


ホントに緩いなこの学校のセキュリティ。

報道で個人の名前が伏せられてる意味が全くないじゃないか。


「まあそれでも勝手にいろいろ調べられていい気はしないよね。それについては謝るよ。ごめん。

でもキミを生徒会に入れたいっていうのは本気だよ。キミには十分に素質がある。私が保証する」


「あんまり過大評価しないでください。俺はそんな大した人間じゃありませんよ。他人のことばかりにかまけて1番大事だったはずの人を傷つけるような俺に人のために働く素質なんてあるわけがないでしょう」


気が付けば怒鳴るような声を上げていた。

拳は血が滲むほどに強く握られている。

悔やんでも悔やみきれない後悔の念。

未だにあの傷を引きずっている証拠だ。


「帰ります」


居心地が悪くなって俺は逃げるように恋海さんに背を向けた。


「それでも私はキミを諦めないよ。私も今年で卒業だからね。できることならキミのような正義感のある子にこそ生徒会を引き継いでいって欲しいから」


そんな恋海さんの言葉を背に生徒会室を出る。

正義感…ね。

違う、俺のはそんなカッコいいものなんかじゃない。

俺が大事に抱えていたのはひどく独善的な自己満足でしかないのだから。




窓の外はいつのまにか日が沈み、月と星々が空を埋め尽くしていた。


「随分と話し込んでたみたいだな」


とはいってもまだ18時を少し回った程度。

精々1時間半程度といったところだ。

それでもやっぱり辻野に先に帰ってもらっていたのは正解だった。

こんな時間まで待たせてしまっていては申し訳ない。

教室の前まで来ると異変に気がついた。

電気が点いている。

少なくとも人の活動している気配はない。

それなら日直が消し忘れたのか?

不思議に思いつつも教室の戸を開ける。

するとそこには1人の女子生徒が眠りこけていた。

俺は思わずその女子生徒の名前を呼ぶ。


「椎葉」


「ん…スヤスヤ…」


…。

普段から凛としているあの椎葉のこんな無防備な一面が見られるとは、たまには遅くまで残っていくものだ。

とはいえこのまま彼女の寝顔を拝み続けるのは紳士的ではない。

それこそ椎葉の最も嫌う行為そのものだ。


「椎葉、椎葉起きろ」


「スヤスヤ…」


身体を揺すってやるが起きる気配がない。

よっぽど深く眠っているらしい。

よくもこんな硬い机と硬い椅子で座ったまま眠れるものだ。

一周回って尊敬する。

が、ここまで起きないとなれば最終手段を使わざるを得ない。

この技は恐らく小学生男子なら誰もがやったことがあるであろう、使ったが最後先生にこっ酷く叱られる禁断の技。


「悪く思うな、椎葉」


机を思いっきり引く。

ゴンッと心配になるくらいの音を立てて椎葉の額が机の角に当たった。


「な、なんですの!?なんですの!?」


突然のことに混乱したように辺りを見渡す椎葉。

そして俺を視界に捉えると説明を求めるような目を俺に向けてきた。


「すまん椎葉」


全てを話し終えると俺は頭を下げた。

やり過ぎたと気がつくのは大抵の場合やってしまった後なのだ。


「お顔をお上げください高宮さま。わたくしは怒っていませんから」


「いやでも…」


「もう一度言います。お顔をお上げください。あまりにしつこくなさるとそれはそれで怒りますわよ?」


そう言われては頭をあげるしかなくなる。

頭をあげて椎葉の顔を見れば確かに怒っているようには見えなかった。

だが真っ白な額に浮かぶ赤が実に痛々しい。


「確かに高宮さまのなさった行為は紳士的ではありません。しかしながら、わたくしの、教室で眠りこけるという行為が淑女にあるまじき行為だったのもまた事実。つまりはおあいこですわ。それで手打ちとしましょう?」


「椎葉…」


なんて良い奴なのだろうか。

俺は素直に椎葉蓮乃という少女を尊敬した。


「そういえば椎葉はなんで教室に残ってたんだ?」


眠ってしまうほどに眠かったのなら帰って寝ればよかっただけの話だ。

つまり放課後から眠るまでの時間になにかをしていたことになる。


「高宮さまをお待ちしておりましたわ」


「俺を待ってって…別に待たなくてもいいって辻野に言っておいたはずなんだけど」


「わたくし、高宮さまからはそのようなお話を聞いておりませんの」


「辻野からは聞いていたって言ってるようなものだぞ?」


「ツーンですわ」


聞こえないと言わんばかりに明後日の方向を向く椎葉。

そんな光景に思わず口元が緩む。


「まあなんだ。待っててくれてありがとう」


「ふふ、最初からそう言えばよろしかったのです」


今度は悪戯っ子ような笑みを浮かべて言う。

椎葉はここ1年でいろいろな表情を見せてくれるようになった。

それだけ打ち解けてきた証ということなのだろう。


「でも、ホントに今度からは待たなくてもいいからな?別に俺は1人でも問題ないし、なにより椎葉にも他に友好関係があるだろうし」


辻野もそうだけど、俺のために他の友達を疎かにするようなことはしないで欲しい。

この2人は俺と違って


「…またそうしておひとりになろうとなさるのですね」


「ん?なにか言ったか?」


「いいえ、きっと空耳ですわ。そんなことよりもう下校時間はとっくに過ぎてしまっているようですし早く帰りましょう。とは言言いましてもわたくしは下に車を待たせていますので校門までとなってしまいますが」


なにかはぐらかされた気がするが、あまり深くは踏み込まない。

俺たちの中はそれなりに気安いてきている自覚はあるが、まだ隠そうとすることを暴き立てるほど踏み込んだ関係ではない。


「そうですわ、高宮さまさえ良ければお家の方まで送って差し上げますわよ?」


「それは魅力的な提案だけど、すぐ近くなのにそんな手間を煩わせるのは申し訳ないからな。気持ちだけありがたく受け取っとく」


「さようですか。それでは本日のところは大人しく引き下がりましょう。ところで生徒会長さまはどのようなご用件だったのですか?」


「あぁ、俺に次期生徒会に入らないかって誘いだった」


「まあまあ、それは素晴らしいことですわ。高宮さまが生徒会にご加入なされば有意義な学生生活が約束されたも同然ですもの」


本気か冗談か、目を輝かせながら言う椎葉。

なんで椎葉の俺に対する期待値がそこまで高いのか知らないけれど、これでは本当のことを言うのが申し訳なく思える。


「そうですわ、高宮さまが生徒会にご加入なさるのならばこの椎葉蓮乃も役員選挙に立候補致しましょう!」


「いや、そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、その…断ったんだよ」


その言葉を聞いた瞬間、丸くした目を2度瞬かせると椎葉の表情が分かりやすくしぼんでしまう。


「そうでしたの。それは残念ですわ」


椎葉のその反応はお世辞でもなんでもなく、本心からそう思っているような振る舞いに見えた。


「あら、もうこんな場所まで来てしまいましたのね」


椎葉の言葉に気がつくと、いつのまにか俺たちは下駄箱前までやって来ていた。


「ふふ、やはり高宮さまと話していると時間が過ぎるのが早く感じられてしまいます。だからこそその一分一秒をこの胸の高鳴りの示すままに正直に…」


「椎葉?」


「いいえ、なんでもございません」


最近わかったことだが、椎葉はよく自分の世界に入り込んでしまう癖がある。

まあそれでもこっちの話はちゃんと聞いているのは素直にすごいと思うけれど。


「名残惜しいですが、ここでお別れですわ」


校門前には高価そうな黒塗りのセダンがハザードランプを灯して停まっていた。

その前で椎葉が立ち止まり、俺の方へ振り向く。


「本日も高宮さまのおかげで大変楽しい時間を過ごすことができました」


「別に俺だけのおかげってわけでもないだろ」


「そうでしたわね。のおかげですわね」


「まあ、そういうことにしといてくれ」


「えぇ、そういうことにしておきますわ」


2人で一頻り笑い合うと、椎葉が切り替えたように言う。


「それではわたくしはこれで。高宮さまもお気を付けてお帰りくださいませ」


「おう、また明日」


「はい、また明日」


そう言って車に乗り込んでいく椎葉。

椎葉が車に乗り込むと、車はそのまま走り去ってしまった。

こうして現実を見せつけられるたびに思う。

なんであんな住む世界の違う人が俺なんかの友達をやってくれているのだろうか?と。

分かっている。

期待なんかしない。

勘違いなんかしない。

ただ、これはぼっちの俺を哀れに思ったお嬢様が同情的に友達をしてくれているだけ。

だから俺は決して勘違いはしない。

俺はそのあと、2時間前から校門前で待っていたという璃子とともに家へ帰った。

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