第33話 問題へのアプローチ
「それでさ、肝心の嫌がらせはどうするの? 見た目を変えるの? それとも姿を見えなくするとか?」
「サイラス君は何も悪くはないんですよ。彼が変わるのはおかしいのではないですか?」
「それはそうだけど……」
ラヴィボンドさんの言葉は僕の心の中で静かに訴えられてきた気持ちのまま。アリーさんの正しさは分かるし、問題を解決するために原因を見つめなおす必要があることには納得している。ただそれを受け入れてしまうと、自分もまた嫌がらせをする人たちの仲間に参加することになるのではないだろうか。
「嫌がらせは任せて。自分を曲げる必要はないから」
「何か手があるんですか?」
「詳しくは秘密だけどね。明日の朝、学院に来たらそのままここに来てくれるかな? 最初だから説明も含めて、三十分もあればいいから」
秘密基地の扉の前。マスターさんとの約束をした次の日の朝、僕は彼女から言われた通りにカフェを訪れた。
カラン
「いらっしゃい」
珍しくカウンターの外に座っていたマスターさんは、僕の顔を見てにこりと笑った。
「ここに来るまで何もなかったかい?」
「はい」
正確には何もなかったわけではないが、嫌がらせが始まる前と変わらないことに関してはここに含まれていないだろう。マスターさんは椅子から立ち上がって手招きした。
「まっすぐ、背筋を伸ばして」
マスターさんの前に立って、僕は彼女を見上げた。頭上で腕が輪っか状に広げられ、その中で彼女の真紅の髪が
いくつもの泡が浮かび、いくつも弾けて香りを残した。それをじっと動かずに眺めて、香りに満たされたころにその魔術は終わった。
「まだ時間はあるかな?」
腕を下ろしたマスターさんは、小首をかしげて小さく笑った。赤みがかった褐色の瞳が、その細められた目の隙間から覗く。
「まだ二十分くらいはあると思います」
時計のないこの部屋で、それは僕の体感でしかなかったが、あながち間違っていないような気がする。
「それなら大丈夫だね。簡単にだけど説明するよ」
そう言ってマスターさんはカウンターの向こう側へと移動した。
「はい、どうぞ」
いつも座る椅子によじ登った僕の前に、マスターさんが淡い黄色の飲み物を置いた。
「今日はまだオレンジジュースを仕入れていなくてね。リンゴジュース、たまには違うものもいいでしょう?」
「……ありがとうございます」
僕はそれをありがたく受け取った。ここで出会った人たちはみんな、心からの好意で僕に多くのものを与えてくれた。今まで何度も遠慮しようとしてきたけれど、最後はいつも受け取ることになって、結局はそれを受け取ることが彼らにとっての一番の喜びなんだと気づかされた。
透き通ったリンゴジュース。濁りのないその口当たりは優しく、まるい甘さの中に潜むかすかな酸味が味を引き締める。
「おいしいです」
僕の言葉に、彼女は優しく微笑んでくれた。
「さっきかけたのはね、力を反転する効果があるの」
「力を……反転ですか?」
「簡単に言えばね、誰かに押されたり叩かれたりしてもそれと同じ力で押し返す感じ。だから、実際には誰かに触れられたようにしか感じなくなるの。目に見えないクッションだと思ってくれればいいよ」
「目に見えないクッション……」
僕の体は魔術をかけられる前と何も変わらないように見える。でもそこには、確かな違いがあるらしい。
「ただ魔術に関してはちょっと違ってね、ボクに触れた魔術の方向が反転するようになっているから、その効果は魔術を発動させた人に向かうの」
「えっと……」
「つまり直接的な時は何かが触れたようにしか感じなくなって、魔術の時は嫌がらせをしようとした人がその被害を受けるということ」
それは今まで僕が受けてきた嫌がらせを全て防ぐことができるような魔術だった。悪いことをしていない自分を、納得をしないまま変える必要なんてなかった。僕は僕のまま、ありのままの姿でいられる解決法だった。
「嫌がらせをしても効果がないと分かれば、自然と少なくなるはずだから、今よりはずっと過ごしやすくなると思うよ」
「ありがとうございます」
「お礼を言われるほどのことはしていないけどね。根本的には何も解決していないから」
「えっ?」
これで全ての問題が解決した。そう思っていたのに、彼女にとってはまだ問題があるらしい。
「これは嫌がらせからボクを守るだけで、嫌がらせをなくすことはできていない。本当の解決は、ボクに嫌がらせをしても良いという考え方を変えることだけど、正直厳しいのが現状なんだよね」
「そう、ですね……」
本当の解決という意味では、この問題は僕が生きている限り解決することはないだろう。人の考え方を変えることなど無理な話だ。だから僕にとって、ここは夢のような場所であって、これ以上の幸せを望むわけにはいかなかった。
「それでも、マスターさんが助けてくれたことは変わりませんから。本当にありがとうございます」
「どういたしまして」
僕を助けてくれた上に、それ以上の心配をしてくれるマスターさん。その曇った表情が柔らかく変化したことが少し嬉しかった。
「ただ注意してほしいことがあってね。この効果が続くのはせいぜい今日の夜まで。だからまた明日の朝も、ここに来てくれないかな?」
「分かりました。僕のために何度もすみません……」
「これは私の趣味みたいなものだから、気にしなくていいよ。……そろそろ時間だね」
僕はグラスに残っていたジュースを飲み干した。
「人の考えはそう簡単に変えることができないから、今まで以上に気を付けるように。いってらっしゃい」
「ありがとうございました。……いってきます」
席を立った僕は、いつもの世界へ足を踏み出した。初めて口にする言葉は慣れなくて、なんだか足が浮足立っているようだった。
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