避けたい

 世の中のことは遍く実務と結びついて展開する。それは賢人と翡翠と眞守の世界平和を守るための行動に携わる場合であっても同じだった。

 賢人はカフェの統括マネジャーにシフトの変更を願い出た。


「逆神さん。この時期忙しいことは分かってるよね」

「はい。わがままを言って申し訳ありません」

「謝らなくてもいいから、じゃあ誰か代わりのバイト紹介してよ」

「え」

「はっきり言うよ。無駄に履歴書に商社勤務経験アリなんて書いててそういう人材別に要らないのに逆神さんを雇うのはさあ、人手が足りないっていうその一点なんだよ」

「はい」

「失業して時間の融通効くからって面接の時に言っといていざ働き始めたらなに? ふざけんじゃねえよ」


 賢人に向かってこう言う統括マネジャー自身はこのカフェ・チェーンを運営する一部上場企業に入社したての賢人よりも年下の男だったが賢人は何も言わず指の爪を掌に食い込むぐらいにきつく拳を握りしめているだけだった。


 解雇は避けたい。


 賢人は世界平和と自分の職の確保を天秤にかけた。翡翠に打ち明けた。

 恐らく賢人は統括マネジャーとのやりとりで鬱の症状を発露してはいた。


「翡翠。済まない。ここへ来てこんなこと言うのは情けないし申し訳ないんだが、バイトのシフトを変えられない。準備ができないんで決戦には臨めない」

「ふうん」

「済まない。今のシフトのまま働き続ける。世界を救えない」

「いいんじゃないの」

「え」

「ブラックホールに吸い潰されて生命全部死滅。なんか清々しいよ。ははっ」


 好きだ。


 賢人はその言葉を呑み込んで夕刻のランニングとトレーニングを終えた後のマンション近くの河川敷の堤防で翡翠を抱きしめた。翡翠は賢人の右腕が自分のうなじあたりをくるみ左腕が背中と腰の中間辺りを抱えるようにしている態勢のまま、裸足に踵を履き潰したデッキシューズのつま先を皺寄せて背伸びをし賢人の唇に自分の薄い唇を重ねた。

 賢人はその瞬間に本意を翻した。


「ごめん。バイト、辞める」

「うん」

「辞めて俺も翡翠のように『神職』として動く。決戦までは。翡翠のようにそれ自体での金銭も得られず誰にも知られず褒められもせず感謝もされない『奉仕』の生活に入る」

「うん。賢人」

「ああ」

「役に立ってない人じゃないと、人間を救うのは無理」

「そうだな・・・」

「賢人。ブラックホールを処理したらなんか貰えるかな」

「・・・俺と翡翠の生活がしばらく続けられるだろう」

「それでいいや。ははっ」


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