「本」は書けないが「本」を作りたい?<大学〜就職>
大学の、曲がりなりにも文芸部というところで何かを書こうとして、同時に、人が小説を書く姿勢や熱意を初めて間近に見て、私がわかったこと。
それは、自分には、一から(あるいはゼロから)ストーリーを構築して、それを積み上げて完成させるという才能はないのではないかということだ。
そもそも、私が小説を意識したのは書きたいことがあったからで、まずはそれを書ければ満足できるだろう、というだけのことだったのかもしれない。
とにかく、主語を三人称にしたとしても、自分のことしか書けないと思った。逆に、自分の心の整理のために、自分のことを書く必要があった、と言ってもいい。
よく、一発屋というのがいる。
誰でも、生涯に一作は小説が書ける、とも言う。
そういうことだ。
自分の半生、自分の思いを一度だけ書く。それで自分は終わりなのかもしれない。いや、それすら、書きたい書きたいと思いながら、ここまで書かずに来たじゃないか。
母とのこと、家族という重荷、抑圧された自分。そういう自分のテーマ、書きたい気持ちは変わってはいないのに、結局、それに取り組む準備ができていないのか、優先順位を一位に持って来られない事情があったのか、実際に書く術を持たなかったのか、どういう理由か、とにかく自分のことすら書き始められなかった。
かと言って、ベタな「お話」を考えて喜んでいられる時期も、とっくに過ぎていた。
私は目の前の多忙を片付けるのに必死だった。
複数の資格を取る、バイトをする、講義やゼミに出る、レポートを出す、時期が来れば就活、卒論。
これも詳細は別エッセイに譲るけれど、貧乏で、貧乏性で、要領が悪く、何ごとにも未熟なくせに、どこかズレた情熱を燃やしてしまう不器用な私は、4年生になっても遊ぶヒマもなく、卒業時には売るほど単位を持っていた。
そこまでしたのに資格を生かす職業につく気はなく、本を読む時間もなかったのに就活では出版関係を考えていた。活字のそばにいたい。自分は書けなくても、大好きな「本」というものを出す仕事がしたい。
実家の事情もあって、絶対に就職しなければならないのに、夢見る夢子だった。しかも、忙しかったので就活も出遅れていた。
そんなしょうもない私を、ある会社の説明会に行かないかと誘ってくれた友だちがいた。そしてこれが、私の将来を決めることになる。
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