3-4
名城は呼吸を止め、肩をわなわなと震わせる。
興奮を抑えるあまり怒りと混乱がないまぜになっていた。
「アンタは〝改名の儀〟を何度も何度も行って、自分の名前を変えてきたのよね。慣れた、と豪語するくらいだから一回や二回なんてものじゃないんでしょ? もしかして今の〝文雄〟って名前も忘れてたりしてね。そりゃあ、自分のためにやってるんだから人の名前を変える余裕なんてないはずだわ。〝特異点〟に集まる相談者は適当にあしらって追い返せばいいし、ゴネてくる相談者は〝改名の儀〟を行ったフリをして失敗したと言えばいいものね――麻龍の時のように」
私は立ち上がってポンポンと彼の肩を叩いた。
「いい? トウリは悪くないのよ? 彼は真実を語っただけ。それから川名もね」
私は川名に目配せをした。彼女は少し困惑した表情を浮かべている。
でも、あの時、川名が立ち上がってくれていなければ、私は名城の不審な言動に気付くことはなかった。あのまま、次の新月の日を待つだけだっただろう。
「私がトウリから聞いた話はこうよ。アンタは〝特異点〟に誘われた二人を仲間に抱き込み、自分の改名が成功したら順に〝改名の儀〟を行ってやる、と言って人払いの役を命じた」
初めてめいめい研を訪れたあの日、私に対して川名のとった行動がまさにそれだった。不運にも相手が悪く、関を越えられることになったが、あのようにして日々めいめい研を訪れる意志の弱い者を追い返していたのだろう。
「二人の改名が終われば、次にやってくる相談者たちに〝改名の儀〟を行う……、トウリと川名はそう約束されてた。でもなかなかその番が回ってこなかった。なぜなら、アンタが何度も自分自身のために〝改名の儀〟を行っているから――――いえ、何度も過去に戻って人生をやり直しているから。そうよね?」
〝改名の儀〟とは曰く、自分を取り巻く世界がカタチを変えること、すなわち改名後の自分が生まれ落ちた世界に転生することをいう。
「簡単に言えば、タイムスリップみたいなものよね――アンタはそれを悪用し記憶を引き継ぎながら何度も赤ちゃんに生まれ変わった。そりゃあ、私でも色んな悪だくみを思いつくわよ。映画でも漫画でも何でも人智を越えた能力を持つ人間はたいてい悪に走るのよ――優越感を得てしまったが最後、泥沼にハマってしまう」
「違う!」
名城の怒号が廊下まで響き渡る。
「何が違うの?」
「千早さん……、貴方は勘違いしている点が一つある。確かに僕は何度も名前を変えて人生をやり直してきた。でも厳密に言えば、改名後の自分は改名前の記憶を引き継ぐことはできない。新しい名前で、新しい人生を歩み、その運命に従って行動をするだけなんです」
「じゃあ、どうしてアンタは自分が改名したことを覚えていられるの? 改名前の記憶が残っていないなら、アンタはそれを覚えていないはずでしょ?」
「普通はそうです。ただ僕の場合は自分で改名をしているので、改名を行った時点の――、つまり、改名を行ったという事実だけは引き継ぐことができるんです」
私が険しい顔をすると名城は察して説明を続けた。
「千早さん、貴方は先ほど僕が自分の名前を憶えていないと言いましたね。冗談が過ぎます。僕はこの世界で二十年間ずっと〝文雄〟として生きてきたんですから忘れる訳がないでしょう――とにかく僕はこの世界でずっと〝文雄〟だった。でも〝文雄〟になる前は〝
名城は本棚から件の論文を取り出すと、悩まし気にそれを見つめた。
「この存在を知らなければ、僕はそれを前世の記憶とスピリチュアルな議題に乗せて言い切ることができたでしょう。でも知ってしまったんです――自分自身の手で〝清司〟から〝文雄〟に改名していることを。そしてそれがただの一例だということを」
「なるほど。これまで改名してきた事実も一緒に引き継いでいたのね」
「そうです」
そう言うと、名城はくくと自虐的な笑みを浮かべた。
「千早さん、お気づきになりましたか? 自分が何度も名前を変えてきた事実を知っているという事は――何度もその論文を読んできたという事です」
「何度も繰り返しコレを……? もしかして――」
「そうです。名前を変えても人生は変わらないんです」
名城は髪を掻き毟り、叫んだ。
「〝清司〟も〝文雄〟も誰も運命を変えることはできないんです! 名前が変わったくらいで人生は簡単に変わらないんですよ! 僕は幾度となく、身を持ってこれを経験してきた!」
「名前を変えたい? そんなたった一回きりで自分の人生を変えられると思うなんて――まったくバカバカしい!」
「貴方の御友人もそうですよ! 麻龍には麻龍の、真美には真美の苦しみがある! きっと人生の先にいっそ身を切りたくなるような艱難辛苦が待ち受けているんです!」
「名前を変えたって意味がないんです! 運命は……変えられないから!」
名城は肩で呼吸し、血走ったような目で私を睨みつけていた。
その瞳にはうっすらと涙の膜が張っている。
私は彼の呼吸が整うまでじっとその様子を見守った。
「僕の家は江戸時代から続く染め物屋で、染色業の一時代を築いて財を成した名家でした。十二代目だった父の三男坊としてこの世に生を受け、兄や姉とともに染め物のイロハを叩き込まれました。しかし、僕に前途はないと悟った父は私を家から追い出し、私は半ば勘当のような扱いを受けました。それまでロクに勉強もしてこなかった私は苦心して二浪の末、流渓大学に進学することができました。ただ僕には何もやりたいことがなかった。徒に毎日を過ごし、惰眠を貪るゴミのような学生生活を送っていました――そんな折、父が姉の〝香苗〟を名城家の十三代目に選んだことを耳にしました。家を追い出されてから身内の事情は母を通して伝え聞いていたので、僕はとても驚きました。なぜなら、兄の〝裕次郎〟の方がずっと勤勉で優秀で、姉の〝香苗〟はほとんど放浪者のような自由人だったからです。僕は母に父が姉を選んだ理由を聞きました。母はこう答えました。『姓名判断士の先生に教えられたそうよ。《名は氏と同じ長さでなければならない。そうでなければ、片方に寄りかかって平衡を保つことができなくなる。お家の未来を案じるなら世継には香苗様をお選びになされ》と』。僕は絶句しました。唯物論者だと思っていた父がそんな迷信めいた物を信じるようになっていたなんて、と。でもそれを知った僕は自分の名前について考えるようになりました。名前は〝邦治郎〟――名城と並び立つには音は二つ、漢字は三つでなければいけなかったのです。いま名前を変えれば、父に認められるだろうか。そんな妄想に日がな耽るようになり、この〝特異点〟に導かれたのです」
名城は心臓のあたりをグッと抑え、続く言葉を吐きだした。
「音は二つ、漢字は三つ――何度もその名に改めました。でも何度やっても僕は父に勘当されるのです。父は掃き溜めに捨てるちり紙のような目で僕を見ました。今の僕は〝道雄〟なのに、今度の僕は〝勝也〟なのに……! 父は僕を認めなかった。いつだってその奥に〝邦治郎〟としての僕を見ているようでした――」
顔を上げると、その重々しい面構えが露になる。
ぐっしょりと涙に濡れたその顔が。
「それでも……止められないんです。いつか父が自分を笑顔で迎え入れてくれるのではと思うと、何度だって過去に飛びたくなる。何度も名前を変えてしまうんです。無駄だと頭では分かっているのに……!」
名城は訴えるような目で私を見た。
「千早さん――僕はいったい何をやっているんでしょうか。もう〝邦治郎〟を愛せない僕は名前を失ってしまった――僕はどこにいて、誰の為に、何をして生きているんでしょうか。無力な僕に何が――できるんでしょうか」
私は彼の腕をとると力強く握り締めた。
「私を〝千速〟にして!」
「え」
「私が証明してあげるわ! 名前で人生は変えられるってことを!」
「千早さん……」
「アンタにしたら私の言っていることは馬鹿げていると思うでしょうね! でも、それはアンタ自身が何度も想い続けてきたことでもあるのよ!」
私は彼のもう片方の腕をもとると、声を震わせ叫んだ。
「私が人生を変えられれば、それは名前を変える意味があるということ! そうすればアンタのやってきたことにも意味が生まれる! この世の中にいる、自分の名前に苦しんでいる沢山の人々を救うことができる! それはアンタにしかできないこと! なんど時空を飛び越えてもアンタという存在が認められる!絶対に人生を変えてみせるわ!」
込み上げる熱とともに息を吐く。
「私を信じて」
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