第23話 ウィラレント(北街)
夜空に花が咲き乱れる中、僕たちは広場を大回りして北側へと移動した。人々の熱は冷めることなく、その盛り上がりも止まることがない。密着した人の波は、その場にいるだけで体力を消費する。僕たちは北側の街の小道に入って、ようやく一息つくことができた。
広場の盛り上がりから逃げるように僕たちは歩いた。ウィラレントは、南と北でその様相を大きく変える。誰もが笑い大声で叫んでいた南側に比べて、北側は静かで道の片隅で涙を流す人を度々見かけた。今にも消えてしまいそうな笑顔を浮かべる人もいれば、周りの人に支えられてその場を後にする人もいた。その人たちの流す涙は、どれも美しかった。
鎮魂祭——。
死を悼み、乗り越えて先へと進む人たちの決意は、きっと賢者のところまで届くだろう。彼らのその決意が、その美しい涙が、僕には少しだけ羨ましく思えた。
僕が亡くなったとき、いったい何人の人が泣いてくれるのだろうか。その時もまだ、両親は仮面を付けたままなのだろうか。
世界に嫌われて、全ての人に蔑まれて、僕と共にいてくれるのは両親だけ。夢の中のあの人たちも、その中に加わってくれるか分からない。僕が息をできる世界は、そんなにも曖昧で小さかった。
ギュッと握った僕の手を、お父さんの手が握り返した。見上げてもその表情は分からなかったが、それだけで僕の心は安らいだ。
くぅー。
お父さんのおなかが鳴った。少し先にあるお店から、美味しそうな香りが漂ってきているからだろうか。
それに返事をするように、僕のおなかも鳴った。それはお父さんほどかわいい音ではなくて、僕とお父さんは目を合わせた。
ホットドッグを三つ、フライドポテトを二つ。できたてアツアツのそれを手に取り、お店から少し歩いたところのベンチで三人並んで手を合わせた。
炒められた細切りのキャベツはシャキシャキとした食感が残り、その間から半熟状態の炒り卵、大きなウィンナーの圧倒的な存在感に、ケチャップとマスタードのピリッとした辛さが効いている。具材がたっぷり詰まったボリューム感のあるそれを、僕はぺろりと平らげた。
片手につまんでいたフライドポテトもカリカリッとしてしっとりホクホク。その塩加減も絶妙で、伸ばした手が止まることはなかった。
三人揃って手を合わせ、僕たちはまた歩き始めた。涼しげな色のランプが下がる北側の道は静かだ。花やアクセサリー、雑貨などを扱う露店からも、掛け声は聞こえない。どこか遠くから届く穏やかな旋律だけが、この空間を支配する。
広場の盛り上がりから離れて随分と経つ。もうすぐ街の端にたどり着くのだろう。静かな街を歩くのも、僕にとっては楽しいことだった。
ただ三人で手を繋いで歩いていただけだったが、不意に視線が惹きつけられる場所があった。通りの真ん中に佇む小さなお店。そんな場所にあるのなら少しは人が集まるのだろうと思ったが、どうやらそうでもないらしい。誰もがその少し陰のあるお店を遠巻きに避けて歩いていた。しかもそれは無意識のようで、このお店が見えていないかのようだった。
「ちょっと覗いてみようか?」
僕の視線を伺って、お父さんが足を進めた。所狭しと植物が並ぶそのお店では、小さなおばあさんが囲まれるように座っていた。その少し違和感のある存在に、僕の視線は捉われた。
「こんにちは」
おばあさんがゆっくりと前かがみになる。なにやら返事をしているようだったが、僕にその声は聞こえない。
「その鉢植えがおすすめですよ」
初めておばあさんの声が届いた。少し掠れている声は、川の音によく似ている。僕の視線は自由になり、彼女の指が示す方向を見つめた。
「今は葉っぱだけど、大事に育てれば綺麗な白い花が咲くのさ」
小さな鉢植えはお父さんの手にすっぽりと収まっていた。真っ白の器に三、四枚の流れるような葉が伸びている。
「毎日ほんの一滴でいいから、水をあげ続けなさい。きっとその花は大切なことを教えてくれるさ」
「では、こちらをいただけますか?」
今日の記念だと、その鉢植えは僕の手元へ渡ってきた。青々と艶のある葉は、どこか冷たい空気をまとっているかのようだった。
落とさないように鉢植えをしっかり握って、僕はお金を払うお父さんの隣に立った。お金を受け取るおばあさんの膝の上、そこには先ほどまでいなかった真っ白な兎がくつろいでいた。鼻をピクピクと動かし、目は細長く眠そうにしている。もう少し近くで見てみたい。一歩踏み出した足音で、兎は目をカッと見開かせた。そこに穏やかな様子はない。ギョロリと動いたその目玉が、僕をジッと睨みつける。
「ありがとうございました」
身動きの取れなくなった僕を、支払いを終えたお父さんが抱え上げた。その場を立ち去るお父さんの腕の中では、お店の様子を確認することができなかった。
学院を経由して帰ってきた家の前の道で、僕は何度もあくびをした。もう寝ていいと言われるけど、なんだかまだ寝たくはなかった。
「さっき兎がいたね」
眠気を覚ますために、僕は両親に話しかけた。
「兎かい? どこかにいたかな?」
「私は見ていないけど」
二人は僕の言葉に首を傾げて、僕は二人のその様子に首を傾げた。
「おばあさんの膝の上にいたよ。真っ白の兎」
僕はそう言ったのだが、眠くて見間違えたのだろうと返されて信じてはくれなかった。確かに見たはずだった。二人もすぐに気付くような場所だった。それなのに、二人の目に兎は映っていなかった。
黙ることしかできなくなった僕は、いつの間にか眠っていた。
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