第49話 シーサイト(後編)

「そろそろお店に戻ろうか」


 日も傾き始め、空は赤く染まっていった。


「あっ、ラヴィ!」


 聞き覚えのある声は、白い帆布でできた屋根のお店から聞こえた。


「リアンさん。あなたもお店を出していたんですね」


「私は毎年出してるよ! ラヴィが外に出ないから知らないんだよー」


 彼女はラヴィボンドさんの言葉に口を大きく開けて笑った。元気で明るそうな人だと思っていたが、それは僕の想像以上だった。


「きゅう?」


「ん? 君は確か……この前カフェにいた子だね!」


「はい、サイラス=アシュレイです」


「私はリアン=ジンデルです! そっちの子は?」


「この子はスミって言います」


「サイラスにスミね。よろしく!」


 彼女もまた他のカフェの人たちと同じで、僕の姿を気に留める素振りを見せることなく笑って話してくれた。


「相変わらず研究を続けているのですか?」


「まあね。追いかけっこも楽しいもんだよー」


「気をつけてくださいよ」


「分かってますー」


 日頃の彼女の様子についてラヴィボンドさんがやんわりと忠告するが、彼女の耳には届いていないようだった。


「どうして危ない研究を続けるのですか?」


 それを僕はどうしても聞きたかった。彼女にも研究を続ける理由があるからと、ラヴィボンドさんやマスターさんは強く言わなかったが、どんな理由であれ止めるべきであることには変わらないはずだ。


「んー。話し出すと長くなるからねー。そうだね、また今度研究室においでよ! そこでたくさん話してあげる!」


 彼女は笑顔を崩すことなく、笑って僕の言葉を迎え入れた。そこに悪いことをしているという意識はないようで、逆に僕が悪いことをしてしまったような気になってしまう。


「それよりもさ、うちの物を見てってよ!」


 両腕を広げた彼女に促されるように、僕の視界は彼女のお店全体を映した。リアンさんを中心としておぼろげに光る植物が並ぶ。それはまるで夢を見ているかのように幻想的で、リアンさんが人ではない不思議な生き物のように見えた。


「きゅー!」


 スミが突然声を上げた。先ほどまで僕の肩に掴まっていたのに、その上半身はいつの間にか宙へと投げ出されている。


「危ない、危ない。大丈夫?」


 スミを空中で支えていたのは、リアンさんの魔術だった。


「すみません」


 僕はその体を急いで支えて、リアンさんに頭を下げた。スミの頭は、まっすぐ植物の方向へと向いていた。その不思議な光に惹かれてしまったのか、スミは足元のことも考えずに飛び出してしまったのだろう。


「別にいいよ。よくあることだし」


 彼女は笑って答えた。その軽さは優しさから来るものというよりは、無関心から来るもののような気がする。それはこれまで見てきた彼女とは、どこかずれているように感じた。


「それで。どのようなものを売っているのですか?」


「いい質問だね! ここに並んでいるのは私の研究の成果。植物の魂から、その記憶を再現する種を作ったんだ」


「研究の成果って……、あの骨の?」


「あれはまだ研究途中のものでねー。こっちは枯れ果ててしまった植物を対象とした場合だよ。これはスズランでこっちは菖蒲しょうぶはすの花にタンポポもあるよ」


 紹介された植物はどれも花を咲かせていた。スズランは赤く、菖蒲は黄色。蓮の花はオレンジ色でタンポポは明るい青色。見たこともない色で咲いている花々は、風に撫でられ揺れていた。


「水に触れるとね、生きていた頃を思い出すかのように成長を始めるの。しかも手間がかからないのがいいんだよねー。ただ花の色は育てる人によって変わるから保証はできないけど、それもまた一つの楽しみってね」


 リアンさんの掌には、小袋に入った小さな種が乗っていた。


「おひとついかが? 君にはサービスするよー」


「危険はないのですよね?」


 僕の言葉を待つことなく、ラヴィボンドさんは切り返した。


「もちろん! 風の賢者が来ないことがその証明でしょ」


 彼女は胸を張って答えた。彼女をそのまま信用することに不安はあったが、賢者を引き合いに出されると、その言葉が正しいような気持ちになる。でもよく考えれば、賢者が追いかけてこないのはごく当たり前のことではあったのだけど。


「蓮の花と……タンポポの種を一つずつもらえますか?」


「もちろん! 餞別せんべつだ」


「せんべつ?」


「私のおごりってこと」


「あっ、ありがとうございます」


 僕は小袋を二つ受け取った。一つはお父さん、もう一つはお母さんへのお土産だ。


「それじゃあまた今度。研究室に遊びにおいでねー」


「分かりました」


 僕たちが話を進めているうちに日が沈み、あらゆるところで光が浮いた。どこからか聞こえるバイオリンの音はシーサイトの終わりを示している。


「さあ、お店に急ごう」


「はい!」


 伸ばされた手を取って、僕はアリーさんのお店まで戻った。




「ただいま戻りました!」


「お帰り。お祭りは楽しめた?」


「はい!」


 ラヴィボンドさんとお店に戻った時、片づけはすでに終わっていた。木組みの小屋は解体、圧縮されてアリーさんが座っている箱に詰められている。


「もうすぐフィナーレが始まるんじゃないかな? サイラスもゆっくりしてるといいよ」


「きゅっ」


 スミがアリーさんの元へ駆ける。黙って膝の上に乗ったその背中を、彼女は優しく撫でた。ほとんどのお店がテントを畳み、開けた広場に多くの人が立っている。暗くなっていく空。浮かぶ光がその表情を照らす。


 リン――。


 軽い鈴の音が響く。それは波紋が伝わるように広がった。新しい波紋として生まれたのはバイオリンの音。ドラムやトランペットの音も重なる。


 灯っていた光は空から落ちて、地面で跳ね飛んで手足が生えた。小人の姿になった光は人々の間を練り歩き、その旋律に踊りだす。手を叩いて調子を取って、その足で軽快なリズムを刻む。小人を追いかける子供たち、くるくると囲まれる家族の姿。スミを膝に乗せたアリーさんの周りにも、くるくると回る小人がいた。


「きゅんっ! きゅっきゅっ!」


 鼻を近づけるスミを、小人はひらりと舞ってかわした。光の軌跡を追いかけるように体をひねるスミは、兄弟に遊んでもらっているみたいだった。


「綺麗……」


 僕の足元にも小人が現れる。今日一日、アリーさんのお手伝いをしてラヴィボンドさんとお店を見回った。途中でサリバンと呼ばれていた変異者の女の人と話すことになったときはちょっぴり怖かったけど、リアンさんのお店ではお土産を奢ってもらえて、ここではスミが楽しそうに笑っている。


 今日は本当に楽しかった。心から笑顔が零れてしまう。こんな今までになかった現実は、カフェの皆がいてくれたから叶えられたことだった。


 音楽がクライマックスを迎える。多くの人が拍手して、その音とともに小人が弾ける。輝いた光は天まで登って、月だけが世界を照らした。


「ラヴィ、サイラスを家まで送ってあげて。私はこれを工房まで持って帰らなきゃ」


「僕もまだ手伝います!」


「それはダメだよ。もう暗いんだから」


「そうですね。サイラス君、行きましょう」


 ラヴィボンドさんから伸ばされた手を僕は素直に受け取った。スミが足元に戻ってくる。


「今日はありがとうございました」


「きゅん!」


「子供は早く帰って寝ないとね」


 にこやかに手を振るアリーさんに、僕も手を振り返した。

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