第22話 ウィラレント(南街)

 大晦日。今日で一年が終わる。中心都市で昨日から行われているウィラレントに、僕たちも夕方から行くことになっていた。大晦日は一年で唯一、僕が外で夜を過ごすことができる日だった。


 コートにマフラーを巻いて、いつも以上に温かくした僕が一階へ下りると、お父さんがソファに座って待っていた。目が合ってすぐに、お父さんは手を弾ませて座るように促した。それに従って隣に腰掛けても、お父さんは何かを話すわけでもなく、ただ隣で黙っていた。


「おまたせ」


 お母さんが準備を終えて部屋に入ってきた。立ち上がったお父さんに倣って僕も立ち上がる。ゆっくりと近づいたお母さんは、僕に毛糸の帽子を被せてくれた。普段は髪を隠すことを嫌うお母さんが、今日は自ら被せてくれたのだ。


「外は寒いからね、風邪をひかないように」


「ありがとう」


 そこにあったのは気遣いだけだったのだろうか。


 学院を経由して出た扉は、中央街の南端に繋がっている。雲一つない紺色の空。星たちを隠すように、ウィラレントは盛り上がりをみせていた。温かな色のランプが掲げられた街のどこからか、楽器の音や歌声が響く。遮るように聞こえてくるのは、道端に並ぶお店からの掛け声や歩く人の笑い声だ。


 夜の街は様々なものを隠してくれる。それは僕の姿もだった。帽子を被って分かりにくくなったのもあり、僕は誰にも悪口を言われることなく人ごみの中を歩くことができた。


 人の波に従って通りを歩くと、所々に人の集まりができていた。それは催し物の観客たちのようで、息の合った笑い声が響いていた。ちょっとした日常を動物との掛け合いで演じる人、今流行りの歌を披露する人、どこかの地方で受け継がれてきた曲を奏でる人、見たことのない服を着て見たことのない踊りを踊る人。そのお祭りの雰囲気に乗せられて、僕も楽しくなっていく。


 いくつかの集まりを通り過ぎて、多くの子供たちが座っている小さな広場に辿り着いた。子供たちの視線の先には、大きな箱を乗せた台車が佇んでいる。ここでも何かの催しが始まるらしい。


「見てみようか?」


 お父さんは僕の背中にそっと手を当てた。


「……うん」


 僕は座っているその子供たちの一番後ろに加わった。


 僕が座ってすぐに、目の前の大きな箱が開けられた。かわいらしい音楽に子供たちの拍手が重なる。箱の中に現れた人形たちはぴょんぴょんと跳ねて、この催しの始まりを喜んでいるようだった。


 人形たちが語るのは、みんな聞いたことがある話。少し大きくなってからだけど、僕も聞いたことがある話。死神によって訪れた世界の破滅を、一人の賢者が救う話——。


 世界が闇に包まれて、苦しみ絶望する人々を賢者が勇敢にも救っていく。彼の手は一人ずつ光へと連れ出し、最後に対峙した死神の手を取った賢者は、そのまま闇の中へと飲み込まれた。光の満ちた世界の中、残された極僅かな闇は薄れて、そこに二人の姿はなかった。二人は死の世界へと共に立ち去っていた。


 人形たちの劇はとても面白かった。不快感も苦しみも、負の感情なんてものも湧かなかった。闇が薄れていく様に、その中で争われる賢者と死神とのやり取りに惹き込まれる子供たちに混ざって、僕は声を上げることなくただ黙って心をときめかせた。


 劇が終わり、誰もが腰を上げて親の元へと走る中、僕も走って両親の元へと戻った。これまでには無かった状況にふわふわと心が浮ついて、両親にこの気持ちを話したくなった。その時の笑顔は少しぎこちないような気がしたが、それは自分の心に従ってできた表情のはず。両親の顔を見上げた僕は、その表情に口をつぐんだ。お父さんは感情の読めない顔で劇の舞台をジッと見つめたまま。お母さんは眉間にしわを寄せた笑顔で僕を見つめる。


 この劇は僕たちの先祖の真実を隠した、上辺だけの物語。真実を知る僕たちだけが恨むもの。それを目の前で楽しそうに聞いている僕の姿は、両親の目にどんなふうに映ったのだろうか。お父さんの大きな手が、僕の手を握った。


 道沿いに並ぶテーブルで、顔を赤くした大人たちが腕を組んで歌いだした。三人で手を繋いで歩く僕たちは、何も話さず歩いていた。ぴったりと貼り付いていた仮面が、少しずれてしまったかのように。お母さんの表情は険しく、お父さんと目が合うこともない。僕たちだけがこの世界から切り離されてしまったみたいだった。


「ちょっと待ってて」


 僕から手を離したお父さんは、近くの露店へと吸い込まれた。立ち止まったお母さんは相変わらずで、二人っきりでいることが気まずかった。


 戻ってきたお父さんの手には、三本の棒状のお菓子が握られていた。凹凸のある細長い生地がクルクルとねじれ、コーティングされたその表面には大きめの砂糖が散りばめられている。一口齧るとその表面がカリッと割れて、中身がほろほろと崩れ出す。表面の砂糖が舌の上で溶け出し、甘さが口いっぱいに広がった。


 お菓子を食べ終える頃にはまた仮面を付け直して、僕たちは笑顔に戻っていた。


 街に着いてからもう随分と歩いてきた。ようやく辿り着いた中心部の広場は人で溢れかえっていた。そこにいる誰もが、いまかいまかとその時を待つ。ウィラレントが最高潮へと達する時を。カウントダウンが始まった。


 広場のどこかで100という声が上がった。それを追うように99という声が重なる。人の波の中お父さんが僕を抱え、そのすぐそばにお母さんが立つ。


 70、69、68、……


 一人、また一人と叫び出し、声はどんどん大きくなっていく。お父さんが腕を伸ばした。その手首の文字盤が、年を越すまでの時間を指し示す。


 50、49、48、……


 お父さんも声を出して数え始めた。


 30、29、28、……


 お母さんも数え始め、周りの誰もが声を上げていた。


 10、9、8、……


 僕も声を上げた。広場に集まる人々が一体となる。その中に僕も含まれていた。


 3、2、1、……


 ぴゅーッと一筋の光が天へと昇る。大きな音を立てて、夜空に巨大な花が咲いた。花は光を空に撒き散り、次々と新しい花を咲かせていった。


「サイラス。あけましておめでとう」


「あけましておめでとう。また一年、元気に過ごしましょうね」


 瞳の中にも、その花は咲いていた。


「あけましておめでとう」


 僕はにっこり笑った。ただの言葉は魔術のように、あらゆる人々を笑顔にした。晴れやかな笑顔の澄んだ瞳。そこに映る光は地上にある星のようで、揺れる煌めきが綺麗だった。

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