アホな幼稚園児と絵本

幼稚園に通っていたころ、あまりに心配した母が先生に訊いたという。

「先生、うちの子大丈夫でしょうか?」

「お母さん、『大器晩成』って言葉もありますから、大丈夫ですよ」と、先生は答えたらしい。

根拠が示されていないし、そもそもそういう言葉があるからどうした、って話だ。

そんな、それっぽい言葉を聞いただけで、心配がおさまった母もどうかと思う。


結果、大器は成らずも、人並みの「人間」にはなったかもしれないけど、幼稚園のころの私はそれくらいアホな子供だった。


自分でも覚えている。

初めての登園。幼稚園バスに乗るのを嫌がって泣き続けていた。しばらくは毎日泣いた。


工作の風車作りで、切ってはいけないところを何度も切って、みんながもう回して遊んでいるのに、私だけいつまでたっても完成しない。


人が乗ってる時は近寄ってはいけないと言われていた遊具の隣で遊んで、指を挟んで爪がはがれた。


お弁当は好きなものしか食べなくて、困った母は毎日同じおにぎりを持たせた。


時々お漏らしをする。自分の足元から伸びていく水脈を、川だと言って面白がってまたいで遊ぶ男児たちを、立ったままボーッと見ていた。


運動会の仮装競争で、どうして山高帽をかぶって通勤かばんを持って走らないといけないのか、さっぱり理解できてなかった(その時の写真は、何とも言えない表情をしていて笑える)。


局面局面では幼稚園を楽しんでいた瞬間もあったのだろうとは思うけど、トータルな印象はよいものではなかった。


そんな中、たった一つ自発的に楽しみにしていたこと、唯一覚えているうれしい瞬間。それが、「絵本が配られる日」だった。


同じ日に配られていたのかわからないけど、親のための小冊子もあって、その中の子供のための「お話」コーナーを読んでもらうのも好きだった。


きっと私は、幼稚園なんか行かないで、家で絵本を好きなだけ見たり、お話を読んでもらったりしていたかったのだと思う。


今でも、断片的に覚えているお話がいっぱいある。それを確かめられないのは、実家を離れたあとに勝手に捨てられてしまったからで、その事実を知った時、私は悶絶して悔やんだ。


男の子の白い花と、女の子の赤い花が合わさって、ピンクの花が咲く話。

だるまちゃんの話。

めんどりがパンを焼く話。

ふしぎなえ。


花びらを絞って、ハンカチをきれいな色に染めるとか、遊びの実践の本もあった気がする。やってみたくてしかたがなかったけど、結局はできなくて、花びら染めは憧れだった。


もっともっと好きなお話がたくさんあったし、実物を見たら絶対「これ、あったあった!」「覚えてる!」ってなると思うんだけど、いかんせん、それらの本はもうない。


それ以外にもふつうに買った絵本がたくさんあったけど、ディズニー系のものは「眠りの森の美女」「みにくいあひるの子」「ピノキオ」「バンビ」…そんなに多くなかった。

うまく説明できないけど、なんとなく、そこは多くなくて本当によかったと思っている。いろんなタッチの絵の、いろんなテイストの絵本を与えてくれたことは、親に感謝している。


とにもかくにも、「本」好きの原点は、間違いなく幼稚園時のそこにあると思ってます。

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