第6話 秘密基地
依頼を受けることになった僕は彼から受け取った依頼書に必要事項を記入して、それを預かりに来た例の小鳥に手渡した。嘴や足を使って折り畳み、背負った鞄に器用に仕舞い込む。その小鳥が確定した依頼状を携えて再び現れたのは、それから間もないことだった。
「それでは依頼者をお呼びしますね」
当日、僕はあの日と同じ格好をして依頼所を訪れていた。深いフードで覆われてしまえば、誰も僕が死神だとは分からない。係の人の合図で鈴の音が広がれば、比較的人の多い今日でもその澄んだ音が掻き消されることはなかった。
「おはよう」
「おはようございます」
人影から現れた彼は、ニコニコと既に楽しそうな雰囲気だった。その期待を隠しきれていない様子に、僕の心も浮ついてしまいそうになる。
『僕は死神なのだから。住む世界が違うんだ』
調子に乗ってはいけない。心の奥底の声が僕を諌めてくれた。これから始まるのは夢の話。現実とは乖離した、僕にとって非日常な時間。
「同意の前に、今回の依頼料について確認を行います。今回の依頼料は本人の望んだものとなっておりますが、サイラス=アシュレイ様は何を望まれますか?」
「えっ……」
それは予想外の質問だった。依頼を受けることは確定事項だったから、それにあたっての報酬など確認していない。まさか僕にその決定権が委ねられているなど思いもしなかった。
「……では、依頼料は受け取らないということでもよろしいでしょうか?」
「えっ、いや……それは…………」
元々依頼を受けることが目的なのだから、依頼料など必要ない。貰わなくて済むのであれば、それが一番だろう。その考えで提案した僕の言葉は、今度は彼を動揺させてしまったようだ。
「ギルバート=ラヴィボンド様。サイラス=アシュレイ様は依頼料を受け取らないことを希望されましたが、どうなさいますか?」
「……分かりました」
仕方なくといった様子で、彼は僕の提案に同意してくれた。正直、彼が他の報酬を望むのであれば、僕はそれに従っただろう。僕はただ、彼に求められるがまま動きたいだけだったから。しかし彼は僕の提案を受け取ったので、僕は何も言えなかった。
「ただ一つだけ……。サイラス君、もし何か私にして欲しいことがあれば遠慮なく言ってくれないかな。できる限り手助けさせてもらうから。もちろんこれは依頼とは関係なく、いつでもどんな時でもいいから」
「分かりました」
彼はフードの上から僕の頭を撫でた。その言葉は、依頼料がないと約束しておきながら、実際は存在すると言っているようなもの。ただし僕が何かを頼まない限り、支払われることは決してない。僕がそれを受け取る日は来ないだろう。
「では、最終確認に入らせていただきます。お互いに今回の依頼について同意されますか?」
「ああ、もちろん」
彼の返事は相変わらず早かった。
「僕も……、同意します」
今回の依頼に迷いはない。僕も彼に続いて返事した。
「それでは良いお時間を」
僕たち二人の同意を確認して、係の人は依頼の開始を宣言した。にこりと笑う表情はとても穏やかなもので、それが僕の偽りの下に成り立っていることに罪悪感を覚えずにはいられなかった。
「じゃあ行こうか」
彼が伸ばした手に僕も手を重ねる。視界を覆う青い光に、僕はそっと目を閉じた。
心地よい風を感じて、僕はそっと目を開けた。広がっていたのはもう見慣れた景色。
「依頼を受けてくれてありがとう」
箱庭の真ん中。風になびく金糸の隙間から、穏やかな湖面が僕を見つめる。その静かな微笑みは僕の心を黙らせた。
「こっちだ」
光の懸け橋となる手を引いて、彼は箱庭の扉を開けた。廊下を曲がってまた別の扉を抜ける。僕がいつも使っている道とはまた違う方向で、たどり着いたのは暗くて静かな廊下。
「ここには窓がないからね、どうしても暗くなってしまうんだ」
心許ない僅かな明かりが、人けがない廊下をより一層寂しくさせる。しかしそれが僕にはちょうどいいみたいで、先程までの体の強張りもゆっくりと解れていく。
こんな場所にいても、彼の内から溢れる輝きは衰えないらしい。それは決して周囲を染め上げることはないが、逆に彼が周囲から染められることもないというのだろう。光は彼と僕の間で行き来して、僕たちの体を温かく包み込んだ。
「私の秘密基地へようこそ。といっても、もうほとんど来てはいないんだけどね」
廊下の突き当りにある古びた扉を、彼は何の躊躇いもなく開けた。そこはその言葉の通り、秘密基地という名前がぴったりな場所だった。
大きな二つの窓から光が差し込む。それは所狭しと積み上げられた多くの荷物を映し出した。整理整頓もされず、統一感もなければ用途の分からない物もある。床の見えない荷物の山の中を、彼は慣れた足取りで優雅に進んだ。まるで最初から、どこへ踏み出せばいいか知っていたみたいに。彼に倣おうと僕もその足跡を目で追ったが、僕の歩幅ではその一歩が見つからなかった。
「水道はまだ使えるみたいだね。電気は……相変わらず点かないな」
声がする方向から水の音が聞こえた。ちょうど僕の死角に当たる場所に水道があるらしい。物陰からひょっこりと姿を現した彼の手には、水の入ったジャムの小瓶が握られていた。
「……歩けない?」
「……はい」
また入口へと戻って来てくれた彼は、瓶を持つ手とは反対の手で僕を引き寄せて抱き上げてくれた。それはまるで小さな子どもが親に甘えているみたいで、僕とは関係のない彼を巻き込んでしまっているようで申し訳なかった。
「どこを歩けばいいかはそのうち分かるようになるさ。まあ、物を壊しても誰も文句は言わないだろうから、そのまま気にせず歩いたっていい。ただ怪我しないようにだけ気をつけてね」
両手が塞がった状態でも、彼は足場のないこの部屋をスイスイと進む。いくらその躊躇いのない足取りを観察しても、僕にはこの部屋をうまく歩けそうにはなかった。
「見ての通り、この部屋はいろんな物で溢れているからね。電気は通っていなくても、代わりの明かりは探すことができる。欲しい物を思い浮かべていると、案外簡単に見つけ出すことができるみたいだしね」
彼はあちこち見回りながら、僕を抱えて部屋を歩いた。また僕は彼に迷惑をかける。前回と同じ。
「あっ」
「見つけたかい?」
僕はそばのテーブルの足元を指さした。床に積まれた数冊の本の上に、キノコの形をしたかわいらしいランプが置かれていた。橙色の笠に真っ白の柄、土台は苔のような緑でまるで本当にそこに生えているかのようだった。
「サイラス君、見つけたついでに取ってくれる?」
彼は少し腰を落として、僕はそのランプに手を伸ばした。どこにでもありそうな軽くて安そうなランプ。僕がそれをお腹に抱えたのを確認して、彼は再び立ち上がって歩き始め、彼が向かった先は入り口から見えた大きな窓だった。
「降ろすね」
その窓は壁より少し外側へせり出しており、この部屋の中で唯一荷物に埋もれていなかった。僕が座っても少し余裕があるくらいの幅があり、隣に座った彼も窮屈そうには見えない。
「それはどこか、よく使いそうな場所に置いておくといいよ。といっても、どこもかしこも散らかっているから寛げる場所は限られているんだけどね」
僕は彼に促されるがまま、手に持っていたランプをすぐ近くの荷物の山の上に置いた。そこは予想以上に安定していて、僕でも手が届くほどのちょうどいい場所。そうやって僕がセッティングしている間に、彼はここまで持ってきていた水を足元の鉢植えへと注いでいた。
「ここにある荷物を整理しようと思ったときもあったんだけど、いくら片付けても物が湧いて出てきてね。しかもずっとあったものが急になくなることもしょっちゅうでさ。それが分かって以来、もう手を出すのはやめたんだ」
彼の手が葉を撫でる。じっとその葉脈を見つめて、ほんの少しだけ彼は笑った。
「だから、いつかそのランプが失くなってしまうこともあるだろうけど、その時はまた代わりを探してね。でも例外はあるみたいで、この植物だけはずっと消えずにここにいてくれるんだ。理由は分からないけれど、私が持ち込んだからかな。こんなにもいい加減な世話でここまで立派に育ってくれた」
多くの葉を茂らせて、隣に立てば僕の身長よりも高そうだ。いい加減な世話と言いつつも、そこに注がれている愛情は彼の笑顔からうかがえる。
「さあ、サイラス君にはまだまだ案内したい場所があるからね。簡単にこの部屋の説明をして次へ向かおうか」
彼は楽しそうに笑って立ち上がった。
「あっちにはトイレがあって、向こうにはたぶん本棚がある。前に来たときは見たこともないような本で溢れていたと思うけど、興味があったら読んでみるといい。それとこの机の下は結構面白くてね、機械やガラクタやらよく分からない物ばかり。危ないこともあったけど、動かすのが楽しくてよく漁っていたな」
彼が記憶を思い起こしながら一つ一つ紹介する場所は、まるで宝箱が隠されているみたいに輝いていて、いくら時間があっても確認が終わらなさそうだった。
「こういった場所は他にもあるらしいんだ。かつては決まった所有者がいたが、月日を経てうやむやとなって誰でも自由に出入りできるようになった場所。誰かが使っていれば管理者はそのまま使えるようにしておいてくれるみたいなんだけど、忘れ去られてしまえばその場所はもう別の空間につながる……」
彼は僕に腕を伸ばし、僕はその首に手をひっかけた。視線が上がり見渡した部屋は、やはり宝箱のように輝いている。この部屋について話す彼の表情は本当に楽しそうだというのに、時折その感情が見えなくなる時がある。
「それだけは気を付けてね」
彼の笑顔に、僕も笑顔で返した。彼の感情がどうであれ、僕にそれを気にする権利はないだろう。
「次の場所に案内しよう」
彼に連れられて扉からまた薄暗い廊下へと出た。人の気配がないことは部屋の中と変わらないが、寂しさが募るのはここに光がないからなのだろうか。
次の瞬間、僕ら二人を風が覆った。服が音を立てて暴れ、同時に茶色の砂埃が舞った。
「あはは、申し訳ない。私はこの魔術が苦手なんだ」
それは日常生活の中でよく使われる、軽い風で汚れを落とす魔術だった。彼にとって、これはごく当たり前の結果なのだろう。苦手であってもできないわけではなく、そして思い通りにいかずともその笑顔が崩れることはない。口を開けて笑う彼の様子は、その全てを許容しているようだった。そして何故だか、そんな彼の様子を見ているだけで僕の心は静かに騒ぎ始めた。
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