美味しい珈琲の淹れ方を、私はまだ知らない


 自分で淹れた珈琲はどうやら不味い。


 毎日珈琲を飲むという習慣は、もうこれまで生きてきた人生の三分の二は軽く超えている。単に毎日一杯以上は珈琲を飲まないと気が済まないのである。飲まないでいると何だか頭がぼんやりしている様な気がするのだ。もちろんそれは気のせいで単純にその日の体調に左右されているものだろう。実際飲み忘れても寝ぼけているわけではなく日常生活になんの差し障りもない。珈琲を飲んでいないという事実が物足りなさを感じさせているだけだ。


 毎日飲むとなると当然味には拘る。折角だから美味い物を飲みたい。

 珈琲を淹れる手段として最も手っ取り早いのは勿論インスタントコーヒーだ。粉を湯で溶かすだけなのだから簡単である。その種類も様々だ。私はあれこれと試した結果、粒の粗い製品に落ち着いた。

 インスタントでもより本格的な物もある。フィルターの中に挽いた珈琲豆が入っていて湯を注ぐタイプだ。ちょっと贅沢感があるので気取って買い続けた事もあるが長続きしなかった。普通のインスタントコーヒーと大して味が変わるようには思えなかったのである。

 コーヒーメーカーだって買ってみた事はある。本格的な高級品なら美味い珈琲が淹れられるのだろうが所詮数千円で買った安物だ。美味いと思えないままそのコーヒーメーカーは埃を被った。

 結局粉を湯で溶かすただのインスタントコーヒーが丁度良かったのである。



 さて、私はこのインスタントコーヒーをブラックで飲んでいた。十代の後半に罹患するアレのせいだ。砂糖やミルクを入れない珈琲を飲める事に憧れて多少受け付けないまま飲み始め、やがてそれが普通になっていった。湯を注ぐだけという手間が掛からないのも良かった。一方、珈琲に砂糖だけを入れる、ミルクだけを入れるという飲み方は苦手だった。砂糖とミルクはどちらも入っているか、どちらも入っていないかでしか飲むことが出来なかった。


 ところで、人間の趣味趣向というのはある日突然変わったりする。


 そんなわけで私は今ブラックにコーヒーフレッシュを入れただけの物を飲んでいる。きっかけは会社のドリンクサーバーのコーヒーを冗談半分でガムシロップとコーヒーフレッシュを入れて飲んでみたら缶コーヒーの味とそっくりで、コーヒーフレッシュも馬鹿に出来ないなと気付いたからである。私はこのコーヒーフレッシュが苦手だった。牛乳の紛い物に思えていたからだ。ようやくその誤解が解けたのである。思いの外コクがあって良い物だ。



 こうして今も珈琲を飲んでいるのだが、実はそこまで美味いと思っていない。コーラや緑茶、紅茶の方が余程飲み易く美味い。カフェインの摂取手段でもある。

 なら飲まなくても良いじゃないかと思わなくもないが飲んでいると落ち着く感じを得られるので飲んでいるのである。


 ところが、だ。妙に美味い珈琲に出会う時がある。その珈琲は自分以外の誰かが淹れたものだ。しかも、それはただの、何の変哲もないインスタントコーヒーなのだ。

 一度その理由はカップにあるのでは無いかと思って変えてみた事がある。私はいつもマグカップで珈琲を飲んでいる。このマグカップはインスタントのコーンスープを飲むには一杯分入れると味が薄く、二杯分入れると味が濃い程度の大きさである。美味いと感じた珈琲は小さなカップで淹れられていたので似たサイズの物に変えてみたが特に味は変わらなかった。

 分量も試してみた。いや、今も毎日淹れる度に微調整しながら探っている。いつもスプーンを使わず目分量で淹れるが濃くても不味く薄くてもやはり不味い。そして適量で淹れても美味くはない。


 その美味い珈琲は本当にただ自分以外の人が粉を入れて湯を注いだだけである。何が違うのか分からない。


 私が毎日珈琲を淹れて飲むのはその違いを知りたいから、なのかも知れない。

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