ある後輩〜その1「ゴトウちゃん」(後)

そんなゴトウちゃんを残して、私は会社を辞めた。

そのあとも「読み聞かせ」があったのだったか記憶が曖昧だけど、完全に切れてなかったことは確かだ。ゴトウちゃんから突然封書が届いたのは、辞めてだいぶ経ってからだったので。


目的が思い出せないのだけど、私たちはある日、市役所のロビーで待ち合わせをして、かなり久しぶりに会った。それが封書を受け取ったことと関係していたように思うのだけど、その封書も彼の小説原稿が入っていたのか、ただの手紙だったのか、あまり覚えていない。別れ際にこっちを振り向いたゴトウちゃんは、確かに分厚い事務用封筒を持っていたので、私が送りつけられた原稿を返すために会ったのかもしれないとも思う。でも、原稿を読まされたにしては、まったく内容を思い出せない。


いずれにしても、その時のゴトウちゃんの顔は珍しく明るかった。とある出版社の人と渡りがついたとのことで、近々会うらしかった。それを伝えるために、わざわざ私を呼び出したのだったか??


でも、ゴトウちゃんの小説が出版されたという噂はついぞ聞くこともなく、ゴトウちゃんからの連絡も途絶えたきりだ。もうずいぶん前の話だ。


ゴトウちゃんは私が辞めてからもしばらく会社に在籍していたが、生活管理ができないことを周りがある程度許容していたにしても、キャリアが進むにつれて本人がつらくなり、限界が来ることは想像に難くない。私が最後に会った時は、おそらくもう退社していたんだったと思う。


退路を断って書いた小説。もしその道で日の目を見なかったのだとしたら、彼は立ち直れただろうか。いつもたいてい顔色が悪く、ひょろひょろしていてヘラヘラしていて、でも時に鬼気迫る形相で机に向かっていたゴトウちゃん。

何かに没頭し過ぎて常にバランスを欠き、制御不能な情熱を持て余し、生活も自分自身をもコントロールできず、何かに憑かれてるんじゃないかという感じの彼の有りようを思うと、ほかの道でふつうに生きているゴトウちゃんが私にはどうしても想像できない。作品が完成すると、後先も都合も考える隙間が頭の中にないくらい一直線に、夜中に電話してくるようなヤツだ。小説を書くことだけを、生きる原動力にしているようにさえ見えた。


ゴトウちゃんのことを思い出す時、私の中でゴトウちゃんはもうこの世にいないことになってしまっていたことに気づいてビックリすることがある。どうしてそんなふうになっていたかってあらためて考えると、この世にゴトウちゃんの小説がない=ゴトウちゃん本体だけがどこかにいるわけがない、ということみたいだ。


いや、もちろん、どこかでヘラヘラ笑って生きていて、あのころは若かったっすよって言いながら、ほかの道でがんばってる(夜中にこっそり小説を書き続けながら?)ゴトウちゃんにも会ってみたいけど。


なにより、時々妙にかわいいヤツだった。

最後に、私が一番好きなエピソードを紹介したい。(多少お下品なので、イヤな方はスルーで)


私たちの会社の近くで、なぜかいつも路上に嘔吐物がある界隈があった(近所に悪酔いする店でもあったのか??)。

ある時ゴトウちゃんと二人きりでクライアントのところへ打ち合わせに行く機会があって、ちょうどそこを通ると、また新しいブツが飛び散っていた。そのあたりの歩道には、過去の痕跡がいくつもカタになって染み付いていて、どんな強力な成分が含まれてるのかと驚くほどだ。

「なんでこのへんって、いっつもコレがあるんだろ? やっと風化してきたと思ったら、すぐまた別のが出現するよね?」

その部分を遠回りしてよけながら、私は文句を言った。

するとゴトウちゃんはヘラヘラしながら、「でも雨が降れば、すぐに洗い流されますよ!」と言うのだ。

「あのねゴトウちゃん、雨が降ったら、今度はコレが雨水に溶け込んでそこら中に流れて広がって、私たちはそれを踏んだり、跳ね上げたりするわけでしょ? 知らない間に足元についちゃってる気がしてイヤなんだよね」と顔をしかめる私。

「そっか、じゃあ晴れが続いて、乾いてなくなる方がいいってことですね!」

「それもダメ。乾燥したら、今度は細かいチリになって風に飛ばされて、服や髪につくかもしれないんだよ? どっちもダメだよ」

するとゴトウちゃんは最高にヘラヘラしながら、

「あぁ、つまり、ってことなんですね!!」と、私のどーでもいいグチに機転の利いた「結論」をつけてくれた。

あの時の、いかにもおもしろ可笑しそうな笑顔が忘れられない。


この世のどこかで、今でもそんなふうにヘラヘラと生きていてほしいよ、ゴトウちゃん。相変わらずこっそり(商業出版はされない)小説書いててもいいから。

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