読み専と大河と朝の連ドラ(1)

今日書くことは、本当はもっと前にカンタンに書き上げてるはずだったものです。


ところがたまたま、書き上がる前に、カクヨムである方のエッセイを読んだ。そして、「やっぱり今はこういう時代だっていうことなのか〜」と、前に書こうとしていたこととそれが自分の中で見事につながって、えらく納得したというか、ある意味驚いたというか…というわけで、急きょ、内容を増やしてます。


でも、書き方を間違えると、否定的に言っていると誤解されるかもしれないなぁと、今日まで書き上げるのを先送りしていたくらい、神経質になってます。


私は、単に、今ってこういう時代なんだね、という事象というか現象を、客観的に書いておきたいなと思ったのです。なので、万一読んでくださる方がいて、その方が自分はこれにあてはまると感じたとして、私はまったく否定しているのではないということを先に申し述べておきます。(ちょいちょい手を入れるかもです、悪しからず)


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今回のタイトル。これに、新聞小説を加えてもいい。

近年、聞いたり読んだりしたことから、時代のギャップというか、自分と社会のギャップというか、そういうことを感じてけっこう驚いたというお話を。


私は、テレビドラマを見るのが好きだ。昭和仕込みの人間と言ってもいいです。

で、連続ものだったりすると、なんだか面白くないなぁと途中で思っても、乗りかかった船で惰性で見続ける。せっかくここまで見たんだから、その時間がムダになると思ってしまう貧乏性もあるし、やっぱり結末だけは気になるし。


ただ、あまりに面白くない時に限り、これって世間ではどう思われてるんだろうか、視聴率どうなってるんだろう、と、検索してみることがある。

するとたいてい、そこには非難轟々が渦巻いている。


私は古いのか、ドラマにしても本にしても、それは否応なくすでにそこに作品として置かれているもので、自分がそれに対してどうこうできるものではないと思っている。

厳然と、そこにその形で提示されているもの。気に入らなかったら、自分が離れればいい。作品はあくまでも作者のもので、好みと合わなかったら残念だけどこれでお別れよ、で終わり。


恋愛みたいにあとから、あの人(=作品)はこういう人だったから私と合わなかった、とか分析して、友だちと話したりはするかもしれないし、あの人はどうしてそういう考えなんだろうとか、あの時どうしたかったのだろうとか、あの人目線で考えてみるってこともするかもしれない。けど、「あの人」はあの人であって、私がその性格を変えられるはずもないし、私よりもっと合う人がいるかもしれないのだから、あの人の個性は尊重されるべきものだ。


ドラマに対しても、こんな向き合い方だったと思う。


私が途中で面白くないと業を煮やすまでに至るドラマは、たいてい長いクールやってるドラマだ。ワンクールくらいだと、多少のことは目をつぶっておとなしくつき合えるので。


つまり、これまでネットで非難轟々の現場を見てしまったのは、某局の朝の連ドラとか大河ドラマなど、ということになる。

そして、それらのコメントを見て、やっぱり面白くないと思ってる人多いんだなと納得する以外に、自分とはスタンスの違うコメントがけっこうあるんだなぁって驚いてしまった。そして、自分の場合はこうなんだけどなぁ…と、さっき書いたようなことを思ったわけです。


長いので、次回へ続く、にします。

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