(3)
「な、なんの、話かな……?」
動揺しているのを二人に悟られないよう、岳は口を開いた。
少し震えた声に加えて、目も泳いでいるその様子は、全く動揺を隠しきれていなかった。
岳がそうなるのも当たり前の事だった。
――どうして、彼女が知ってるんだ……!?
真琴が岳を殺している事は、二人だけが経験している事象で、二人しか知り得ない事だ。
つまり、岳と真琴が殺し殺されの関係にあるという情報は、二人の内のどちらかからしか漏れる事はない。
勿論、岳は新村だけでなく、他の人にその情報を話していない。
――真琴さんが、話したのか……?
新村の隣にいる光琴は、真琴の妹なのだから、既に相談済みという事もあり得ない話ではない。
ただ、岳に質問してきたのは、彼女ではなく、その友人である新村だった。
――真琴さんの……姉の事情を、妹である彼女が、友達に話す……か?
一心に見つめる光琴に、岳は目をやる。
怪しい素振りがないか、じっと見張るような彼女の目つきに岳は、その線は薄いのではないかと思い始める。
彼女が既に事情を知っていたなら、友人になど相談せずに一人で向かってくるだろう。
それをしてこなかったという事は、もっと別の理由があるはずだと、岳は考えを及ばせる。
そして、呼応するように、新村が話し出した。
「今年の花火大会の日。私は、みぃちゃんと待ち合わせをしていました。この喫茶店で、今日と同じように紅茶を頼んで、みぃちゃんのことを待っていたんです」
あの日、光琴が去り際に、誰かと待ち合わせしていると言っていた。
岳もそれを聞いていたが、その待ち合わせ相手が新村の事だったらしい。
「紅茶が私の元に運ばれて来てすぐのことです。私の隣の席に、二人の女の人が座りました。一人は自信がありませんが、多分、木下先輩でした。もう一人は、私でもすぐに誰なのか分かりました。みぃちゃんのお姉さんの笠嶋先輩です」
彼女の話を聞いて、岳はあの日の真琴の行動に関して、納得する。
オープンキャンパスに行った日に、真琴は急に用事があると言って、岳と別れた。
その時間に真琴は木下と話していたのだと知って、岳は真琴の事を感心する。
オープンキャンパスに一緒に行き、別れた後は木下と話をして、終わったら、家に帰って浴衣に着替えた後、また駅まで戻ってくる。
そんな濃い一日を彼女は送っていたのだった。
そして、真琴と木下との話の席を偶然、居合わせたという後輩の女子生徒。
「二人は何か揉めているようでした。あまり聞き取れませんでしたが、椿本先輩のことも話していたと思います。その時に聞こえてきたのが、先ほどの言葉です」
新村は、二人の会話の中から偶然、あの言葉を聞き取った。
真琴が木下にどの程度説明していたのかは定かではないが、詳細に話していた可能性もなくはない。
それを新村が聞いていたとしたら、真琴と岳の契約内容が、全て筒抜けであるという事になる。
「それ以外のことで、聞こえたのは……?」
彼女がどこまで聞いたのか気になり、彼が尋ねると、彼女は首を横に振ってみせた。
「私の耳に入ったのは、そこだけで、みぃちゃんに話したのもそれだけです」
それを聞いて少し安心する岳に、光琴が問い詰めようと身を乗り出す。
「どーゆーことなんですか? あんたが殺されてるだけって、なにかの暗喩? 二人でなにしてるんですか?」
「殺されている」という単語を聞いて、それをそのまま受け入れていない彼女の反応は、まともだった。
真に受けていたら、目の前に存在する男は誰なんだという事になってしまう。
死んだ人間が目の前にいるはずもなく、彼女は、新村から聞いた言葉を、何かを隠す為の暗号のようなものと思っている。
それは、岳にとっても都合が良かった。
「そりゃあ、ホントに殺されてたら、ここにいるわけがないからね。多分、僕に厳しく勉強を教えてることを、真琴さんが勝手にそう表現してるだけだと思う……」
せっかく、うまい具合に自分で話を纏める事ができそうだったのに、その言い訳は苦しかった。
岳は自らの首を絞めてしまったが、言ったものはしょうがない。
その嘘で、この場をなんとか乗り切るしかないのだ。
勿論、光琴は彼の言い分では納得できておらず、引き続き、彼を問い詰める。
「いや、さすがに無理がありませんか? 『勉強を教えてるだけ』ってことを、『殺されてるだけ』という言葉に変換する必要もないと思いますけど。そんな嘘はいいから、本当のことだけ話してくれません?」
先ほどの嘘を補足できるほどの話術を、岳は持ち合わせていない。
かと言って、本当の事を話したとしても、彼女が納得できるとは思えなかった。
何を話しても納得しないのなら、いっその事、事実を話してみるかとも思った。
だが、やはり、真琴の許可なしに話す事はできないと、彼は頭を悩ませる。
このまま、彼女に押されていれば、岳が概要だけ話してしまうのも時間の問題だろう。
それに気づきながらも、彼女は、答えない岳に問いただす事をやめて、目を伏せながら、話し出す。
「姉が襲われた事件の一端は、あたしにもあると思っています。というか、全部あたしのせい……あの時、あたしが親にわがまま言ったせいで……姉はあんな目に遭いました」
中学三年生だった真琴が男に襲われた、忌々しい事件を自分のせいだと言い張る光琴。
急に出てきたその話に驚きながらも、真剣に聞こうと岳は、身構える。
すると、彼女の目元から、ぽたぽたと雫が落ちていくのを、彼は見ていた。
隣にいた新村が、すかさず彼女にハンカチを渡して、声を掛けながら慰めている。
お礼を言いながら、受け取ったハンカチで涙を拭う光琴は、続けて言う。
「塾の帰りは、親がいつも、姉のことを迎えに行ってました。それを、事件の日は、あたしが行かせなかった……」
「……どうして?」
彼女がそう尋ねてほしそうにしているように見えて、岳は思わず口を挟んだ。
「その時のあたしは、姉が羨ましかった……妬ましかったの。やること全部が、姉優先で動いていく……そんな世界が嫌だった。だから、邪魔してやった」
下唇を噛みながら、恥を忍んで、彼女は岳に話している。
それを真剣に聞く事が、今の彼にできる精一杯だった。
「そしたら、あんなことになって、それから……おねえちゃんは、おかしくなっちゃった……」
頭の中の纏まらない言葉を必死に紡ごうとしている光琴は、あの事件の責任が自分にあると、本気で思っていた。
自分の中に潜んでいた醜い部分が、表に出てきた結果、姉が男に襲われる事件に繋がってしまったのだ、と。
「あたしの前では、無理して、いつもの自分を演じてる。でも、男を前にした途端に、おねえちゃんは、顔も体も強張ってるの。そんなおねえちゃんが、どうして、あんたなんかと付き合えるの? 教えてよ……! あたしが! あたしのせいだから、どうにかしなきゃいけないの! だから、教えてよ……!」
マシンガンのように飛んでくる彼女の言葉を受け止めながら、彼は考える。
彼女の気持ちを理解した上で、それを尊重してあげたいとも思ったが、やはり岳には、二人の関係を詳細に話す権利は無かった。
真琴自身が抱えている複雑な問題であるという事もあるが、それよりも、岳自身の罪悪感の方が、彼の口を噤ませていた。
彼女から提案してきた契約ではあったが、彼は彼女の苦しみを利用して、彼女と付き合っている。その罪悪感だ。
それを知れば、光琴も、絶対に彼を責め立てるだろう。
何故、自分の欲望の為に、彼女に殺される事を受け入れてしまったのか。
それを正当化しようと、「彼女を救いたい」などという言葉で、取り繕っているに過ぎないのかもしれない。
――ああ。だから、真琴さんは、怒ってるのか……
彼女にとって、その言葉は空気よりも軽いものにしか感じられなかったのだ。
岳は、それに気づいた途端に、軽はずみに彼女の前で、宣言して、あんなメッセージを送ってしまった自分を責める。
しかし、今の彼が向き合うべき相手は、目の前にいる彼女の妹だった。
岳は息を吐いて、自らの心を落ち着かせながら、語りだす。
「真琴さんが、自分のことを君に話さないのは、これ以上、心配を掛けたくないのと、そんな風に自分を責めて苦しい思いをさせたくないからだと思う。話してしまったらもっとそうなるって分かってるんだ」
「君は優しいから」という言葉を呑み込んで、岳は続けた。
「詳しくは言えないけど、真琴さんは今、苦しい状態で、僕がその手助けをしてる。今はたぶん、僕以外への苦しみの共有を、真琴さんは望んではいないと思う。それが実の妹なら尚更だよ」
「じゃあ……あたしはどうしたらいいの?」
掠れた声で、彼女は岳に問いかける。
彼女も、自分を責める事をやめて楽になりたいのだろうが、解放してあげる事は、岳にはできそうにない。
その役目は岳ではなく、真琴なのだ。
「現状で君ができるのは、真琴さんが助けを求めてきた時に、協力してあげることだけだと思う。その代わりに、僕が真琴さんを救ってあげないといけない。彼女の苦しみを解消するには、今のままじゃダメだから」
言っている事は、最初と何も変わっていなかった。
具体的な事は何も言えない、中身のない話だという事は、岳にも分かっていた。
それでも、この場では、彼女にそう理解してもらうしかなかった。
「そんなの……あんたになんかできっこないよ……!」
このまま話を続けたとしても、ずっと平行線で終わる事はないだろう。
真琴は、光琴の事を面倒くさい性格だと言っていたが、それは裏を返せば、責任感が強く、粘り強い性格でもあった。
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