小説から遠かった文芸部<大学時代>
浪人したせいもあるかもしれないけれど、大学はそれまでとは隔絶された世界に思えた。
せっかくなので、私も生まれ変わろう!?
ものすごくたくさんのサークルを見学してみた。
人形劇、合唱いくつか、少林寺、馬術、オーケストラ、吹奏楽、童話研究会 などなどなどなど。
この中にいくつか特筆すべきネタはあるけれど、ここは「書く」と「読む」なので割愛。別エッセイに譲ることにします。
とにかく生まれ変わるべく、もともと好きだった音楽系から、自分的には思いっ切りぶっ飛んだ体育系まで、幅広く見学した。
で、一周して、結局入ったのは「文芸部」。何の変哲もない結果だ。
理由は、お金がかからないことだった。なにしろ、貧乏だった。
合宿や遠征はもちろん、そもそも材料費だユニフォームだ道具の購入だ、と、出費があるのは困る。
どうしてそんなに貧乏だったかも、別エッセイに譲る。
かくして、文芸部。時々、例会に使う喫茶店の料金しかかからない。
その大学の文芸部が出している部誌というか何というか、年に数回(記憶が曖昧)発行するものがあって、けっこう有名だったらしく、私もふつうの地元の本屋さんで見たことがあった。まあ、ふつうの部活でいうと、試合とか活動報告とか発表会のようなものが、その冊子なわけだ。
先輩方が書いた小説を見て、自分にはムリだと思った。そのころの私はまだ童話作家、児童文学から完全には離れられずにいて、でも先輩方は新入生がたった二人だったせいか、それでもいいと受け入れてくれたのだと思うけど、レベルも毛色も違い過ぎた。
初めて「何か書いてみて」と言われて書いたものは、どっちが先だったか、児童文学的なものと青春小説的なもののどっちかだった。すぐに書けるものは、それしかなかった。
もう一人の新入生は、私の仲のよかった子だったけど、安部公房ばりの短編小説を書いてきて、ますます私は場違い感でいっぱいになり、いたたまれなかった。
ところが意外なことに、先輩は私の拙いお話を読んで「逆に新鮮」と言ってくれたのだ。
いま思えば、部員を確保するためのお世辞だったかもしれない。にしても、「ここから発展させれば、30枚は書けるよね」と言ってくれて、出来次第では次の部誌に載るかもしれない、となった。
OBがたくさんいて卒業後も寄稿してきていたので、そのボリュームとの兼ね合いということらしかった。
しかーし!
部誌は、私たちが入部後、二度と発行されることはなかったのである!
これについては、それなりの人生勉強になった。別の機会に書こうと思う。
一方で、大学の専攻に移行する前の教養課程の時に、クラスというものがあり、そこで有志でコミペを出すことになった。そこに、心象風景や思い出を書いたエッセイを投稿し、それは形になった。ただし、それが「エッセイ」だとは意識しておらず、何となく書きたいことを書いた、というノリだった。
国文科専攻の学生は、卒論として小説を書く、というパターンがあると聞いてビックリした(私は国文ではない)。
教養課程では、私も国文学や現代文学などの講義を取っていたし、文芸部にまで入ったというのに、なぜか「小説」はどこか遠くにあるもの、という感じにいつの間にかなっていた。
そんな19歳の時、私は突如、「文壇に最年少デビューを果たす!」と宣言する。何か目標を掲げて、自分を鼓舞するために。
おぼろな記憶では、学生が小説を書くというような小説を読んだか、学生の応募する作文コンテストの批評を読んだか、文学少女の物語を読んだか、たぶんそういう何かに影響されたのだろうと思う。
しかし、19歳未満でデビューした人がとっくにいるとすぐに知るところとなり、このモチベーションはあえなく崩れ去る。(確か、当時は「アイコ16歳」を書いた人が史上最年少デビューだったと思う)
その後、「史上最年長デビューを果たす!」が、私の目標になった時期もあったけれど、今はそれもどこへいったのやら。
かくして、私の大学時代は怒濤の忙しさへなだれ込み、本を読むのもままならないような数年が続くことになる。
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