村上春樹「〜多崎つくる〜」からの。(1)

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またまたこの個人史の「史」からは若干外れますが、「読む」の方の話です。

出だしは、カクヨムの別エッセイと同じですが、違う内容です。

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私がカクヨムに現れない期間があるとすれば、以下のどれかです。


・仕事が立て込んでる

・私用の雑事が立て込んでる

・所用で数日不在になっている

・録画が溜まってHD容量を圧迫してる(せっせと視聴して消去せねばならない)

・読んでる紙の本が佳境に入っている

・夫のM夫くんの風邪をうつされてダウンしている

・その他


というわけで先ごろ数日間、上記5番目からの「カクヨムお留守」期間があった。

読んでた本は「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」。お留守期間が伸びていたのは、この本の謎解きサイト、さらにはそこでリンクされていたアマ○ンレビューまでをも漁っていたから。


ここでどうでもいい”注”を入れておくと、私は古本派なので、作品はたいてい刊行されてからかなり周回遅れで読んでます。文庫化されて、さらに古本市場に出回ってから入手するから。


で、「多崎つくる」ですが、今さらなので内容に触れるつもりはないのだけど、またまたレビューを見て思ったことがあったので、それを書きます。以前もここに投稿した「読み専と大河と朝の連ドラ」と似たような話になること、ご容赦ください。


たぶんアマ○ンレビューでは前々から、ほかの村上作品についても似たようなレビュー(感想)はついていたのだろうと想像するのだけど、「多崎つくる」は出版時にイベント的大騒ぎになって世界的にもものすごく売れたのもあって、注目度が大きかったことも関係してるのかもしれない。その結果、これも想像だけど、ファンじゃなくても手に取った人が多かったので、その分、批判的コメントが多めだった?(実際は確かめてないので不明)


その中で私が気になったのが、ざっくり表現すると次のようなもの。

・主人公の設定がいつも都合良過ぎる。孤独とは言っても、たいてい女性に不自由してない。リアルの自分の孤独とは違い過ぎてウソ臭い、共感できない。

・こんな回りくどい会話する人、自分の周りのリアルではいない。

・余計な説明が多いから全体がムダに長い。


これらを書いてるのは、たぶんいわゆる「ファン」じゃないのだろう。もちろん、ファンでも好き嫌いが分かれる作品はあるし、批判的な感想を抱く場合もある。

でも、私が気になったのはもっと根本的な部分のことで、「だったら、わざわざ小説というものを読まなくてもいいんじゃないか?」「だったら、○○氏の小説じゃないものを読んだ方が楽しめるのでは?」ってことだ。


大前提として、どんな感想でも抱いていいし、それを書く(公言する)権利は否定されない。

もしかすると、本当に万人に受け入れられる小説というものがあって、それを書けてない時点でその作家は批判を甘んじて受け入れるべき。なのかもしれない(???)


でも、私の勝手なこれまでの感覚で言うと、批判するにしても、立ち位置と言うか方向性と言うか、そういうものがちょっとズレてるものが意外に多いような気がしてしまうのだ。


長いので、いったん切ります。

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