冷たい

 翡翠がおそらくは殺したということになるのだろう。これが殺人罪に問われる可能性はあるのかあるいは妄執狂人のごとき取り扱いを受けるのか、だが賢人はそれとは違う考えも持ち始めていた。


 天に召されるタイミングだった。


 事実翡翠はそういう言い方をした。


「母方の祖母は以前こんなことを言ったんだ。心の病で一旦失脚したけれども同じ病いの人たちの同情票で復活した政治家が大臣になった途端に国民をバカにしだしてさ。その当時の総理大臣だったらしいんだけど突然死したんだって。そしたら、『このままだと日本を内側から滅ぼす逆賊だから苦渋の選択で天に召したんだ』って。その時の祖母の様子がすごく冷静っていうかなんか、無表情で」


 賢人は実際そういうことがあるだろうと以前から思ってはいた。

 恨みつらみではなく、『潮時』というものでこの世の役割を終えるケースが実際にはあると。その総理大臣も青年期には国民のためを思う志を持ってはいたけれども、自分の命まで投げ出して国益と国民の安全を優先させようという気概よりは汚職や親族の利益や我執を優先させたいという気分が勝っていくようになったらしく、だからそのタイミングが政治家としての潮時、つまりは寿命となって天に召された。


 ならば同期の、異国の地で強盗に遭いレイプされて死んだ彼女のそれは天寿だったのか。


 賢人はその部分に関しては意味や理由が全く分からず、未だに翡翠と共にある神の絵に完全には信頼を寄せられない部分でもあった。


 だが賢人は動きを止めるわけにはいかなかった。

 もしこの世ですべての人間たちが生きながらに地獄と化すような事態が引き起ることが分かっていながらそれを無視して最期の日々を面白可笑しく過ごそうという人間がいるとしたら、自分はそういう人種ではありたくないというのが賢人の性格であり人格であった。賢人は翡翠に無駄だと分かっていながら次の質問をした。


「翡翠。そもそも神の絵の力で悪鬼神を暗殺することはできないのか」

「お釈迦様の悟りを遮ろうとして創られた『兵器』だよ? 神仏の力の他にそれをブーストする力がどうしても必要」

「子供の頃にやっぱり俺も祖母から絵本を見せられた記憶がある。まさしく菩提樹の下で釈迦が悟りを開こうとするその明け方、魔王が悟りを遮ろうと軍隊を率いて近代兵器を遥かに凌駕する矢の攻撃を降り注がせたが、釈迦はそれをことごとく花びらに変化へんげさせたと。そういうことができないのか」

「河川敷での戦争の当日、それが見られるかもね。ははっ」


 どうやら翡翠にも決戦の結末がどのようなものになるのかは想像ができないらしかった。北の地方の一級河川の河川敷で繰り広げられるであろうブラックホール=悪鬼神=魔王の軍隊と対峙する賢人と翡翠とが近代兵器、おそらくは原爆や水爆の何千発・何万発、いや、そもそもそれらのエネルギーをまるで蟻地獄のように平然と吸い潰してしまうであろうブラックホールに神の絵と地獄のお軸とこの世で最も照度も温度も高い光源・・・太陽・・・の力を借りねばならないこと。いや、そもそも絵の中の女神そのものがお日様であり、太陽と学者たちがいう学問上の『天体』と言った矮小化された存在では決してないと抗いながら日々をトレーニングと資材調達と、そして精神の静寂を得ることに費やした。

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