ヒトノトモダチ
春沢P
第1話 カナちゃんとわたし
雨。
傘にポタポタと落ちる雨音を聞きながら、私は一人、歩いた。
大通りから少し小道に入ると、路地の奥に白いコンクリートの校舎が見えた。
すこし弱まっていた雨はまた激しくなり、スカートの裾も少し濡れてしまった。でも、これくらいなら壊れたりはしない。防水じゃないので泳いだりはできないけど、傘をさして歩くくらいのことは平気。
校舎裏の門の着くと、到着を検出した通用口の扉が開き、私を迎えてくれた。そこを抜けるとき一瞬だけ通信があり、私のIDが学校の警備システムに引き渡された。もちろん入門を拒否される対象じゃない。
静かに学校に入ったのだけど、すぐにガラガラと音を立てて正門の鉄門が開いた。終業のチャイムが鳴り、校舎の奥からは足音と話し声が聞こえてきた。
私は玄関の脇のひさしの下に入り、雨をしのげるため自分の傘をたたんだ。
玄関からは、靴を履き替えた子供たちが次々と出てきて、いろいろな話をしながら、次々と黄色い傘を開いた。子供たちの話し声に、傘に落ちる雨音が重なった。
「ワモちゃん!」
カナちゃんが私を見つけて、靴を履くためにつま先で床をつっつきながら、私に寄ってきた。
「カナちゃん、傘を持ってきました」
「ありがとー!」
「こんなに雨が降るなんて、朝には分からなかったですからね。ママにお迎えに行くようにお使いを頼まれました」
私は説明しながら、左手に持っていた傘をカナちゃんに渡した。
「あ」
「あ」
カナちゃんの後からきた2人の友達が、それぞれ私を見て、ちょっと驚いた声を出した。
「フェイクだー」
「ロボットだー」
「ロボットじゃないよー」
「ロボットのお姉ちゃんだー。いいなー」
「私もきれいなお姉ちゃんほしいー」
2人の女の子は私の顔を覗き込みながら、左右の手をそれぞれとって、手のひらに触れてそれが人工物なのを確かめようとしていた。
「すべすべー」
「もちもちー」
見た目も、手触りも、ぬくもりも、ちょっと触ったぐらいでは
会話だって、自然にできていると思う。
ただ、ちょっと細かい仕草がまだ苦手なだけ。
雨に濡れた服も、ママか、カナちゃんか、先生——カナちゃんのパパで私の契約者——に着替えを手伝ってもらわないといけない。
私は、アドバンストハビタント社のAH867F。このモデル番号も含め、128bitの固有番号を持ってる。でも、人に紹介するなら、先生につけてもらった名前、「ワモリ」がある。
先生の仕事をいろいろお手伝いするのが私の役割なのだけど、お昼前に雨がざあざあと降り始めて、それから、カナちゃんの置き傘が家に今はあることを私の家財管理アプリが教えてくれた。ママにどうしようかとメールを送ったら、「家にあるのを学校まで持っていってあげて」という返事だった。
「じゃあねー」
「バイバーイ」
カナちゃんの友達のシズカちゃんとミライちゃんは、それぞれ傘を開いて、私たちと反対の方向に帰っていった。
私とカナちゃんは、家に向かって濡れたアスファルトの上を歩き始めた。
「〜♪」
大通りまで出ると、カナちゃんは鼻歌を歌いながら、歩道の縁石の上を器用にバランスをとって歩いた。
「お上手ですね」
「〜〜〜♪」
歌を歌えば雨音もそんなに気にならない。靴や靴下が塗れるのも、好きな歌を口ずさめばなんてことない。そんな気持ちかもしれない。
「伴奏つけましょうか?」
「それはいい」
私の提案は急に真顔で否定されてしまった。
「いけませんか?」
「楽器持ってないのに楽器の音がするのは変だから」
「変ですか」
「うん」
「どうしましょう」
「いっしょに歌おうよ!」
私は、カナちゃんが歌っていた歌のメロディを思い出し、サーバーの記憶を探った。
「あ、車が来ますよ! そこから降りて、どうぞこちらへ」
私がカナちゃんの手を取って歩道に降りるよう促すと、曲がり角から出てきたトラックが近くをすごい音を立てながら走っていった。
「よく分かるんだね」
縁石にまた上がって、可奈ちゃんが感心して言った。
「『もうすぐそっちに行きますよー』って車が教えてくれるからですよ」
「いいなあ。私も角の向こうが見えるようになりたい」
「もう私も歌えますよ」
「分かった。じゃあ一緒に、せーの!」
「「〜〜〜〜〜♪」」
テンポをカナちゃんに合わせ、私はメロディーをちょっとずらしてみた。
「ハモったね!」
黄色い傘ごと振り向くと、カナちゃんの顔がぱあっと、笑顔になって輝いた。それから、続いて2番も一緒に歌った。
「雨の水はどこから来るんかなあ?」
歌に飽きると、カナちゃんは傘から手を出して、雨粒を受けながら訊いた。
「海からですよ」
私は即答してみせた。
「それじゃパパの説明と同じだよ」
「え?」
「海の水が蒸発して雲になって落ちてくるんでしょう」
「そうですよ」
「だから雲は水なんだよね」
「ええそうです。さすがですね」
「そんなのつまんない! それじゃ雲の上を、歩けないじゃん!」
カナちゃんは雨雲を指さして声をはりあげた。
「雲の上を、歩くんですか」
「そう。雲の上にはお城とかあって、王様や、魔法使いが住んでるの。フカフカの雲の上をみんな歩いて、疲れたらごろんて寝転んでのんびりするの。雲の上だから雨なんか降らないよ」
「雲の上に住むんですか。それはできませんね」
私は知っていることを話した。
「タブレット、お借りしていいですか」
カナちゃんは頷くと、背中のランドセルを私に向けた。私はランドセルを開けて、授業で使うタブレットをつまんで引き出した。私にもこれぐらいのことはできる。
次に、タブレットを左手に持って、カナちゃんに見えるように画面を向けた。
「この動画がいいと思います」
タブレットとはペアリングができているので、サーバーから動画を検索して、見つかった動画を私は全画面で表示した。タブレットの操作なら手を使わなくていいから、私にはとても簡単。
「ほら、カメラを載せた飛行機が、雲に入りますよ」
カメラは白い雲の谷間をゆっくりと進み、やがて目の前に立ちはだかった、一つかみの雲に飛び込んだ。画面は真っ白になり、やがて少しねずみ色に暗くなり、すぐ明るくなって、雲から飛び出した。
「雲はこうやって突き抜けちゃいますから、上に住んだり、歩いたりできないんです」
「もー、そんなことぐらい分かってるよー。でも、歩きたいじゃない。どうやったらそれができるか、どうしてみんな考えないの?!」
「そうですねえ」
私はタブレットをランドセルに戻しながら、考え込んだような言葉を口にした。
「ああでも、あんなふうに、飛行機に乗ってみたいかも」
ランドセルを閉じると、カナちゃんは前に踏み出し、くるっと振り向いて言った。
「あの雲も、飛行機に乗って飛んでいくと、上に出られるんだよね!」
「もちろんです」
私は自信たっぷりにうなずいた。
「あ、雨やんだよ」
「本当ですね」
カナちゃんが傘を下ろして、空を見上げた。私も傘を下ろし、たたみながら同意した。
「ほら、青空が見える!」
カナちゃんは空を指さした。西の方で、雲が切れて空が見え始めていた。その方角なら、じきにその切れ間はここまでくるはず…
「カナちゃん!」
私はつい大きい声を出してしまった。
心の中で「予感」がしている。これは、この地区の私の
「どうしたの?」
「東の空を見ましょう!」
私たちは、揃ってその方角の空をふり仰いだ。
ほどなく、雲の切れ間から太陽の光が差し込み、雨に湿った街並みをまばゆく照らし出した。東の空にまだ残る黒ずんだ雨雲に、白い壁や、緑の木立が、鮮やかな景色を形づくった。
「虹だ!」
カナちゃんが嬉しそうな声をはりあげた。
「虹ですね」
太陽に照らされた街並みの空に、大きな虹のアーチが描かれていた。
「すごいすごーい!」
私たちの声で気づいたのか、通りを歩いている人も何人か、空を指さしていた。
虹は鮮やかに二重のアーチを描いていた。
「カメラカメラ!」
カナちゃんは私に背中を向けると、ランドセルをぐっと突き出した。
「ああ、タブレットですね」
私はカナちゃんがうんうんと頷くのを確認して、ランドセルを開け、またタブレットを取り出した。
「早く早く、虹が消えちゃう~」
「大丈夫ですよ」
私は落ち着いて答えながら、取り出したタブレットを渡した。もうカメラモードに設定してある。
カナちゃんはそれを手に取ると、すぐ空にかざした。
「ワモちゃん、そこに立っててね」
「分かりました」
タブレットを覗きながら、カナちゃんは少しずつ後ずさってカメラの構図を調整していた。
「その辺だと、私の顔はあんまりよく写らないと思いますよ」
タブレットから送られてくる画像データを心の中で確認しながら、私はそう助言した。
「じゃ、撮るよー」
バシャッ。タブレットのシャッター音が鳴った。
「もう一枚…」
「カナちゃん!」
私は2枚目の撮影の前に、とっさに叫ぶと駆け出した。
「車道に出ちゃってますよ!」
私は、私にできる限りの速さで小走りに動きながら、左手を延ばしてカナちゃんの手をとった。
その手を引くか引かないかのうちに、車が一台、私たちの横を走り抜けていった。
この車を検知したので、私はいつになく慌てることになってしまった。まだ走って転ばないだけの余裕はあったけれど、本当にピンチだったらどうしていただろう。
実際のところ、車もカナちゃんに気付いていたので、十分な距離を空けて私たちを避けて走っていってくれた。車そのものは安心だった。
バシャッ!
ただ、その私たちを避けたところに、道路の窪みがあって、深い水たまりができていた。車は、見事に水たまりの真ん中を走り、私たちに盛大に泥水を跳ね飛ばしていった。私たちは、頭からそれかぶってしまった。
「あー、びしょびしょだー」
カナちゃんはスカートのポケットからハンカチを出しながら言った。
「え?」
私はちょっと戸惑った。カナちゃんの手が私の頭に伸び、私の方を拭き始めたから。
「私はいいんですよ。カナちゃん、ハンカチはご自分で使ってください」
「だめだよー、お洋服が泥水でよごれちゃったよー」
「カナちゃんのお洋服も汚れちゃってますよ」
「あたしのは洗濯できるからいいの。ワモちゃんの服はクリーニングに出さないといけないやつじゃない!」
カナちゃんは、自分の濡れた髪の毛も、汚れた服も気にせず、そう言って私の頭や衣装の泥水を拭いてくれた。
「カナちゃんは優しいですね」
「そうじゃないよ。ワモちゃんのせっかくの服がだいなしだよ」
「服が、ですか」
「ワモちゃんのお洋服考えるの、すごく楽しみなんだから」
「そうですか。じゃあ、そうですね、この汚れをどうやったらきれいに洗えるか、それを考えながら帰りましょう」
「クリーニング屋さんにやってもらうんじゃないの?」
「クリーニング屋さんがどうやってきれいにするかを、調べてみるんです」
「家庭科だね。上級生だね!」
「カナちゃんも、もうすぐ高学年ですね」
歩道に戻って見上げると、虹はもう消えかかっていた。
私は、サーバーに検索コマンドを送りながら、カナちゃんと手を繋いだ。
虹はやがて消え、白く照らし出された街並みは、夕日に色づき始めていた。
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