久しい
「賢人。こんな歌知ってる? 車の中で手を繋いで眠る、っていう歌」
「ああ。RCサクセションの『スロー・バラード』だろう」
「へえ。知ってんだ」
「ていうか翡翠はどうして知ってんだ。随分前の曲だぞ。清志郎はもう死んだし」
「コンビニのCMとかでRCの曲が使われてるからさ。賢人。ほんとだと思う?」
「何が」
「手だけ繋いで寝て、何も無いって」
「現に俺たちがそうじゃないか。まあ神前だから、って理性が働いてるにしても」
「じゃあ、車の中では?」
賢人は一瞬考えた。
今夜はこれまでとは状況が違うことを。
建物の中ではなく車の中だということを。
「後ろに神の絵がある。同じじゃないか」
「そっか。ははっ。わたしとしたい?」
「違うと言ったら嘘になる」
「犯罪だよ? したら」
「合意の上なら犯罪じゃないんだろう」
「犯罪的、ではあるよね。ははっ」
内容が猥談ではあるもののこういう女子とのどうということのない会話をするのは久しぶりだと賢人は思った。小中高と自閉的だった賢人は大学を経て就職してもその気質は変わらなかったが、異国の地でレイプされ金品を奪われて殺された同期の女子社員とのデートで重ねた会話が懐かしく思い出された。
「なあ翡翠。この曲知ってるか」
「なに」
賢人はフロントグラスから書店のLEDの照明を通り越して夜空を見上げ、白く光る半月に焦点を定めて歌った。
・・・・
輝く太陽はオレのもので
きらめく月は そう おまえのナミダ
普通の顔した そう いつもの普通の
風に吹かれて消えちまうさ
・・・・・エレファントカシマシ『風に吹かれて』
「エレカシだ」
「知ってたか」
「死にたいときによく聴いた」
「俺はな。うつ病の初診の日にマンションの屋上に登って体育座りで歌った」
「ははっ。なにそれ」
「笑うなよ。死にたかったんじゃない。うつ病だって診断されてさ。ああ、そうか、って思って。なんだか分かんないが月を見たくなってな。自分のマンションの屋上で月見てたら自然に口ずさんでた」
「泣きながら」
「そう。泣きながら。そしてな、気付いたんだ」
「うん」
「うつっぽくなってから、ずっと音楽聴いてなかったってさ」
「うん。分かるよ」
「あんなに大好きだったエレカシすら聴けなくなってた。そういう病気だもんな、うつ病って」
「そうだね」
「ほんとに久しぶりだったんだ。歌ったの」
「どっちが太陽」
「え?」
「賢人。歌の中じゃ男が太陽だよね。で、女が月。でも日の神様は女神だよ」
「どっちでもいいさ」
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