(10)
――なんのために、ここに来たんだっけ?
大学の構内を歩いていた安久美乃梨は、ふと気になって思案する。
この大学に興味があったわけでもないのに、オープンキャンパスにわざわざ足を運び、元彼氏に謝罪した後、すぐに帰路に着く。
意味がない事も無かったが、自分だけの考えでは絶対に行かなかっただろうと、安久は思う。
今日のオープンキャンパスに行くきっかけとなったのは、安久と同じ年齢の女子二人が関係していた。
一人は、静かで、人を見惚れさせるほどの美人な女子高生。
一人は、活発そうで、人当たりの良い女子高生。
二人の共通点は、同じ高校の同じクラスの人間であるという事。
そして、椿本岳という人間を知っているという事。
それだけで、自分と連絡を取り合う理由には十分であると、彼女自身も分かっていた。
何故なら、中学時代に彼と付き合い、彼を壊しながら愉しんでいたのは紛れもなく、自分なのだから。
だからと言って、安久は彼に対する罪悪感などは微塵も感じていなかった。
彼を苦しめると同時に、それ相応の愛情を彼に与えたつもりだったから。
ならばどうして、先ほど彼の前で謝罪などという行為に及んだのか。
端的に言えば、彼女の中の気分が変わったからに他ならなかった。
ある女性と話をして、自分の中に変化が生じた事を、安久も気が付いていた。
二人の女子高生の内、前者の女子とは、今週の月曜日に会った。
大手チェーンの喫茶店で、安久は彼女と二人きりで向かい合い、話をした。
「安久美乃梨さん……ですよね? こんばんは。私が笠嶋真琴です」
安久の座っていた席に近づいてきた女子高生は、礼儀正しい様子でそう挨拶すると、彼女と対面するように座った。
手に持った甘いコーヒードリンクを机に置くと、二人はお互いをまじまじと見る。
安久が彼女を初めて見た時に抱いた感想は、美人だった。
気品のある立ち振る舞いに、整った顔立ち。スッとした綺麗な姿勢の身体。容姿の全てが完璧な女子高生。
――ふーん。がっくん今、この子と付き合ってるんだぁー。へぇー……
感心するとともに、何か
中学時代の彼しか彼女は知らないが、それでも彼と目の前にいる彼女が吊り合っているとは到底思えなかった。
とりあえず挨拶をされたのだから返そうと、安久は自らの口を開く。
「こんばんはーみのりだよー。真琴ちゃんって呼んでもいい? あと同い年なんだから、お互いタメ口でいいよねー?」
彼女は頷くと、砕けた感じの話し方の安久に、少し安堵するように息を吐く。
――あれれ? 怖いイメージでも持たれてたかな……? まあ、がっくんから聞いてたらそう思われても仕方ないかー。
岳から中学の頃の話を聞いて、自分を化け物のような女とでも思っていたのだろうと、安久は予想する。
「それで、みのりたちのこと、がっくんからどこまで聞いたのかな? 全部? それともちょこっとだけ?」
「実は、あなたたちのこと、彼からは何も聞いてないの。あなたと連絡を取るために経由した友人の方には少しだけ聞いたわ。色々と揉めてたって」
「ふーん。じゃあ、それをみのりに聞きに来たってわけねー。みのり、がっくんに結構ヒドイことされたから、聞いたら真琴ちゃん、がっくんのこと嫌いになっちゃうかもしんないよー?」
安久は彼女を軽く脅したつもりだったのだが、彼女の方は特に気に留める様子もなく、首を横に振る。
安久が言った事とは異なる理由で、自分に会いに来たらしいのだが、他に思い当たる節がない。
頭を悩ませていると、彼女の方から説明される。
「今日はあなたにお願いをしに来たの。あなたは明日も、今日みたいに誰かと会うことになるはずなんだけれど、そのヒドイ話を明日会う“彼女”にしてあげて欲しいの」
予言者のような事を言う彼女に、安久は自らの首を傾げる。
明日も誰かと会うというのは、彼女がそう仕向ければできそうだが、どうして、彼女は自分の彼氏を貶めるような内容の話をしてあげてほしいなどと求めるのか。
その意図を安久は理解できない。
「それって誰……? がっくんと、真琴ちゃんと同じ学校の人?」
「そうよ。同じクラスの人だもの」
「そんな人に、ホントに話しちゃっていいの?」
続けざまの質問に彼女は快く頷く。
「ええ。そしたらきっと、“彼女”も喜んでくれるでしょう」
「その人からがっくんの悪い噂が学校中広まっちゃうかもしれないよ?」
「“彼女”が噂話を広めるような、そんな段階ではまだない気がする。それに、あなたはもう広めるつもりも無いんでしょう? だったら、心配する必要は無いわ」
確かに彼女の言う通りだった。
もう既に椿本岳をどうこうしようという気は、安久の中には無かった。
それを見透かされていた上に、彼女の瞳は、安久の想像以上のその先をも視ていた。
「安久さんも愉しかった――――? 彼で結構遊んだんでしょう?」
彼女のその言葉に、安久が意表を突かれたのは間違いなく、自らの目を大きく見開かせる。
同時に、彼女には敵いようがないと悟った。
彼女は全てを知っている。識っているのだ。誰に聞くでもなく、自分の中で答えを見出して、完結させている。
この人が今、岳と付き合っている女性なのだと、再度意識した途端に、安久の中にあった線のようなものが切れた気がした。
――そっか……もう、みのりのものじゃなくなったんだ……
彼と離れてからも、心のどこかに彼の存在があった。
だから、そんな言葉が自然との頭の中から浮かんできたのだろうと、安久は納得する。
「うん。愉しかったなぁ……でも、がっくんには悪いことしちゃったかもね……」
ぽろっと反省するような言葉が自分の中から出てきて、安久は驚いた。
そんな困惑したような表情を見て、彼女はクスリと笑いながら話を続けた。
「じゃあ、今週の土曜日にでも彼に直接謝ったら良いと思う。それで許してくれるとは限らないけれど」
「土曜日……?」
また彼女の口から新しい単語が飛び出してきて、それを繰り返した。
彼女は今週の土曜日に開催されるオープンキャンパスについて、安久に話し出した。
笠嶋真琴の言う通り、後者の女性とは、火曜日に会った。
自分とどこか似ている明るい感じの女子高生。
似ているのは明るいところだけでなく、それに隠れた陰の部分が存在しているところも似ていた。
昨日と同じ、喫茶店の同じ席で、初対面のその人物と顔を合わせる。
「初めまして。わたしは木下亜美。今日は椿本岳くんについて聞きに来たんだー」
中学時代の彼の事について、彼女に聞かれる事は、既に分かっていた。
そして、真琴の言う通り、岳にされた酷い事を詳細に話すと、彼女は表情には出さないが、嬉しそうにこう提案してきた。
「椿本くんだけが幸せなのって許せなくない? だからさ、二人の邪魔をしてほしいんだけど……――――」
真琴と月曜日に話し、火曜日に彼女と話した事で、安久の中で全てが繋がった。
そして、真琴が土曜日に何をしようとしているのか、理解する事ができた。
今週、二人の女子高生と会った事で、今日、この大学に赴き、そして今、この大学を後にしようとしている。
利用されたと言えばそうなのだが、それでも何かスッキリしたような気分になっているので、それでいいかと安久は思う。
そして、歩いていた安久は、目の前にその存在を見つけ、自らの足を止める。
「どうして……? 椿本くんが許せないんじゃなかったの?」
口を開いたその人物は、眉間にしわを寄せて、安久の方を睨んでいた。
完全に怒った様子の彼女に、安久は面倒くさい事に巻き込まれそうだと、ため息を吐く。
しかし、それは杞憂だったようで、目の前にいた彼女の顔つきが急に変わりだした。
彼女の目は安久ではなく、その背後にいる誰かへと向けられている。
一連の彼女の表情の変わりようから全てを察した安久は、笑みを浮かべながら、その口を開いた。
「どうしてって? 彼女に聞いたら分かるかもよー?」
安久は、彼女が見つめている先へと振り返る。
そこには、美人と形容するに相応しい女子高生が立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます