女々しい

 四国から本州に戻り九州を目指す。

 

 だが岡山で本州に再上陸した夜は金銭面からも節約が必要であり車中泊とした。

 トイレが確保できかつ安全な駐車場という条件を満たす場所として、24時間営業の大型書店の駐車場を賢人と翡翠は選んだ。その店はレンタルDVD・CDショップも併設しており、それからカードゲームに興じる愛好家たちのためのスペースも提供していたので深夜まで人の出入りが途絶えなかった。


 店の正面に車を停めると店内のLED照明が賢人と翡翠の顔を白く冷たく照らし出した。

 シートは倒さず、賢人はハンドルの上に、翡翠はダッシュボードの上に裸足を投げ出して体を伸ばした。さっきドライブスルーで買ったプレーンのハンバーガーを別々に齧りながらLサイズのポテトをシェアし、賢人はコーヒーを、翡翠はシェイクを啜った。


「アフリカに行ってたんだね」

「ああ。入社一年目でな」

「いきなり?」

「そう。アイツもいきなりだった」

「エグい会社だね」

「そんなもんだって。人事はジグソー・パズルだからな」

「うつ病は、いつ?」

「去年だ。アフリカから帰ってからしばらくは国内勤務だったんだけど、アイツが死んだ時ぐらいかな。やっぱり俺おかしいな、って思い始めたのは」

「ふうん。辛かった?」

「辛いさ」

「どっちが?」

「え」

「ああごめん。わたしはうつ病の方の話をしてたつもりなんだけど」

「俺はアイツが死んだ話かと思ってた」

「ははっ。噛み合わんね」

「ほんとだな」


 ふたりが失笑で笑いあっていると、コ・コと助手席側の窓を誰かが叩き、翡翠が電動で窓を下ろした。ジャージにランニング・シューズを履き、キャップを被った、けれどもドレッド・ヘアの、地方ではステレオタイプの少年二人だった。翡翠だけに話しかけて来た。


「ねえ。援交?」

「はあ? なんで?」

「だって、そいつスーツ着てんじゃん」


 賢人はこの『巡業』の間、私服とスーツを交互に着替えていた。出発が慌ただしく十分に服を積み込まなかったからだけの話だったが、翡翠の手足に毎夜触れていることを思えば援交という言葉が的外れでもないと思った。


「どっちがいい?」


 翡翠がそう言うとずっと翡翠のショートパンツから無防備にダッシュボードに投げ出されたハムストリングスとふくらはぎと膝のふくらみと、そして足指とを見つめていた少年たちが、初めて翡翠の左目のグレーに気づいた。


「はは。面白いね、キミ」

「どっちがいい?」


 少年たちの動きが止まった。


「え、援交だったらさ。そいつが終わったら俺たちと遊ぼうよ」

「タダで?」

「え・・・カネ取るの? リーマン以外からも?」

「世の中、タダのものなんてないのよ」

「お、おい・・・」


 一人が後部座席に気付いた。書店のLEDは不必要に明るく、絵の内容がわかるぐらいの光は差し込んでいた。


「なにその絵・・・宗教?」

「宗教じゃない。神さま」

「神?」

「ホンモノの」


 ランニング・シューズのソールで、アスファルトの上の干上がった水たまりの後に残った砂を、ジャラ、っと鳴らしながら二人は半歩下がった。


「すみませんでした」


 一人がそう言って二人して自分たちの車の方に歩いて行った。ガソリン車のエンジンキーを動かす音があって、なんだアレ・やっベーよ、と笑い合う少年たちの声が聞こえた。


「誰も信じないな」

「信じる? 賢人、何言ってんの」

「違ったか」

「信じる、とか信念なんて無意味だよ。イワシの頭じゃあるまいし」

「冗談の話か」

「真面目なホンキの話。賢人。これは事実だから。この絵があるのは。絵の中の天照皇大神宮が実在してるのは。岬で見たんでしょ? 賢人」

「ああ。見た」

「ならいいよ。ははっ」


 賢人は今でも翡翠を恐ろしく感じるその感情だけは消すことができなかった。自分が翡翠を生身の女として愛していることは自覚しながらも、先程の少年たちのように客観的に見れば翡翠は発狂した自称巫女という括りで総括できる。


 客観的?


 なんだ客観て。客観的事実ってなんだ。賢人は思考のスピードを上げた。


 地動説は客観的事実か?

 日が東から毎朝昇るのは実は虚構か?

 月が夜露を恵むというのは単なるファンタジーか?


 俺が生きてるのは客観的事実か? それとも毎日死にたくなる俺が本当か?


 ホンモノの神さまがいるのなら偽の神も居るのか? カルトがそうか?


 俺が子供の頃から聴いてきた音楽や読んできた小説や漫画や映画やあらゆるエンターテイメントはすべて作り手の妄想で虚構か?


 今、目の前にいる翡翠は俺にとって最初に出会った数日前は単なる性的なオブジェでしかなかったが今は彼女の過去の履歴含めて総体を愛しているがそれが客観的事実じゃないのか?


 もし、今程の少年たちのように、翡翠の脚を性的に捉えているそれだけの俺だったならば。


 居ないのと同じじゃないか。


 賢人はそういうことを翡翠にそのまま伝えた。


「賢人」

「ああ」

「女の子みたい。ははっ」

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