第2話 一筋の…

佐武小虎の活動休止発表後の学校は、酷く騒がしく思えた。


それもそうか。Twins☆Star!はデビューシングルでオリコン5位を獲得後、急成長を遂げているユニットなのだから。

学院内にもファンは多数いるし、Twins☆Star!の活動を見守ってくれる教師や、応援してくれる同期もたくさんいる。希とは違い、学院に入ってから活動を始めた小虎…結奈は、特に注目の的だったのだ。


「うそ!?ゆうちゃん今日来ないの!?」

「うん。教室にはね。しばらく保健室登校で様子を見るみたい」

「そんな…休止の原因について聞こうと思ってたのに」

「無理に聞いても意味ないだろ。結奈にはしばらく時間が必要なんだろうからさ」


クラスメイトで、現在学院内No.1といっても過言ではないだろうFlowerのメンバー、井樋蘭いとい らんと宮崎エミリにそう言われて、希は渋々黙り込んだ。

二人は…いや、Flowerは大川学院付属小学校時代からある三人組ユニットだ。小学校試合は落ちこぼれだと揶揄されていた三人は現在、逆境に立たされた時の強さが同年代と比べれば段違いである。


だからこそなのか、急な発表に焦る希に落ち着けと言い聞かせてくれた。


「まあ、Twins☆Star!は現在人気急上昇中の人気アイドルだからねぇ。学校側も、ちゃんと動いてくれるんじゃない?」

「さゆ…」


希に後ろから抱き着きながらそう言ったのは、ティーンに人気の雑誌『レディーメンズ』のモデルを務めているSAYURIこと馬見塚紗友里だ。

紗友里は年齢に見合わない大人びた顔立ちを存分に発揮した笑みで、希に笑いかけた。


「小虎ちゃんに何があったのか、私たちだけで考えていても意味がないもの。希は、小虎ちゃんがちゃんと戻ってこられるようにTwins☆Star!を守ってあげて…関わってそうな生徒には多分、あの考えなしのおバカさんが根回ししてくれるだろうから」

「…?ねぇさゆ、考えなしのおバカさんって誰の事?」

「さぁ、誰だろう?希が知る必要はないんじゃないかな」

「紗友里、流石にそれは意地悪すぎるよ」


クスクスと蘭が笑うが、紗友里はどこ吹く風といったように微笑んだだけだった。

そんな同級生たちの姿を横目に、エミリはスケジュール帳にさらさらと予定を書きこんだ。



「うん。これで完璧」




清潔感のある白色で統一された室内に漂う消毒液のにおい。

病院や保健室独特のこのにおいが、結奈はあまり得意ではなかった。


「ごめんね、消毒液臭い?」

「あ、いえ…大丈夫です」

「本当?無理しなくていいのよ。しばらくここに通うことになるんだし」

「…ちょっと、苦手…です」

「そっか。換気するからちょっと待ってて」


そういって職員用の椅子から立ち上がった若い保健医は、体を縮こませる結奈の様子に苦笑した。


「そんなに緊張しないで。カウンセリングなんていっても、土井先生とお話してる感覚でいいんだから。ね?」

「は、はい…」 


穏やかに笑う保健医の名前は斎藤夏南さいとうかなん。大川学院の生徒で構成される女子グループ、L,Kgirsラッキーガールズの一期生にして、当時リーダーを受け持っていた人だ。高校卒業後は芸能活動から引退して保健医の免許を取ることができる4年制の専門学校に進み、この学校に戻ってきたのだという。


在籍していただけあり学校の雰囲気をよくわかっている彼女は、中高問わず人気のある先生の一人だ。希がよく相談している相手ではあるが、結奈自身は彼女と話したことがないため、緊張してしまうのは致し方ない。


「えっと...ゆっくりでいいから、結奈さんが受けていたいじめの内容、教えてもらってもいいかな。辛かったら大丈夫だけど、誰がした、とかが分かってるなら言ってほしいな」

「はい…大丈夫です」


結奈はふぅ...と深呼吸をして、自分を追い込んだ人物の名前を告げた。


その生徒は、結奈とは違い大川学院付属小学校からの入学生であり、学内オーディションで2次選考まで進んだ実力者であること。ただし、選考落ちしてしまったたため、希望していたL,Kgirsラッキーガールズの研修生に上がれず、現在デビューのためのレッスンのみを受けている生徒であることも付け加えた。


結奈は中学からの途中入学者で、あの学内オーディションに受かる可能性は非常に低かった。そう油断していた彼女は、合格したのが結奈であることに腹を立て、自らの取りまきを使って結奈に陰湿ないじめを仕掛けていたのである。


個人名が分かったのは今朝のこと。保健室登校だとあらかじめ土井に知らされていた結奈が保健室のある特別校舎に向かっているときに、相手が面と文句を言いに来たのだ。なぜ話した、なぜ辞めない、と。


「馬鹿な人だな、とは、私も思いました。けど、そのときは言い返すことができなくて…あの時言い返さなかったのに今言うのか、とか言われそうですけど…実際、ずるいですしね」

「…なるほどね。でもね、結奈さん。あなたはそこで反論しなくて正解だったわ。もし反論していたら、彼女はあなたに肉体的な攻撃を仕掛けてきたかもしれないでしょ?今日から活動をお休みするとはいえ、貴女は人前に出るお仕事をもらう人だもの。身体に傷なんてつけられたら、復帰した後困るからね」


ずるくもないわ、大丈夫。


その言葉に、結奈の肩の力はどっと抜けた。

その時どんなに気丈にふるまっていても、結奈は元々そういった影口などに強くはない。だから、女子生徒が面と向かって文句を言ってきたとき、結奈は怖くてたまらなかったのだ。


「…夏南先生」

「どうしたの?」

「私、今どうすればいいのか分からないんです。話してしまえば楽になったけど、でも、復帰するのが怖いんです。彼女がこの事態の責任をとって退学になったとしても、彼女の取り巻きの人たちは学院に残りますし…どれだけ頑張っても、またこんな風に影口を叩かれて、陰湿なことを言われるんじゃないかって…」

「…なるほどね」


夏南は組んだ手に顎を置きしばらく考え込んだが、やがてすっと姿勢を正し、結奈と向き合った。


「これはあくまでも私の持論なんだけどね。人間には、絶対に誰か合わない人が存在する。普通の人は、それが職場の同僚であったり先輩で在ったりしても、その私情を隠して仕事付き合いをするの。けど、芸能活動をしている人間に遠慮なんかする人はごくわずかで、絶対に…どんなに人気のある人でも、必ずアンチと呼ばれる人は出てくるわ。私が芸能のお仕事をさせてもらってた時も、わざわざHPに悪評を書きこんでくる人がいたし、握手会でも別の子のファンから嫌がらせ紛いのことをされたこともある。最近はSNSが発達してきたから、そっちでも馬鹿みたいに叩かれる人のほうが多いしね。でも、皆そんな声気にしてないわ。所詮、その人たちのストレス発散だもの。会うこともないだろう人の中身のないコメントを気にするより、自分を応援してくれる人たちの、ちょっと辛口だったり、純粋な応援コメントを見てる方がよっぽど幸せだわ」

「そう、ですね」

「だからね、復帰することを怖がらなくていいのよ。世の中には自分と会わない人もいるけど、自分は自分を推してくれる人のために活動するんだって思っておけばいい。…難しいことだけどね」


花がほころぶように夏南は笑みをたたえた。その笑みはみる人すべてが安心できるような不思議な心地がして、結奈は机の下で握りしめていた手を開いて、その掌を見た。


小さな、何も守れないような手。


けれども自然と、何かを生み出せる可能性が詰まっている掌を見ているような気分になった。

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