第48話 シーサイト(中編)

「おう! 調子はどうだ?」


 その聞きなれた声に、僕は陰からそっと覗き見た。


「ちゃんと休めていますか?」


「忙しいけど、順調だね」


 お店の前にノーマンさんとラヴィボンドさんが来ていた。


「サイラス君はどうしているかい?」


「そうだ! ラヴィはサイラスを連れて祭りを見回っておいでよ。ノーマンさんは代わりに手伝いよろしく」


「えっ」


「俺が手伝うのか? ……まあ、いいが」


 思わず奥のスペースから顔を出した僕は、ノーマンさんと目を合わせた。


「午前中はしっかり手伝ってもらったからね。お祭りは巡る方でも楽しまないと」


 アリーさんにひょいとお店から投げ出され、僕はラヴィボンドさんに手を引かれた。


「きゅっ!」


 お店を飛び出した僕を追いかけて肩に飛び乗ったスミの勢いに、僕は前につんのめりそうになった。


「おっ、大丈夫?」


「はい」


 僕たちが振り返ると、お店の中でアリーさんとノーマンさんが手を振ってくれていた。僕は二人に手を振り返して、ラヴィボンドさんの隣に立った。


「ラヴィボンドさん、行きましょう!」


 ラヴィボンドさんが伸ばした手を取って、僕たちは歩き始めた。




 露店には様々な種類があったが、ウィラレントとはまた違った空気が漂っていた。シーサイトは子供のお祭り。出店している人も見回っている人も若い人が多く、その大半が僕とあまり年齢が変わらない子供だった。


「きゅっ?」


 道を歩いていると、スミが肩を下りて一つの露店の前で足を止めた。そのお店には真っ赤な飴が、棒に刺さって並んでいた。


「りんご飴だね。一つ頂けますか?」


「はい。お持ち帰りですか? 食べ歩き……されますか?」


「食べ歩きでお願いします」


「……はい」


 後ろに僕がいることに気づいたお店の人は、どうにか表向きを取り繕って会話を続けた。その表情はくぐもったが、声を上げられないだけマシだった。


「軽く……ひびを入れておきました。袋もどうぞ……」


「ありがとう」


 にこやかに受け取ったラヴィボンドさんは、それを流れるように僕に手渡した。


「ありがとうございます」


 その宝石のような赤い輝きは食べてしまうのがもったいないほど。僕が受け取ってすぐに、肩までよじ登ったスミが顔を出した。


 僕たちは足を進めながら飴に一口かじり付いた。薄く覆う飴がパラパラと崩れて中からりんごが顔を出す。スミの小さな口では綺麗に食べるのが難しそうだが、それでもなんとかかじり付いてペロペロと口周りを舐めた。


 隣にラヴィボンドさんがいて肩の上にはスミがいても、大勢の人の中は居心地がいいとは言えなかった。僕を見つめる視線はいつもと何一つ違わない。ただ二人がいてくれることは、この状況の中で僕を救ってくれる。純粋にお祭りを楽しむ二人を見ていると、僕も同じように楽しめるような気がするから。




 人ごみの中を歩いていると、道の先の方が急に騒がしくなった。


「何かあったのかな?」


 ラヴィボンドさんの言葉の通り、その騒ぎは人の波となって僕らのところまで押し寄せた。


「ラヴィボンドさん! スミ!」


 人の波に押し流されるようにラヴィボンドさんの手は離れ、スミの衝撃で落としてしまった飴に引きずられるようにどこかにいなくなってしまった。いつも僕を避けるように歩いていた人たちも、その存在が見えていないかのようにぶつかってくる。


「変異者だ……」


 戸惑いや恐怖に怯えた言葉が飛び交う中、その声は聞こえた。


「変異者が……いるの?」


 人の波に抗うことなどできず、僕は流れのままに身を任せていた。この騒ぎの原因は変異者が現れたことらしい。普段は表に出てくることのほとんどない変異者が、今になってどうして出てきたのだろう。人がこんなに逃げ惑うほどに、危ない変異者なのだろうか。その人は、ノーマンさんのように普通の人間とは違ったのか。


「死神よ! こっちに来ないで」


 変異者という言葉に囚われていた僕は、その騒ぎの中心が自分にも向けられつつあることに気がつかなかった。


 たった一人の声が上がっただけで、周りの人の意識が僕に集中した。すぐ隣で走っていた人に押されて、反対側にいた人に押し返される。彼らは僕をもみくちゃにしながら、距離をどんどん離していった。


「死神の姿……」


 僕が人に囲まれてよろめいていた時、ドスの利いた声が頭の上から降ってきた。僕をすっぽりと隠すような影の主は、その半身を蜘蛛の姿へと変えた女の人だった。


「災厄の訪れ……。打ち消したり得るか……」


 四対の細長い脚に大きく黒光りした腹。蜘蛛の姿をした下半身は、それだけで僕の身長を超える。腹から繋がった人間の胴は細く高く上に伸び、こちらを伺う顔は地面に触れるほどに伸びた髪で影になって見えない。


「そなた、魔力はいかほどに……?」


「まっ、魔力?」


 青く湿り気のある髪が顔をかすめる。重苦しい空気が身を包む。


「…………」


「魔力は……膨大な量あります」


 求められていた答えかは分からないが、その沈黙には耐えることができなかった。


「魔術はいかほどに……?」


「まだ……全然……。今、勉強中です」


「…………」


 また重苦しい沈黙に包まれた。魔術ができないこと。やはりそこに問題があるのか。


「きゅっ?」


 口周りをべろべろに汚したスミが、僕の足元で一声鳴いた。スミだけはこの緊張感を物ともせず、いつも通りその笑顔を振りまいていた。


「……それ……は……?」


「僕の家族。……スミです」


「そう……」


 この変異者の女の人が、スミにその焦点を変えた。僕に向けられていた圧は消え、そこには沈黙が残る。大丈夫だろうかと足元に目をやるが、スミは特に気に留めずにくねくねと顔を動かしていた。


「サリバン! お探しの子はこちらか?」


 沈黙を破る声が辺りに響いた。声のした方向に目をやれば、綺麗な銀髪をなびかせて全身を黒服で包んだ女の人がちょうど地面に足をつけるところだった。


 その女の人の腕に抱えられていたのは、手入れの行き届いたグレーの毛並みが輝く青い瞳の猫。女の人が地面に下ろせば、猫は優雅にサリバンと呼ばれた変異者の元へと歩いた。


「フーヴァル……お帰り……」


 その声に猫はゴロゴロと喉を鳴らす。変異者は女の人へと体の向きを変えると前かがみになり、光に包まれて猫と共にいなくなった。


 張り詰めた空気も消えて、この場に残ったのは僕と猫を連れてきた女の人への注目だった。


「もしかして……炎の賢者じゃないか?」


 一人の声をきっかけに、その場にいる人たちがざわざわと話始める。


「お騒がせした。彼女は人見知りで、どうか誤解しないで頂きたい。ではまた、シーサイトを楽しんで」


 彼女の言葉を聞いて、皆そそくさとこの場を後にした。


「君にもお迎えだ」


「サイラス君!」


 振り返るとそこにラヴィボンドさんが立っていた。


「大丈夫かい?」


「はい。何ともないです」


「良かった」


 ラヴィボンドさんは疲れたように一息ついた。


「それでは私はこれで」


「ありがとうございました」


 結局その人が炎の賢者かは分からなかった。女の人は人波の中へと消え、シーサイトは元の賑やかな状態に戻った。

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