第3話 嫉妬

 私は、第二棟に異動になった。二棟の製品開発課の人が怪我をして、長欠になったそうだ。同じキャリアの私が、暫くの間、フォローを含めて二棟に行く事になった。


 先生に、会えない。会社で会えないなら、プライベートで会いたい。

 けれどもすぐに連絡をしたら、何だか私だけが本気みたいで、下に見られちゃうかな……。

 先生に、かっこ悪い所は見せたくない。何でもない風を装いたい。


 私は先生に、二棟に異動になった報告をした。

 先生は、「会える回数が減るから、少し寂しくなるね」と、寂しそうな顔で云った。多分これは、定石だ。

 そう思ったから私は、「そんなに気にしないよ」というような態度で、明るく振る舞った。

 先生はきっと、こういう風な女が好きだと、思っていたから。


 もやもやする。辛い事があると、漫画のネタになる。

 私は、漫画に没頭する事で、寂しさを紛らわした。

 

    〇


 二棟に異動になり、三週間ほど過ぎた頃、青山君に会った。二棟の廊下で。

 どうやらこちら(二棟)でトラブルがあり、呼ばれたらしい。わざわざ違う棟から応援を呼ぶなんて、結構なトラブルだ。


「先生は、どうしてる?」私は何気なく、話題を切り出した。

 青山君は「知らない」と云った。がっかりしたような、ホッとしたような気持ちだ。

「相変わらず女子社員を周りにはべらせているよ」なんて云われたら、動揺してしまったかもしれない。


「丁度来週、伊野尾先生の研修があるみたいだから、申し込もうよ。僕も先生に、暫く会っていないし」青山君、ナイスアイデア。


    〇


 金曜日、青山君と一緒に、一棟の研修に参加した。

 研修の教室に入った瞬間、心臓がドクン、と脈打った。

 あの子が、先生の隣にいつもいたあの子が、先生の助手として、教壇の横にいた。

 資料を配布したり、研修の記録をとったりしていた。

 今まで先生は、誰にもそんな事をやらせなかったのに。

 私の心は、もやもやどころではなかった。これは、嫉妬だ。

 青山君が私を見ていたけれども、それどころではなかった。


    〇


 研修が終わり、私は先生に駆け寄った。「お久しぶりです」などと云い、二人だけに聞こえる声で「今日、家に行ってもいいですか?」と云った。

 私は必死だった。必死の表情をしている私は珍しいので、先生が断る確率は低いと解っていた。

 

 先生の家に来るのは久しぶりだ。先生は、いつも通りだった。

 明日は休みだし、このまま泊まっていく事にした。

 泊まりの許可が出た事に優越感が生じたのか、私は思い切って先生に尋ねた。

「今日、研修で助手をしていた子と、親密なの?」

「何云ってんの、俺の事は、お前がよく解ってるでしょ」予想外に優しい表情で云われたので、私はどういう顔をしていいのか解らなかった。


 先生は私の顔を両手で包んで、まっすぐに見つめてきた。

「こんなに綺麗な顔をしているのに、よく俺に付き合うな、って思ってるよ」

 綺麗と云われる事はあるけれど、半分は社交辞令だと思っている。こんな風に真正面から云われると、どうしていいか解らない。


    〇


 先生は、変わっていない。安心した私は、漫画を仕上げる事に必死だった。


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