(4)
「でも、あたしの前で宣言したからには、ちゃんとやりなさいよ……」
できないと言われた直後に、応援するような言葉が飛んできて、岳は戸惑った。
彼女の性格上、先に出てきた、不可能という言葉が、彼女の本当の気持ちだろう。
そう考えてしまった岳は、後の言葉を素直に受け取る事はできなかった。
「もしかして……煽ってる……?」
「……は? どうして、そーなんのよ……!」
「不可能だけど、やるだけ頑張ってね。不可能だけど」という風に、岳には聞こえてしまった。
しかし、彼女の方にはそんな意図など全くなく、ただ、自然と出てきただけだった。
優しい言葉を掛けたつもりが、解釈を間違えられて、光琴は恩を仇で返された気分になる。
彼女は、眉間にしわを寄せて、岳を鋭い眼で睨みつける。
「もういいわよ! あんたにはぜったいできないから! やるだけムダ! あんたなんかとっとと姉に捨てられて! そこらへんで地べた這いずりながら死んじゃえ!」
弾丸のように撃ち出された暴言に、耳を塞ぎたい気持ちを抑える。
三人の話が一段落したところで、岳は、以前、田辺と交わした会話の事を思い出す。
姉妹なのだから、何か知っている事もあるだろうと、彼は真琴の事情を知る一つの手段として、光琴を押していた。
岳としては、真琴を救う為の知恵を出してもらう予定だったが、彼女の話を聞く限り、それは望めそうにない。
それでも、光琴が知っていて、岳の知らない真琴の情報は山ほどあるはずで、その中から一つでも、有用なものがあればいいのだ。
「……真琴さんのことでいくつか質問してもいい?」
「別にいいけど……へんなことは聞かないでよね」
怒っていた彼女は渋々だが、そう答えた。
岳は言葉を選び取りながら、続けて、彼女に質問を投げかける。
「真琴さんの中学の頃のことで、知ってることがあれば教えてほしいんだけど……――――」
彼女は不機嫌ながらも、真面目に答えてくれて、岳も大いに助かった。
それに、彼にとっても有意義な情報も得られて、思いの外、田辺の助言が役に立った。
――真琴さんが中学の頃、好きだった人……
どんな人物なのか、会ってみるまでは分からないが、光琴の話を聞く限りは、悪い人ではないようだと、岳は見知らぬ男の人物像に、思考を傾ける。
――これが真琴さんを救うことに繋がってくれれば……!
淡い希望を抱きながら、岳とその後輩の女子二人はカフェを後にするのだった。
光琴には、随時経過を報告していく、という形で話がついて、三人はその場で解散する事になった。
奥村が光琴を迎えに来て、一緒に歩いて帰っていき、新村と岳の二人は電車に乗る為に、駅のホームへと向かった。
「椿本先輩。私と帰る方向、おんなじなんですね」
そう言って、同じホームに辿り着いた二人。
快速か普通かで乗る電車が違うかもしれないと思いつつ、帰宅する人々で混雑した中を進んでいく。
人が並んでいるところで比較的空いている列に、岳が並ぶ。
すると、横を歩いていた彼女も、彼の隣に並んでみせた。
眼鏡を掛けた、岳の後輩である女の子。
新村は、普段はとても大人しく優しい雰囲気だが、岳を問いただす時は、真剣な面持ちで向かってきた。
友人思いの彼女だからこそ、光琴の問題にも関わろうとしている。
光琴も彼女への信頼は厚いはずだった。
そんな彼女と仲良くする事は、光琴との良好な関係に繋がってくるだろう。
それを置いておいても、岳は彼女と仲良くしたいと思っていた。
「ホントだね。降りる駅も同じかもしれない」
「それはないと思いますけど……先輩は降りる駅どこですか?」
一つ先の駅である事を彼が伝えると、偶然にも彼女も同じ駅で降りる事が分かった。
加えて、彼女の通っていた中学校が、岳の通っていた中学校の隣の校区であるという事も知った。
校舎も、川を挟んだ隣にあるという割と近い場所にあった。
駅からの帰り道も被っていて、川を渡る橋までは、二人で帰る事ができるだろう。
「それなら、先輩と長く話せますね!」
にこりと微笑む彼女に、岳は癒され、その感覚が久しぶりである事に気がつく。
彼が関わっている女性の中には、彼女のように優しい対応をしてくれるような人物はいないと言っても過言ではなかった。
真琴には殺され、安久には遊ばれ、木下には見張られ、光琴には罵倒される。
一時期は真琴が癒しにはなっていたのだが、オープンキャンパスの日以来、ただ殺される日々が続いている。
唯一の癒しを提供してくれる人物を今日見つけたからには、大切にしていこうと決めた。
そんな彼に、彼女は唐突に尋ねかける。
「あの……先輩に聞いてほしい話があるんですけど、話してもいいですか?」
彼女の話ならば、いくらでも聞いてあげようと、彼が首を縦に振ると、彼女はお礼を言いながら話し出す。
「ありがとうございます。私自身の昔の話なので、つまらなかったらごめんなさい。私、幼稚園に入る前から仲の良かった、幼馴染の男の子がいたんです。彼とは幼稚園、小学校と一緒で、家族ぐるみの付き合いでした」
彼女の過去の話に、岳は真剣に耳を傾けていた。
電車がゴトゴトと音を立てながらやってきて、二人の待つ駅のホームで停車する。
プシューと鳴りながら扉が開く間も、彼女は話を続ける。
「多分、私は、彼のことが好きだったんだと思います。バカだった私は、彼がいなくなってから、そのことに気づきました」
彼女は悲しそうな眼をしながら、動き出す前の人について行く為に、歩みを進める。
二人が電車に乗り込むまでの間、彼女は口を閉じたままで、岳はどうしていいか分からず、そわそわしていた。
いなくなった彼というのは、本当に亡くなってしまったのか。それとも、どこか遠くへ引っ越してしまったのか。
聞くに聞けず、混みあった車内で、二人は至近距離で対面する。
彼女は顔を上げて、笑顔を交えながら、再度、口を開いた。
「好きだって気持ちを伝える前に、私の恋は終わってしまいました。そんな私みたいには、先輩はならないでくださいね」
「ありがとう……新村さんもあんまり思いつめないでね」
「はい」と返事をする彼女は、また俯き加減の姿勢に戻ってしまった。
過去にあった辛い出来事を口にしてまで、自分を励ましてくれた新村。
その行為に感謝すると共に、岳は彼女の事が心配でならなかった。
彼女の心を癒してくれるような、素敵な人がいたらいいのにと、願わずにはいられない。
そんな人物が自分の周りにいるかどうか、探してみる岳の頭に一人の男が思い浮かぶ。
――いや、田辺はないだろ……
ゲームの事しか頭に無いような男なので、流石に紹介するのは躊躇われる。
一応、彼の存在について話してみようとしていた時、彼女の方から、言葉を漏らした。
「実は私……二つ、嘘をついていました」
「え……?」
困惑する岳を気に留める事無く、彼女は一つ目の嘘について話す。
「一つは、先輩が降りる駅の事です。私と同じ駅で降りるって知ってました。中学校も、私の通っていたところのすぐ近くだって、知っていました。電車で降りる駅が同じで、一緒に帰れるなら、先輩と二人きりで話す時間があると、そう思ってました」
「僕と、二人で話したかったの……?」
「そうです」
頷く彼女に、岳は「なんで」と疑問の言葉を漏らす。
彼女はそれにも取り合ってはくれなかった。
さっき程までの談笑していた時の彼女とはまるで様子が違っていた。
数分で、電車は駅に着いて、二人は黙々と電車から降りる。
駅のホームから階段を上って、改札を抜け、通路を歩いた後に、階段を下りる。
他の乗客と同じ行動をしながら、駅のロータリーに出ると、ようやく彼女は、二つ目の嘘について話し出す。
「二つ目は、みぃちゃんのお姉さんと、木下先輩の会話のことです。私が聞いたのは、あの言葉だけって言いましたが、違います。全部、聞いていました。みぃちゃんのお姉さんが、先輩を殺してるってことも。それを条件に付き合ってるってことも」
岳には、彼女の意図が全く分からなかった。
聞いていたのなら、光琴に話せばよかったのだ。
そうすれば、岳はあの場で、光琴に罵倒され、謝罪する事しかできなかっただろう。
彼を困らせたいなら、それが一番効くはずだ。
――どうして今更、それを僕だけに……?
考える岳は、歩みを止めない彼女についていく。
そして、二人は、通っていたそれぞれの中学校を隔てる川に、架かった橋へと、辿り着いた。
「みぃちゃんを巻き込みたくなくて、嘘を吐きました。ごめんなさい。でも、先輩にとっては、それで都合が良かったのかもしれませんね。こんなこと、みぃちゃんが許すはずがないです」
「巻き込みたくないって……今から僕を脅したりしないよね……?」
真琴との殺し殺されの関係と、それを条件に付き合っているという事。
脅す為の材料は揃っている。
恐る恐る尋ねる彼を見て、彼女は口元を少しだけ歪めてみせた。
「そうですね。それに近いことかもしれません。先輩、私と……私の為に――――」
だが、街頭の光に反射して、片目だけ覗かせる彼女の瞳は、笑っていなかった。
「――――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます