母の日

 パートをしているデパ地下の様子で母の日が近いことを知った。もう随分長いこと日付を意識していない。従業員専用の休憩室で、むくんだ足をさすりながらこずえはため息をついた。

 食料品を扱うデパ地下はいつも冷房がかかっていて、取り扱う食品でしか季節感を感じられない。


 夫である健一けんいちを亡くして、すぐに週5日入れる、この寿司屋の仕事が見つかったのはありがたかった。だが、ブランクの長い梢にとっては、疲労が蓄積していくだけの毎日だった。事故の慰謝料が入るにしても、持ち家の実家を譲り受けていても、息子の元太げんたを大学まで進学させるには働くしかない。

 平日は8時間のパートを入れ、休日は溜まった家事をこなして、ひたすら寝るという毎日だった。


 健一の不在はちょっとした癖から毎日のように感じた。無意識に左手の指輪をこする時。夕飯に必ず汁物を用意しようとする時。朝起きて、不自然に空いたベッドの片側を見る時。

 日常のいたる所に健一の存在が潜んでいて、涙腺は緩みっぱなしだ。


 元太には心配をかけまいと気丈に振る舞っているが、そもそもあまり顔を合わせなくなってしまった。

 小さな頃は「お母さん、お母さん」と毎日うるさいくらいにその日の出来事を報告してきたのに、中学生になった途端に無口になり、この頃では髪を長く伸ばし始めた。


 「息子が何を考えているのかわからない」よく聞く悩みを梢も抱えていたが、解消している時間も余裕もなかった。



 母の日の当日である今日、例年繁盛することから、休日にも関わらず梢もヘルプで働くことになった。きっと母の日だから母親を休ませようと夕食をデパ地下の惣菜で済ませる家庭が多いのだろう。結構なことだ。


 元太には夕飯用に千円を机の上に置いてきた。好きなものでも食べなさい、と。自分の夕飯はどうするか、何か自分にご褒美でもするかと考えながら、梢は売れ残りそうな商品に半額のシールを貼っていった。


 レジの締め作業に時間がかかり、いつもより帰りが遅くなってしまった。自分へのご褒美も買えず仕舞いで、くたびれた梢は自転車を押しながら、とろとろと家に帰った。

 玄関をあけた瞬間、ダダダッと階段を駆け上がる音がした。元太だ。そんなに露骨に避けなくてもいいのに。少し傷つきながら玄関をあける。ソースの焦げた匂いがした。


 何事かとキッチンに向かうと、そこには焼きそばとバラの花が一輪置いてあった。


 「よう」

 久しぶりに聞く息子の声に振り向く。


 「遅かったな。母の日だから、焼きそば作った。焦げたけど」

 梢はまだ声が出せない。


 「あとさ、母の日ってカーネーションを送るんだろ? なんでうちの親父はバラだったの? バラってたけぇのな」

 元太はそう言うと、唖然としたままの梢を残して階段を上がっていった。


 『いつもお母さんをしてくれてありがとう。だけど、はいつまでも僕のかわいいお嫁さんだよ』

 健一は母の日にいつもそう言ってくれた。大きなバラの花束を抱えて。


 一足遅れて涙が溢れた。


 元太は健一と私の子供だ。いつかわかり合える日が来る。

 その確信を胸に、『健ちゃん、わたし頑張るよ。』

 心の中でそう誓った。

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