エッセイはズルい。

「エッセイ」について考える時、こういう表現はおかしいのだけど「エッセイはズルい」という言い方が思い浮かんでしまう。


これは自己満足の個人「史」なので、本当はチマチマと順を追って前回の続きの小学校時代のことを書きたかったのだけど、今日は「エッセイ」について思うところを先に書いてしまおうと思う。

それはカクヨムを始めるずっと前から思ってることで、いい加減、この魚の小骨のように引っかかってるものを早く吐き出したいのだ。


自分がエッセイを好きになったのがいつだったのか、あまり記憶がない。

そんなようなものを自分が書くようになったのも、いつからだったか。気づいたら書いていた。


私は9歳の時に日記帳をもらってからずっと日記を書いていて、書いてないほんの短い期間が2回くらいあったけど、今も基本的にはやめられないでいる。

もしかすると、エッセイはそんな日記の延長なのかもしれない。ほかの人にとってはどうでもいいようなことを、グダグダと細かく書いてしまう悪いクセも、だからたぶんそこから来てる。


私は、ある面では新しいものに疎いので、ブログは仕事でやらされるまで自分でやろうと思ったことがなかった。

その会社には、本業ではなかったのだけど自社の通販サイトがあって、外部リンクでスタッフのブログをつけたいということになり、社長命令でやらされたのだった。個人的なことも含めて好きなことを好きなように書いていいということだったので、それならと始めた。


ただし、おもしろい話題を楽しいノリで、という何となくの制約はあったので、多少シリアスなことを書きたい時も、ちょっととぼけた書き方をしたりしていた。

そのテイストがけっこう面白いとおだてられ、読んでくれる人も内外に増えて、私も調子に乗ってやりたい放題路線で邁進するようになっていった。


でも、しょせん、読むのはせいぜい私を知ってる人か、会社や商品に関心があって、たまたまスタッフへも関心が向いた人だけだ。

不特定多数の接点のない人々は、たとえ目にしても読みたいと思わないだろう。内輪ウケのどうでもいい戯言だし、ブログへの好感度=会社や商品への好感度を上げようとか、ブログでたまたま検索1ページ目に上がるような記事が書ければ、そこに貼ってある通販サイトのリンクも押されたり、相互リンクでサイトの検索順位が上がるだろうという、虫のいいウラもある。だから、大衆に迎合するかのような下らない話題も書いてたし。


ひるがえって、もしもそのブログが、本当にすばらしい文章で書かれていたとしても、本当に面白い内容だったとしても、なかなか本にはならないだろう。

私は一介の会社の一介の社員で、ただの小市民の素人でしかないのだから。


まあ、でも、そんなふうに、とりあえず「エッセイ」という分類になるのか、はたまたしょうもない日記なのかわからないが、戯れ言、駄文を延々黙々と垂れ流してきた側である一方で、すぐれたエッセイ本に巡り合い、感動したり、心に栄養をもらったりもして来た。

書かれるべき内容、読まれるべき文章。本になってるエッセイは、なるほどそれだけの価値がある。


…はずだったのだが。


ある時、私は大好きな作家のエッセイを読んでいた。

大好きなので、なるべく書かれた年代順に全作品読んでいたのだけど、小説と小説の間に時々エッセイがくる。

そして、その時読んでいたエッセイが、けっこうどうでもいい内容だった。

もう一度言うけど、私の大好きな作家だ。全エピソードがどうでもいいとは言わないまでも、その作家のほかのすばらしいエッセイ集も多々知っているので、どうして今作品はこうなっているのか。。。


それが誰でどの作品かはここでは伏せたいので、そのエッセイ集にまつわる事情は書かない。

でも、その後、ほかの好きな作家にも、たまにどうでもいい内容のエッセイ集があることを知った。


私とて、好きな作家のことはすべてを知りたい、たとえ下書きや駄作であっても、画家の習作を鑑賞するように、その作家の一部としてありがたく味わいたいみたいな、純粋なファン心理があるので、どうでもいい内容のエッセイでも私はそれなりの意義を持って読んではいた。

でも、きっと、作家個人のファンじゃない人にとっては、このエッセイ集はつまらないだろうな、という思いは拭えなかった。


そこで、冒頭の「エッセイはズルい」が浮かんだ。

小説が売れた人気作家は、ほぼフリーパスで好きな内容のエッセイが出せるのではないか?

つまり、ズルい=「名前が売れてると、好きにエッセイが出せるんだね」ということが言いたいのだ。


どっちにしても、一介の素人は、どんなに文章がうまくて内容がよくても、なかなかエッセイを出版する機会は来ないだろう。(下手でどうでもいい内容であれば、なおさら)

逆に、「その人」自体が人として興味をそそる何かを持っていれば、エッセイも興味を持たれ、出版される可能性がある。芸能人の本や写真集もその流れで出ている。


エッセイは、一に人物、二に内容、三に文章だ。二と三が逆もありかもしれないけど。


私はカクヨムでも(今は)エッセイばかり読ませてもらっているけど、やはりたまたま読んだ内容や語り口から作者さん自身に興味を持ったものを読んでいる。この人をもっと知りたい、みたいな。

カクヨムでは、大方は小説が書きたい方々が集まっているのだろうと思うけど、ここの皆さんも、もし作家として売れるようになったら、小説の合い間にエッセイ集も出したいと思ってるだろうか?


私自身は今現在は小説を書くことはできないし、本を出したいなんて思っていたのもずいぶん昔のことだ。

何であれ書く場所さえあれば、あとは日記に思いを吐き出したり、日々を記録したりするのと同じ気軽な感覚で、好き勝手にどうでもいいことをデジタル保存できるだけでありがたいと思っている。物理的に手書きノートが溜まって置く場所に困ることもないし、たまにおしゃべりしてるみたいに応えてくださる方もいて、自己満足以上に物足りてる。


なのにやっぱり、大先生のどうでもいい話のエッセイ本を読んだりすると、エッセイはズルいからなぁ〜って思っちゃうってのは、なんでなんだろう???

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