楽しい
関門海峡を渡っている。橋で。車を走らせて。
本来日本人が古来から向こう岸へ渡ろうと死を賭して知恵と勇気を振りしぼってきた渡航作業が今はアクセルを踏み込むことで実現できている不思議を賢人は思った。
かつて日本という国を平定しようと日向国を出陣した神武天皇が本州を目指して海を渡るその作業というものからして大冒険であったことは間違いない。
実は賢人も関門海峡を船で越えたことはあった。
ただしそれは本州からではなく朝鮮半島からだった。
日露戦争において日本海海戦に先立ってロシア海軍と日本海軍が戦った韓国の
当時賢人が担当していた新製品の開発が韓国のラボで行われており、それを積んだ船に便乗して北九州の小倉港へと帰国したのだ。
その頃はまだ同期入社の女子社員はMBAの過程を続行中で賢人とも連絡を取り合い互いの仕事の状況を報告しあっていた。
賢人が彼女の死を知ったのが日本海を夜通し航海して朝日の昇る時刻に関門海峡を通過しようとするその時だった。
「だからなんだ」
「すまない。俺の感傷だけの話さ」
賢人は令和最初の朝日を関門海峡大橋の上から、その彼女とではなく翡翠と一緒に見ている。
こういうことが全て偶然で誰の調和をも必要としないのだとしたら、明日には翡翠も死んでいるかもしれない。自分も死んでいるかもしれない。賢人はバックミラーに照り返す朝日を遮るためにサングラスをかけた。
九州への上陸地点は北九州の門司。
しばらくはそのまま車を走らせ、走らせながら賢人は翡翠に訊いた。
「九州と言っても広いぞ。どこか宛があるのか」
「大分」
「え。大分? っていったら別府か? なんだ、温泉でも入るのか?」
「それもそうだけど、参拝したい神社がある」
「大分というと宇佐神宮か?」
「ううん。
「ごめん。俺は知らない」
「賢人は九州は小倉だけ?」
「いや。別件の国内出張で宮崎と鹿児島を一泊2日で行ったことがある。ただ訳も分からず車で移動したから地理は全然」
「そっか。とにかく大分まで移動ね。神社は朝の清涼な空気の中でお参りしたいから今夜は大分泊で」
「なんか観光みたいだな」
「ははっ。温泉は入るよ」
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