第26話🌸治療なき者への現実

「森下さんの症状なのですが、かなり進行しています。見た目では気付かれないかもしれませんが、最近では物の場所が思い出せないそうです。人の顔も名前もほとんど出て来なくなってしまいました。お見舞いに来る方々も最近は減ってしまって、人の顔が覚えられない現状に拍車をかけています。やはり接している人の数が多ければその分リハビリにはなるのですがね。それから、治療なのですが、現段階ではほとんど治療法がありません。進行を遅らせる薬も今は効きが悪くなりまして、服薬を中止しました。飲んでいても効果がないものは出来るだけ飲ませたくありませんし。難しいのは分かりますが、出来るだけお見舞いに来ていただけませんでしょうか?一日一回でもいいので顔を出してもらえると彼のリハビリになるのですが・・・」

主治医の言葉はひかりの予想を裏切った。ひかりは、森下の症状は進行が止まっているとさえ感じていたのだ。それが進んでいる上、服薬も中止していたなんて・・・こんなに早く進行するものなのかとショックを受けた。そして、何よりのリハビリであるひかりの見舞いの頻度が今の状態では少なすぎると言う現実に苦悩した。一日一回・・・その数は今のひかりにとっては無理に等しい数だった。たった一回なのに、その時間が取れないもどかしさがひかりを襲った。しかし今後の事を考えるとひかりには経済的に不安がなくなるくらい余裕を持たせたいと思っている分、主治医の申し出を素直に受け入れる事は出来なかったのだ。ひかりが黙っていると主治医は、

「あ、すみません・・・あなたにばかり頼ってもしょうがないんですよね。ただ・・・治療法がこれ以上見付からないと言う事は、つまり・・・その・・・入院していても意味がないという事で・・・出来れば退院を考えて欲しいと思っていて・・・」

言葉を詰まらせながら、本来伝えなくてはいけなかったであろう言葉を伝えてきた。

「え?退院?森下くんのご両親はなんと言ってますか?」

退院となれば、当然現段階では実家に帰るしかないのだ。森下の両親はまだ仕事をしている。昼間一人になる森下をどうするのだろうと言う不安がひかりにはあった。主治医は、

「それが・・・出来れば入院を続けて欲しいとおっしゃっているのですが、治療が必要な患者さんたちも待っているのでベッドの余裕がないのが現状なんです。あなたの方では介護出来ませんでしょうか?」

主治医は図々しく提案してきた。これが現実なのだ。何の病気であっても自宅看護が可能な状態になれば病院側は患者を追い出す。その現実を目の当たりにしたひかりだったが、自分には介護は無理だと察した。現段階ではまだまだ将来を充分過ごせるだけの余裕がない。ひかりは、

「いずれは、森下くんと一緒に暮らすつもりですが、現状は無理です。ご両親がもう少し入院させて欲しいとおっしゃるのでしたら、私からもお願いします!」

と頭を下げた。主治医は困った顔をしていたが、目の前で頭を下げているのは間違いなく今をときめく『星野ひかり』本人だと言う現実に少し満足もしていた。

「私もあなたの大ファンなので、そのあなたからのお願いであれば何とかしたいと思いますが・・・ベッド待ちの患者さんが居るのも現状なんです。出来ましたら、具体的な期間などを提示して頂けるとありがたいのですが・・・」

「期間?」

「はい。我々も慈善事業ではないので、これ以上の回復が見込まれない患者さんを入院させておくのは難しいんです。なので、あと何ヶ月とか期間があれば待ちの患者さんたちにも入院時期の目安を伝えられるのですが・・・」

「そうですよね・・・少しお時間をください。」

ひかりは主治医の提案に対して即答出来ない自分が情けなくなったが、こればかりは自分ひとりで決めることは出来ないのだ。主治医も時間をくれると言うので、一旦話は終了した。

 病院を出たひかりは、森下の実家に足を運んだ。両親は何故ひかりが来たのか、大よその予想はしていたのか、二人揃ってひかりを出迎えてくれた。

「今日、主治医の先生に退院の件を言われました。お父様たちも言われたようですね。現状、やはり退院は難しい事なんでしょうか?」

ひかりの質問に母親は下を向いてしまった。しかし父親は、

「その件だが、私たちもあいつの将来を考え蓄えを始めたばかりで今退院されても結局昼間は一人になってしまう。一人になっても大丈夫なのかどうか・・・と主治医に質問したら答えは返って来なかったんだよ。主治医も分からないんだろうね。」

と重い口を開いた。やはり両親も森下の将来を考えていたのだ。となると、現状では退院はやはり受け入れられないと言う話でまとまった。そして、

「それで、期間を決めて欲しいと言われたんです。あと何ヶ月入院したらその後は退院させる・・・と言う期間を決めて欲しいらしいんですが、いかがでしょうか?」

ひかりは、主治医に言われたままを両親に伝えた。両親も期間などと言われても具体的にいつから受け入れられるなどと言う事は分からない様子だった。三人の無言の時間だけが過ぎて行った。


 一方、森下の方は今日はとても気分がいい様子でひかりが帰ったあとずっと日記を書いていた。もちろんひかりとの会話の内容や、今日のひかりの様子などなど・・・ひかりに関する事ばかりだった。自分の事で両親とひかりが悩んでいる事など思いもしないで・・・

『いつかひかりと一緒に暮らせるようになったら、庭には桜の木を植えよう!

なんて、ひかりが俺と一緒になってくれるかどうか分からないのに、何を書いてるんだろうなぁ?(笑)でもひかりが来てくれると気持ちが落ち着く。俺はひかりを愛してる。ずっと一緒に居たいと思ってる。そうだ!小学校の桜はいつ見に行くんだろう?楽しみだなぁ。あの桜の木の下で俺はひかりにプロポーズする!今年になるか、来年になるか・・・いつかあの桜の木の下で・・・』

ひかりとの交換日記に書かれた一文だ。病気発症時やひかりに逢えなかった頃の愚痴や妄想の日記ではなく、しっかりと未来を見た前向きな日記だった。これもひかりの見舞いの成果だったのだ。森下本人も病状が進行しているなど気付くよしもなかった。

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