第32話 僕にできること

「私はアリソン=スペンサー。アリソン工房の経営者かつ技士です。よろしくね」


 アリソン工房。それは高級店や人気店の集まる都市セトラの中でも一等地に構える、この世界でエトワールを取り扱う唯一のお店だった。


「僕はサイラス=アシュレイです。……スペンサーさん、こちらこそよろしくお願いします」


 彼女から差し出された手を取って挨拶をするが、未だに僕の頭は今の状況を理解できていなかった。


「うむむ。できればスペンサーではなく、アリーって呼んでくれないかな?」


「……アリーさん?」


 とりあえず口に出してはみたが、頭の処理が追いつく様子はない。


「えっ、そんなすぐに呼ぶのかい? 私にはまだよそよそしいのに……」


「ラヴィがヤキモチ焼いてる」


 反応の速いラヴィボンドさんに、マスターさんたちは楽しげに笑った。その様子に、僕は今の状況を理解することを放棄した。


「いいですね……」


「なんて呼ばれたいんだい?」


「ギルなどどうでしょうか?」


「いや、ここはラヴィだね」


 どういう理由があったのか、マスターさんの返答は素早かった。


「ラヴィさん?」


 みんなからそう呼ばれているのに、どこか不満そうなラヴィボンドさんに、僕は尋ねるように声をかけた。


「……うん。ありがとう」


 少しの沈黙の後、彼はすぐに笑顔を見せてくれた。どうやらその呼び方に満足してくれたみたいで、その様子を見たマスターさんもまた楽しそうに笑った。




「エトワールは私の研究の成果なの。結晶の中心が液状になっていることが特徴で、今のところこの魔術式でしか作ることができない」


「ではこれは、本物なのですか?」


 僕の手の上の結晶をつつくラヴィボンドさんの手を、アリーさんが払いのけた。


「これはもう私のだから、大切に扱ってよね」


「最初はイマイチだって言ってたのに」


「それは売り物を基準として言ったから。結晶ができている時点で、これはれっきとしたエトワールなの」


 本当にエトワールなのだろうか。誰もが羨むような美しさなど少しも感じられない。先ほど見せてくれた結晶とは似ても似つかないものだ。でももし本当に、この結晶がエトワールだとするのならば、イマイチであることは誰の目にも明らかなものだろう。


「私にくれてもいいからね」


「あげません。これはお守りとして私が預かるから」


 あらあらと笑うマスターさんは楽しそうだ。こんなにも不格好な結晶に対して、どうしてそこまで執着するのだろうか。


「すみません、魔術が下手だから……。普通ならもっと綺麗にできると思うんですけど……」


「えっ?」


「まあ、そうだよね。普通ならそう考えるよね」


 少し驚いた様子のアリーさんに、笑ったままのマスターさん。


「……どこか間違えていたでしょうか?」


「そうだね。私は実際に見てもらうことを勧めるけど。どう思う、ラヴィ?」


「どう思うと言われましても……。実際どうなるんですか?」


「それはやってみてからじゃない? 準備するね」


「私がするんですか?」


「ラヴィ以外に誰がいるの?」


 二人は当たり前のように準備を進めた。僕とラヴィボンドさんだけがおいていかれ、彼の目の前で着実に魔術の準備が整っていった。


「さっきの話聞いてただろうから、何も言わなくても大丈夫だよね」


 魔術式が書かれた紙と、その中心に盛られた白い粉。僕が魔術を発動させたときとほぼ同じ状況だ。


「とりあえず発動させればいいんですよね?」


「そう。植物が育つような感じでね」


「やってみます」


 結局二人の空気に流されて、ラヴィボンドさんは魔術式に手を添えた。


 ラヴィボンドさん手元が緑色の光を放ち、魔力が式全体へと流れ込んだ。漂う光は帯のように白い粉を囲み、それはもこもこと内側から膨らみ始めた。これが粉からエトワールへと変化する過程。先ほどは見ることのできなかった光景に、僕はその動きをまじまじと眺めた。


 膨らんで弾けてはまた膨らんで。緑色の光を反射するそれは形状変化を繰り返す。ひときわ大きく膨らんだかと思えば光が赤く変化して、ひゅるりと音を立てて縮み上がった。次第に輝きを失っていく魔術式の中央に残っていたのは、小さく固まった黒い塊だった。


「お疲れ様。これがいわゆる一般的な結果、失敗作だね」


 失敗作だと、アリーさんは簡単に言い切った。そしてそれが一般的な結果であると。


「ちょっと触ってみて」


 その言葉に従って指を伸ばせば、触れた先からほろほろと崩れてまともに掴むこともできない。エトワールの影すら感じられないその黒い塊は粉々になり、本当に小さな粉の山を作った。


「この変化はさすがに想定外だったし、明らかに質量が減っているんだよね。その原理も魔術式の改善方法も分からないから、正直お手上げの状態だよ……」


 溜息をつきながらも、口を大きく開けたアリーさんはホットケーキを頬張った。


「まあ、ボクがエトワールを作れることが分かっただけでも十分。これなら出来上がり次第で魔術の出来も判断できるでしょう?」


「んむ。確かに練習台としてはぴったりかもね」


「それにエトワールを作れる人が増えるかもしれないんだよ」


「それは嬉しいけど……。正直、結晶ができた時点で満足かな」


 アリーさんとマスターさんが、楽しそうに笑いあった。僕は生まれて初めて、まともに魔術を扱うことができたんだ。今更になって現れたこの感覚は、魔術の後に得られた結晶よりも、その結果に笑ってくれる人たちのおかげなのだろう。


「道具や材料は準備するから、できるだけ綺麗な形のエトワールを作ることが最初の目標だね」


「はい。よろしくお願いします」


「うん。よろしくね」


 それまでの問題が全て嘘だったかのように、ここの空気は軽くて暖かかった。

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