朝の連ドラから「伏線」について考える。

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またまた個人「史」からは外れますが、たまたま聞いた話から。

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先日、運転中にたまたまラジオをつけたら、聴取者からの投稿を読み上げていた。内容は、今やってる朝の連ドラの感想で、それを受けてパーソナリティが言ったことがとても気になった。


今の連ドラを知らない方のためにちょっと説明すると、その当時はちょうど主人公が「戦争で生き別れた妹を探し出して会いたい」という方向へ邁進するくだりをやっていて、それについてパーソナリティは「展開がいきなり過ぎる」「このタイミングでこのエピソードをはさんだ意味がわからない」というようなことを言ったのだ。

つまり、主人公が、それまでのストーリー展開で生き別れの妹のことを気にしてるように見えなかった、もしこういう再会のエピソードを入れるなら、いつも妹のことを気にかけているということがわかるような「伏線」を頻繁に入れてくるべきだった、ということだ。


それを聞いた私、少なくとも自分は妹のことが気になっていたので、このエピソードが余計とは思わなかった。挿入するタイミングも、そんなにおかしいとも思わなかった。


問題は「伏線」なわけだけど、まったくないわけじゃなかった。たぶん、パーソナリティ氏自身は、主人公の中で妹案件は(未解決のまま)すでに終止符が打たれたと思っていたのではないだろうか。だから、視聴者にそう思わせないような伏線が必要だった、と言いたいのだろう。


伏線は、もちろんあっていい。

でも、あった方がいい場合が多いかもしれないけど、ないと絶対にダメというものでもない気がする。


そこで、私がまた思い浮かべていたのは、「事実は小説より奇なり」という言葉。

「あの人、実はそんなこと考えていたのか。傍目にはまったくわからなかったけど…」ってことが、リアル界ではゴロゴロしてる。

でも、小説界では、「そんなこと考えていた」ことをうすうす読者にわからせる、意識させるような仕掛けや前ふりがあった方がいい、それをさりげなく置いておく、またはわざとらしくなくちりばめるのが、技量ある作家なのだ。というふうに考えられている。


まったく、異論はありません。

ありませんが、たとえば推理小説じゃない限り、必ずしもそうじゃないとも思う。


実際に今の朝の連ドラで、妹のことを思っている様子が意識的にちりばめられていたらどうなるか想像してみた。すると逆に、なんでこの子は妹のことばかりこんなに考えているんだろう、ほかにもいろいろな人生の案件がある中で?と思ってしまう気がした。私が小説家でもなく、物書きとしても技量がないから、そういうふうにしか想像できないんだと言ってしまえばそれまでだけど、その伏線はなくても大丈夫と思ってるせいか、そんなにクローズアップされるべき部分でもない気がする。


主人公は、妹の消息がわかるかもしれないと聞いた時、もう再会は諦めていたのに思いがけない幸運に驚いた。そういう感じの演出だったと記憶してる。

十分、リアリティのある描き方に思えるし、その幸運の訪れを「いきなり?」と感じたのは当の主人公も同じだった。

ドラマとして、過不足ない展開ではないか?


と思う私は、制作側の意を汲み過ぎる視聴者、はたまた作家に甘い読者、なのかしらん?


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