日常の隣にある不思議な世界。<小学校〜>
いったん(自分用の)個人史に戻ります。
小学校では、先生が本を読んでくれる時間があった。
「やまのこのはこぞう」を読んでもらった時のことをよく覚えている。
その後、各自で本を読む時間も設けられた。
みんなで図書館へ行く時間もあったように思う。
小学校2年くらいで私もやっと「アホ」の殻を破って、この世にもう一度誕生し直した感があって、学校も含めていろいろなことを楽しいと意識できるようになっていたけど、本を読むこともその一つだった。
ビジュアルから入ったことを覚えている本は、挿し絵が自分好みだった「いやいやえん」。そして、佐藤さとると村上勉さんコンビのたくさんの本。
平行して、外国の児童文学がすごく好きになっていった。
私が、自分もこういうお話を書きたいといたく感じ入った最初の本が「ムッドレの首飾り」だった。一角獣が出てくるのだけど、本のカバーにその絵が描いてあった。
主人公が真夜中に目が覚めて、外に出て、昼間とは違う世界(お庭?)を冒険するみたいな話だったと思う。(あぁダメだ、思い起こすたびに、記憶がだんだんぼんやりしたものになってきていることに気づく)
「知らない世界」「探検」「不思議な体験」。
いつもの世界の隣に、まだまだ知らない魅惑的な世界があって…みたいなのが大好きで、そういうのが読みたかったし、自分でも書いてみたかったし、実世界でもそういうのを感じたくて、歩いていて知らない脇道小径を見つけると、ワクワクして一人で分け入ってしまうような危ない子供でもあった。
10歳くらいまでに慣れ親しんだ風景が自分にとっての原風景になるとすると、私は東京の狭ーい住宅地、路地裏などがそれにあたり、私の「まだ知らない世界」「もう一つの不思議な世界」は、常にそんな住宅街の一本の路地から始まるような感覚があった。だから、家同士がひしめき合って建っているような狭い住宅地の中に身を置くと、すごく懐かしい落ち着いた気持ちになると同時に、ワクワクしてしまう。
そこで雨の匂いがしたり、意味ありげに風が吹いたりすると、「角を曲がったら違う世界に入っちゃう」前触れかと思ってドキドキした。
一方、文字が主体の本類と平行して、少女漫画雑誌や「小学○年生」などの誌面で、「イラストと言葉の組み合わせ」を見てトキメキを感じ始めていた。
時にそれは、おしゃれのしかたの図解だったり、詩にイラストがついてるようなものだったり。その影響で、絵が描けるようにもなりたいと、ヘタクソな漫画やイラストも描き始めた。
初めて描いた漫画は、もちろん自分が主人公で、実際に憧れだったバレエを習っているという設定だったと思う。
おセンチな子供でもあり、「悲しい結末に感動する」ことも好きだった。いたずらに「死」を神聖視して、涙を流させることをよしとするような。
これは、映画が好きだったこととも関係するかもしれない。そういう映画がけっこうあった。
初めて文字だけで書いた「お話」も、主人公の女の子は病気で亡くなり、最後は星になるという、今思うと恥ずかしいくらいベタな話だった。それを、誰か映画化してくれないかな〜と、本気で思っていた。
児童文学、イラストつきの詩、漫画、そして映画。
そんなようなものといっしょに、私の内面は育っていった。
「言葉が紡ぎ出すワクワク」「言葉の響きが誘発するトキメキ感」をベースに、物語の世界にどっぷりと浸っていた。
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