第3話支える人たち

一人抜けた教室は、とても広く感じるものだ。


大川学院は芸能系の学校だから、遅刻や早退、仕事による公欠で人がいないことはままあることだ。だが、しばらく教室に来ない生徒がいるというのはとても珍しく、だからこそ一つ空いた席というのは物悲しく感じてしまう。


主要五科目の授業はとても退屈で、しかしきちんと受けないと一週間ほど補修という名の教師との1対1が待っている。正直あれにはつかまりたくない。


とはいえど、中学1年の授業は小学校の延長であったりその応用であったりがほとんどだ。最近は小学校から英語の授業が本格化するとかなんとか決まってきたらしいが、自分たちは結局中学生になった時点で受けなければいけないのだからあんなものほとんど関係ない。


今やっている範囲は受動態とかいうところだが、正直全く分からない。これじゃあ英検を受けても落ちてしまうかもしれない。


慣れない文字の羅列とにらめっこをしながら必死に板書をしていく。


あぁ、学生とはなんと面倒なモノなんだろう。




大川学院アイドル部門担当教師土井流星は、次の授業で使う資料を探しに資料室に足を運んでいた。


土井は、この大川学院の教師になる際にスカウトを受けたほど容姿端麗な人物である。スカウトの話は蹴ったものの、生徒たちからはかなりの人気を集めているほどであるから、普通の学校に行っていればそれこそ彼目当てで受験をするコドモが出てきていたであろう。


とまで言われる土井は、目下、自らが担任をしている生徒に降りかかったいじめについて頭を悩ませていた。


土井は、いじめによって命を絶ってしまう生徒を少しでも減らそうと教師を志した。だからこそ、教師になって初めて持つクラスの生徒から相談を受けた時に、何が何でも力になりたいと思ったのだ。


積みあがった箱の中から必要な資料を取り出しながら、土井は思う。


(結奈は、自分で休む判断をしたし、それを上も納得してくれた…だが、もしも上が納得しなかった場合は、どうやって生徒を守れるんだろうか)


大川学院は私立の学校だ。転職を希望しなければ、基本的にずっと勤務することはできる。

結奈のように、困っている生徒の手助けを、これからも続けていけるかもしれない。だが、それでは土井が目指す教師像には近づけない。

あくまでも、土井はいじめから子供たちを救い、尊い命を自分で散らしてしまう悲しい事件を減らしたいのだ。


この学校に勤務したことに後悔はないけれど、果たしてこの後どうなっていくのかが、土井には見えないままだった。


「はぁ…」

「おや、なにかお悩みですか」

「あぁ、那珂川先生。こんにちは」

「はい、こんにちわ。先ほどから何か思い詰めているようですが、何かあったんですか」


那珂川涼なかがわすずみ、俳優部門担当教師で、髭がとんでもなく似合う教師である。教員をしながら俳優の仕事もしている、まさに二足の草鞋を履いた人物で、学院の中でも一目置かれたベテランである。

見た目の厳つさからは考えられないほど温厚な性格であるため、生徒からの人気も高い。


「いえ、少し迷っていることがありまして」

「迷っていることですか。お聞きできることならば、相談に乗りましょうか?」

「…そうですね。勤務が終わったら、飲みに行きませんか。酒を入れないと、あまりお話できない気がするので」

「えぇ、大丈夫ですよ。あらかた仕事が片付いたら、声をかけてくれませんか」

「はい。…わざわざすみません」

「いいえ。後輩の面倒を見るのは、先輩として当然ですからね」


穏やかに笑う那珂川に、土井はまた頭を下げた。



「はぁ…」


夏南は、机に肘をついて思いっきりため息を吐いた。


しばらく保健室登校になる結奈は、今日は体調不良のため休みだと連絡がきたから、1日ぶりの一人の職場である。


夏南は、自分が在学していたときに活動に悩みを抱える生徒の手助けをしたいと思い、アイドルの道を捨てて保健医という道に進んだ。その気持ちは今も変わっていない。

だが、まさか保険医として働き始めてそうそうに保健室登校を選択するほど追い込まれた生徒が出てくるとは思ってもみなかったのだ。


結奈が復帰できるように力を貸すのはもちろんだし、彼女の担任である土井や、生徒たちの仕事面を管理するスタッフとのやりとりを怠ることはできない。

が、それをしながら通常業務をこなすのもなかなか大変なことだ。体育などで怪我をした生徒には、傷あとが残らないように配慮しながら処置をしなければいけない。傷跡を残さない処置の仕方は日々進化していて、それをきちんと習得しておかないと、生徒だけでなく、仕事を渡してくれる相手先にも迷惑をかけてしまうことになる。


そうなってしまうと、大川学院のブランドに傷どころかヒビが入ってしまうかもしれない。


そういった責任感の中で仕事をさせてもらうというのは、達成感と共に疲労がとてつもなくたまる。夏南が在籍していた時に保健医としてこの場所に常駐していた先生もかなり若かったはずだが、なるほど、これをずっと続けていくのはなかなか骨が必要である。


もとから体が丈夫であるため、今のところ体調を崩すなど仕事に影響をきたすような非常事態は起きていないが、これが続いていくとなると少しぞっとする。保険医の人数をもう少し増やしても、多分この場所なら問題ないような気すらしてきた。


書類を作るために再度キーボードに向かいなおり、ここ数か月で飛躍的に上がったタイピング音に癒されながら仕事を再開する。


現在作っている書類は、学校でけがをした際の保険に関するものだ。


大川学院は芸能系の学校とはいえ、部活をしている生徒も一定数いる。特に、デビューはしているがもっと自分に箔をつけたいという生徒や、ある特定の部活に入りたくて入学してきた生徒が部活動に入っている場合が多い。

文化系の部活が多いのだが、なぜだか中学校の吹奏楽部はなかなかの強豪であり、外周に行っているときにこけた、なんて言って保健室に転がり込んでくる生徒はまぁまぁおおい。

中学校に吹奏楽目的で入学して、そのまま楽器のプロを目指すために音楽家のある学校に進む生徒が出てくるほどなので、本当に強いのだろう。事実うまいし。


(楽器が上手いのはいいことなんだけど、あの子たちちょっとこけたりしすぎなのよね。改善してもらわなきゃ備品があの子たち専用になっちゃうわ。あ、JRC部にも気を付けてもらわないとね。校外でけがする確率まぁまぁ高いし)


ある程度終わったところでプリントアウトにかけて、こんどは保健室利用者の細かい記録を書きだしていく。

保健室の奥にあるカウンセリング室を頻繁に利用する生徒は、不登校や活動拒否などの症状に陥りやすいため、慎重にケアをしていく必要がある。また、最近少し調子が悪そうな生徒についてもある程度の観察の後、担任やマネージャーに相談し、それとなく対処法を仰がなくてはならない。


望んでこの学校に入っていたとしても、生徒はあくまでも保護する対象だ。

放置しすぎれば、その生徒の未来をつぶしてしまうこともある。事実、夏南の後輩にも、そうやって途中でココロを病んで、現在やっとのことで仕事をしているようなやつがいるのだ。

彼に対して、学校側はかなり心を砕いていたと思う。それは本人も分かっているから、今の状況を嘆いてたりはしない。


(ここは芸能系の学校だけど、人の心を育てることに関しては、追随する学校はでてこないんだろうな。そうなるように、私も頑張っていかないとね。)

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