第2話 コロネのおつかい

 背中まである長いまっすぐな黒髪を首の後ろで結ぶ。バンダナキャップを頭に乗せる。深い緑のセーラーワンピースの上にエプロンをつける。首にはスカーフ。鏡を見つめながらまばたきを一つ。コロネは出かける準備が整った。

 僕は母屋の中庭で、芝生の上で足踏みしながら、ご主人の双子の男の子をあやす役目をこなしていた。僕のような4本足ロボットはハードもソフトもオープンアーキテクチャで、いろいろなアプリがある。幼児を背中に乗せて揺すってあやすのも朝飯前。今は足踏みしながら揺するだけでご機嫌だけど、もう少し大きくなってワイルドな乗り方を求めても、僕なら十分対応できる。

 コロネの支度が終わると、ご主人が僕の背中から双子を降ろし、荷物を運ぶバスケットをカチっと固定した。ご主人の後をついて店先に行けば、配達するパンが紙袋に入ってもう並べてあり、それぞれに配達先を識別するバーコードが貼り付けてある。ご主人はそれを次々と僕の背中に乗せた。紙袋には「手作りパン工房タカハシ」のロゴ。僕に嗅覚があれば、ふわっとパンの香りが漂っただろう。

 やがて奥さんに連れられてコロネも店先に。つんと背筋を立て、頬には健康そうに紅が差し、瞳はキラキラと輝いて、口元にはかすかに笑みが浮かぶ。パン屋の看板娘ここにあり。

「じゃ、配達お願いね」

「行ってきます」

 パン屋の夫妻に小さくお辞儀すると、コロネはベルのついた扉をカランコロンと開け、通りに出た。僕にはさっそくコロネからコマンドが飛んできて、後を追った。扉は外でコロネが支えていてくれた。僕のセンサーに街の喧騒が飛び込んできた。


 商店街から住宅地へ。僕らが歩くと景色が変わった。午後遅い空は夕焼けが近づいている。コロネは紙袋を一つだけ胸に抱いて、上品な足取りで先に進んだ。

 その後を追って、僕は4本の足をてくてくと動かし歩いた。背中はまるでレールの上を滑るように滑らかに。姿勢はコップを置いても水がこぼれないよう水平に。地面の凹凸は僕の足が吸収し、速度は一定、上下の振動もできるだけ少なく。しかしコロネに遅れてはいけない。そうやって荷物を運ぶのが僕の仕事。もちろん人や物にぶつかったりもしない。そのためのセンサーと頭脳はちゃんと備わっている。

 僕はニーク。忍び足で歩くのが得意だから、sneak=スニークからニークって名前になった。もっとも、コロネはいちいち名前なんか呼ばない。僕らは通信で分かり合える。

 僕がアンドロイドのお姉さん――コロネと歩くときは、僕の動きはコロネの制御下にある。道端に咲いているピンクのきれいな花がどんなに気になっても、勝手に調べに行くことはできない。同時に、コロネのセンサーが感じ取ったことはいくらか僕に分けてもらえる。コロネの高い視点から見た前方の景色は、僕が安全に歩くためにとても大切。

 午後は、できたてのパンをお得意様に届けるのが僕たちの日課。電話やWEBでいただいた注文や、サブスクリプションで契約いただいている人への店が見繕ったパンを、こうして届けに行く。自動化・ロボット化の時代に人間が商売を続けるなら、こういったサービスが大切だ。


 最初のお宅は、戸建てで門の向こうにちょっとした庭が見えるお家。

 ここは、配達がとても楽な家の一つ。コロネの来訪はもう相手先に伝達済み。コロネが門の前に立って呼び鈴を押すと、すぐに若い家政婦さんが玄関から出てきた。家政婦と言うより、女子高生のメイドのコスプレと言った方がいいかもしれない。彼女は無言で門を開けてコロネの前に立つと、コロネは無言で胸に抱いた紙袋を渡した。そしてお互い軽く頭を下げて別れた。

 人間が見たら無言に見えるだろう。実は互いに通信でやりとりをしている。物理的な商品の受け渡しを通信で確認して完了。あとは彼女がこの家のご主人にパンを届けるだけ。これがロボットどうしのやり取り。洗練されている。


 とあるマンションに着いた。エントランスで部屋番号を押して、お客様にドアを開けていただく。僕らはマンションに入り、エレベーターに乗り、お客様の部屋の前に立ち、ドアの呼び鈴を鳴らした。

「パン屋さんいらっしゃい!」

 お客様がドアを開けると、その足元から5歳ぐらいの女の子が出てきて僕らを迎えてくれた。

「パンをお届けに参りました」

「いつもありがとう」

 お客様は女の子のママだ。女の子が手を伸ばすので、コロネはその子に紙袋を渡した。

「またね〜」

「じゃあ、またね〜」

 コロネと女の子は軽く手のひらを合わせて別れた。

 お客様が人間の場合はこんな感じ。配達がコロネであることには大きい意味がある。僕一人で配達に行ってもこういう歓迎はないだろう。


 このマンションにはもう一人お客様がいる。サブスクリプションで契約されているお客様だ。

「コロネちゃんいらっしゃい」

 ドアを開けて白髪の老人が歓迎した。会社を定年退職してもうだいぶ経つような人だ。

「今日もいいかい」

「ええ」

 コロネはパンの袋を胸に抱いて、ポーズを作り微笑んだ。

 老人は大きいレンズとストロボのついたものものしいカメラでコロネを撮影した。バシャバシャバシャ! ストロボの光がチカチカまたたいた。被写体のまばたきに備えて連射にしてあるらしい。まだモデルがロボットという認識がないのかな。

「今日もきれいだね!」

「ありがとうございます」

 コロネはうやうやしく礼を言ってパンを渡した。

「また共有アルバムに上げておくからね」

「はい、楽しみにしています」

 これもパン屋の店員の仕事なんだろうか。僕はこの家に来るたびに不思議に思う。見目麗しいロボットにこの仕事をさせるなら仕方ないのかもしれない。

 ご主人もたいそうなカメラを持っているけど、このお客様の影響だろうか。


 2階建てのアパートに着いた。コロネはトントンと階段を上がった。僕はそれにはついて行かず、コロネのセンサーが送ってくる画像を眺めていた。

「はーい」

 呼び鈴を鳴らすと若い男の声がした。すぐにドアがガチャっと開いて、痩せぎすでメガネをかけた冴えない感じの人が出てきた。大学生かな。

「パンをお届けに参りました」

「あ…、あ、ああ」

 今日初めてWEBで注文したお客様だ。しばらく泡食っていたが、状況をようやく理解したらしい。

「コ、コッ、コロネさん?」

「はい」

「本当にコロネさんが届けてくれるんだ!」

「そうですよ。どうぞ!」

「あぁ、あ、ありがとうございます!」

 パンを受け取ると、テンション高い声でお礼を言って、同時にコロネの手を握った。その手は緊張でちょっと震えていた。

「これからもよろしくお願いしますね」

 コロネはその手をそっと握り返し、続いてそっと手を離した。

「わ、分かりました!」

 お客様はドアから身体を乗り出し、帰ってゆくコロネを見送った。ドアが閉まる音がしなかったので多分そうしていたんだと思う。

 コロネはロボットだから動じなかったけど、人間のお嬢さんの手を突然握るんじゃないぞ。いいな。


 違うアパートに着いた。こんどのお客様は1階だ。僕はコロネの後ろに適当に距離を置いて待機した。コロネは他のお客様のお宅と同じように呼び鈴を鳴らした。

「パンをお届けに上がりました」

 コロネは、ドアを開けて顔を出したお客様にそう告げた。お客様は見た目がちょっとさっぱりした青年だった。

「あなた」

「はい」

 玄関に立って真面目な顔で、お客様はコロネに問いかけた。

「あなたは、コネクテッド・パーソンですね」

「そのような呼び方もあるようですね。私達はフレンド・オブ・ヒューマンと呼ばれるアンドロイドです」

 さっきのお客様とはまた違う意味で、ちょっと困ったお客だ。

「あなたはどんな業務に使役されているんですか?」

「主に店番と配達です」

「それだけですか? マスターは他に、たとえば性的に嫌なこととか、しません?」

「大丈夫です。そのようなことはありません」

「困ったことがあったら、いつでもここに連絡してくださいね」

 彼はそう言って、胸ポケットから名刺を出して渡そうとした。

「あの、このようなものは…」

「君はマスターから口止めでもされているんじゃないのかい? 僕たちは君のような搾取される者の権利を守りたいんだ。遠慮することはない。不満があったらぜひ話してください」

「ええと、それよりまず、パンを受け取ってください」

 お客様の中には、たまにこうやって、アンドロイドの権利を守ってくれるという奇特な人がいる。ロボットとかアンドロイドとかいう表現を嫌い、「コネクテッド・パーソン」という用語を使う。彼らにとって、コロネはロボットではなく、ネットで情報をやりとりできる人間という認識らしい。

 ロボットの権利を守ってくれる。麗しい愛の世界。しかし、これというのも、コロネが人間と寸分違わぬ見た目をしているから。それどころか、非の打ち所のない美しい、若い女性の姿をしているから。それは守ってあげたくなるよね。

 もちろん、同じロボットと言っても、僕のように4本足で荷物を運んでるようなのはお呼びじゃない。

「私達を気遣ってくださるお気持ちはありがたいのですが、私達は機械です。つらいとか、悲しいとか、苦しいとか、そいういったものを感じる自我を持っていません。どうか、そのお気持ちは、不幸な境遇にある、本当の人間のために大事にしてください」

 コロネは、サーバーから届いたお決まりのセリフを伝え、面倒なお客様からの離脱を開始していた。

「君たちは、無理やりそう言わされているんだね」

 コロネから受け取った紙袋を胸に抱いて、受け取ってもらえない名刺を手に、彼は気の毒そうに言った。

「それでは、失礼致します」

 丁寧に頭を下げると、コロネはくるりと背を向けて、つまり僕の方を向いて、すたすたと歩み去った。僕はコマンドを受け取り、くるりと向きを変え、音もなく、滑らかにその後を追った。


「はーい」

 一軒家の玄関先。呼び鈴に応えたのはこの家の奥さんのようだった。

「まあまあ、コロネちゃんいらっしゃい」

 ニコニコしながらそう話しかけると、パンの紙袋を受け取った。

「どう、あれから考えてくれたかしら?」

 それから不意に会話モードになった。コロネはお客様の立ち話にできるだけ応じるようプログラムされているので、とりあえず相槌を打った。

「ええ、はい」

「どう、いい話でしょう? 歳は40近いけど、学歴もあるし、ちゃんとした会社に勤めてて、本当にいい人よ」

 そうだ、ここの家の奥さんにお見合いの話をもちかけられていたんだった。パンを注文したのは話を先に進めたかったからかー。

「あの、それなんですが」

「あなたの写真見せたら、向こうもたいそう気に入っちゃったわよ」

「それがですね」

「どう、自分はまだ若いとか考えてない? すぐよ。すぐにおばさんになっちゃうわ、若いうちから真剣に将来のことを考えないと」

 聞いちゃいねー><。

 この後結婚にまつわるお客様の人生観をたっぷり10分ほど聞かされた。コロネはと言うと、サーバーから相槌のバリエーションを取得して、適度に返事をして会話をつないだ。さっきのお客様に比べたら、話を遮るデメリットより話し相手になるメリットの方が大きいという判断だろう。

「じゃあ、いい返事聞かせてちょうだいね」

 ようやく話が終わりになるらしい。

「ああちょっと待っててね」

 まだ続く。

「うちの畑で里芋たくさんとれたから、持っていってちょうだいね」

 玄関の奥に一瞬消えたお客様は、紙袋に詰め込んだ泥のついた里芋をコロネに渡した。

「いえ、そんな、申し訳ないです」

「気にしなくていいのよ、うちじゃ食べる人そんなにいないんだから。お宅の若いご家族にどんどん食べてもらわないと」

「じゃ、いただいてゆきます。いつもありがとうございます」

 袋を受け取ると、ちょっと後に下がってコロネは頭を下げた。

「また注文するわね♡」

 パンの代金は別途受け取っているにもかかわらず、また(そう、今回だけじゃなく、ほぼ毎回)お客様からいただきものをしてしまった。

 それにしても、お見合いの話はどうしたものだろう。僕が考えなきゃいけない話じゃないけど。きっとサーバーの方で、いい答えを用意してくれると信じる。


 僕とコロネは、次のお客様のところへとてくてくと歩いた。ロボットを使って配達の自動化をするのも、実はけっこう、楽じゃない。

 楽じゃないのは僕らであって、ご主人やお客様じゃないから問題ないかな。

 それに、僕らには「楽じゃない」とか、「面倒だ」とか、そういったことを感じる自我というものがない。それが僕らロボットと、人間の最も大きい違い。もちろん、人様の役に立ててもそれがシステムの目的だから当然であって、ぼくらは「やり甲斐」とか「幸せ」を感じる自我も、持ち合わせてはいない。

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