ゆかしい

 車内は冷え始めていた。

 五月に入ったのだからエアコンは使う必要がないという刷り込みがあったために賢人と翡翠は足先が冷えて行った。


「コーヒー買おうか。あったかいやつ」

「うん」

「あ」

「え、なに? 賢人」

「あの・・・どちらかというと俺の方が混ぜてもらってる感じだからさ」

「混ぜる? なんか遊んでたっけ?」

「いや、この絵を持って回る今のにだよ」

「あ。って言ってくれるんだ」

「うん」

「いやー。報われるよ、賢人。ははっ」


 コンビニに入ってトイレ休憩とコーヒーを買った。


「タバコ、吸っていいか?」

「吸うんだ?」

「3年ぶりだ」


 賢人は買ったばかりの小箱を空け、やっぱり買ったばかりのライターで火を点けた。シーッ、と肺まで吸ってから無音で煙を吐き出し、ジ、と水を張った灰皿に火の粉とともに灰を落とした。となりに翡翠がやって来てコーヒーの缶を開ける。


「甘い匂いがする」

「ああこれか。ショートピース、ってやつだ。両切りだ」

「ふーん。よく分かんないけど、駄菓子屋のお菓子みたい。タバコ型チョコ。甘いの」

「香りだけ。一番キツいタバコ」

「キツイの意味が分かんない」

「ニコチンとかタールとか・・・要は激辛カレーみたいなモン」


 夜が白み始めた。

 本格的に令和の朝だ。

 ショッピングバッグレディが近づいて来た。


「お兄さん、一本くれる?」

「ショートピースですよ」

「構わないよ。アタシは昔ショートホープ吸ってたから」


 かなり臭うな。

 風呂など入らないのだろうと賢人は思った。ただ、自分が将来体の自由が効かなくなった時に風呂が入れないことを思うと特にダメなことだと言う資格など無いと思った。


「ああ美味い。久しぶりに吸ったよ」

「俺もです」

「その子は彼女?」

「いいえ」

「じゃああれだ。援交だ」

「流行ってんですか、援交って言うの」


 賢人が訊くとレディは笑った。翡翠も笑っている。


「彼女さん」

「翡翠だよ」

「じゃあ、翡翠ちゃん。アンタ、いてるね」

「え?」

「視えるよ。スゴいのが腹の中に居るよ。自分でも分かってんでしょ?」

「・・・・・・」

「おい! 山嶺!」


 警官が二人自転車で近づいて来て、賢人たちの灰皿の手前で降りた。山嶺、と呼ばわれたそれがショッピングバッグレディの本名らしく、警官たちから任意同行を求められた。


「無銭飲食の被害届が出てる」

「ごちそうしてもらったのよ」

「嘘つくな。こんな身なりで臭い匂い振りまいてて店に入れて貰える訳ないだろう」

「あら。入れてもらえなきゃ無銭飲食もできるわけないじゃない」

「廃棄食品を貯めて置くポリバケツから奪っただろう」

「捨ててあったやつよ?」

「まだ店のモノだ」


 レディが連れて行かれた後、再びショートピースに賢人が火を灯し、翡翠に訊いた。


「彼女は何が視えたって言うのかな」

「さあ・・・」

「翡翠。俺に言えないことか」

「言えないも何もわたしには分からない」


 賢人は考えた。翡翠と出会ってから起こった出来事には偶然というものは多分無く、神の絵を車に乗せて各地を回るという異常な行為を受け入れている自分を含め、道中で出会う人間は何かを分かったり理解しているから関わり合ってくるんだろうと。新聞屋にしたってそうだ。

 したがって、任意同行したレディはやはり、何かが視えるのだろうと。


 だが、賢人はそれ以上質問を続けなかった。翡翠本人が分からないと言っているものを周囲が訊いたところで意味がないだろうと考えた。


「賢人」

「なに?」

「納得したの?」

「納得はしてない。けど、かわいそうだから」

「わたしが?」

「そう。本人が気がつかない内に起こってることを教えろったって無理だろう」

「でも、わたしは賢人を納得させたい」

「いいよ。そんなこと言ったらさっきのレディだって、なんだよあれは。謎だけ残してさっさと警察に連行されてさ」

「多分、食事には困らないよね、警察なら」

「多分ね」


 賢人が車に戻ろうとすると翡翠が賢人のシャツの袖を指で摘んた。


「賢人。わたしのこと、捨てないでね」

「え・・・」

「怖いから、アブナい女だからって捨てたりしないでね」


 翡翠は泣いてはいないが泣きそうだった。

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