3-2

 夜の繁華街をひとりトボトボと歩いて行く。

 ここは名取市内一の居酒屋街。金曜日の夜は飲み屋に繰り出すサラリーマンや、女を求めて当てもなく徘徊する若い青年たちで一時の賑わいを見せる。

 肩を組んで大騒ぎする大学生や、顔を真っ赤にして意味の分からないことを叫ぶ中年男性たちの間をすり抜けて私は家路を辿る。まるで彼らと私の行き交う世界が全く別の様相を呈しているかのように、彼らは向かって歩いてくる私のことなど気にも留めないように道の真ん中を我が物顔で闊歩していた。


 明日は明日の風が吹く――酔いの醒めない彼らの会話は全て日和見主義の戯言に聞こえた。


 この人達は私と麻龍の悩みなどこれっぽっちも理解していないし、理解できるはずもない。私が卑屈になっているのは分かる。ただ最早、自己を省みる余裕はなかった。


『命名相談承ります』


 ふとそんな言葉が目に飛び込んできた。

 帆布の旗がはためく立て看板。普段なら見過ごしてしまうような言葉に私は惹かれていた。もうビョーキだな、これは。


 それは四角錐の簡易テントに看板が立ててあるだけの簡素なつくりだった。入り口の切れ目から、淡紫色のスタンドライトが見え、その横にローブを深く被る人の姿が見えた。RPGで言えば、村のはずれにある怪しい商店。中心街では買えないような毒薬などを売っていそうな風体だ。

 

 いつもならそのまま通り過ぎるところだろうが、今後を占うために一度話を聞いてみるのも面白い。


「すいませーん……」


 中は想像していたよりも暗く、目の前の命名師をはっきりと視認できないほどだった。そもそもフードを被っていては顔も確認できないはずだが。


「どうぞお掛け下さい」


 老いた、落ち着いた声。

 言われて私は足元にあったヒノキの丸太椅子を寄せて腰を下ろした。


「どなたの御名前を占いますかな」

「えーと、私の友人なんですけど、いけますかね?」

「問題ありませんな」

「――花の〝藤〟に、読む〝本〟、真実の〝真〟に、美しいの〝美〟で〝藤本真美〟という女性なのですが」

「ふむ」


 目の前の命名師はそう言うと机の上に置いてあった木製の円盤を引き寄せ、刻まれた模様に従って指をなぞらせた。詳しくないけれど、それは占星術で使われるホロスコープ――のように見えた。麻龍が前に教えてくれたので、なんとなくその絵柄だけは頭の中に入っていた。

 命名師は天秤のような図柄で指を止めるとまたひとつ「ふむ」と唸った。


「何か分かりましたか?」

「非常に良い相が出ておりますな」

「本当ですか?!」

ノ木の(元)で、実がかくもしきなることを知る――藤の花は〝歓迎〟を意味します。美しき新たな世界が彼女を迎え入れようとしている。そのように見えますな」


 荒んだ心にじんわりと温かさが込み上げる。

 麻龍にも今の言葉を聞かせてあげたい。晩御飯を食べるついでに一緒に連れてこれば良かった。どうしよう。今ならまだ間に合うかも。彼女に電話を掛けて、えーと、ここの場所は――。


「改名をご所望かな」


 私は取り出したスマホを持ったまま固まった。


「え」

「貴方の御友人は改名をご所望ではないかな」


 なぜ、それを――。

 彼女の悩みをどこで、ひいては私の企みをどこかで――彼は知ったのか?

 ただその理由を考えるより先に、いまは動揺を悟られる方がマズイ。


「どうしてですか?」


 私は平静を装った。


「簡単な事です。にはそういう方が沢山来られる。御自身の名前ではなく、御友人の名前と聞いてピンと来ました」

「なるほど――でも、ココにそういう人が沢山来るというのは……?」

「この世には、改名をしたいと考える人が自然と集まってくる不思議なスポットがあるんですな。その一つがこの場所、我々が座っている場所です」

「それって――」


 どこかで聞いたことがある。

 いや、間違いない。


「巷では〝特異点〟と呼ぶそうですな」


 めいめい研のある場所だ。

 まさに名城達の言っていた、特別な座標地点――でもアイツの話によるとそれは東経一三九度・北緯三十五度の場所に現れるって言ってなかったっけ。


「それぞれの地点には、力の強きと弱きが存在します。曰く、それを守るためにあらゆる氏族が争ってきたとか。まあ、いずれにしても我々が座っているこの場所はとても力が弱い。人を寄せることはあっても、改名は叶わんでしょうな」

「その――確実に改名が出来る場所はあるんでしょうか」

「ほお、お嬢さん、もしかして〝特異点〟をご存じなのですかな」


 フードの奥の眼が光る。


「え……と」


 不味ったか……?

 いや、どうせ乗りかかった船だ。


「少し興味がありまして……、得られる知識は何でも」

「なるほど。たいへん御友人思いで結構」


 命名師は懐から輪っか状の何かを取り出した。

 じゃらじゃらと音を立て、一粒一粒が怪しく光を放っている。


「このを持っていきなされ――身に付ければおのずと貴方を強き〝特異点〟に導いてくれる」

「お代は……?」

「結構」


 その数珠には見覚えがあった。

 めいめい研に訪れた、あの〝八重子〟とかいう中年女性が持っていたモノとそっくりだ。確か彼女は去り際に言っていた。「街中のある命名師に言われてココを訪れた」と。名城は彼女を突き放しながら、「最近そういう相談者が増えた」とボヤいていた。

 つまり、いま目の前にいる彼が、悩める相談者たちを――。


「めいめい研という名前に聞き覚えは?」


 尋ねても、命名師から返事はなかった。


「私はすでに流渓大学にある〝特異点〟を知っています。当然、アナタも知っているはずです。それを知っていてココに来る人達をあの研究所に送り込んでいるでしょう――どうしてそんなことをするんですか?」


 くぐもった笑い声がフードの奥から聞こえる。

 かたかたと揺れる肩。彼は笑っていた。


「お嬢さん、質問が多すぎますな。いやはや何から答えればいいのか、いや――」


 徐にフードを上げると、その顔が露になった。


「何から明かせばいいのか――ワカランヨウナルデ」

「え、アンタ……」

「ゴ無沙汰シトッタナ、オ久シュウ――千早ハン」


 トンチキな関西弁を繰り出す、残念な色男――鶴舞ユウリだった。

 

「な、なんで、アンタが……っていうか、声が全然……」

「アレは俺の特技です。変声術、なかなか上手いでしょう」


 しわがれた声は本当に老人そっくりだった。

 変な関西弁で漫才やるよりよっぽど金になる一芸だと思う。


「アンタ、こんなとこで何やってんの?」

「――まあ、オレも色々話したいことはありますよ。整理が付いてないですけどね。まさか千早さんが来るとは思いもしなかったですから」

「本当に命名師なの?」


 ユウリははにかんで、意地悪く舌を出した。


「全部デタラメです」

「はあ?」

「いや、命名について勉強したこともないし、この通りの先にある姓名判断士のおば様にちょっと話聞いただけで……、雰囲気作りはできたと思いますけど、内容はまあお粗末なもんですよ」

「じゃあ、さっきの藤の話は……?」

「申し訳ないですけど、その場の思い付きですね」


 私は肩を落として溜息をついた。


「それにしても、まだお友達のことが気掛かりだったんですね」

「アンタねえ、人の苦労も知らないで――、あれから色々あったのよ」

「やはり改名を?」

「そうよ。アンタに言われた通り、あの子の名前の由来を聞きに行ったわ。厳密にはあの子自身が一人で決めて聞きに行ったんだけど……」

「結果はあまり芳しくなかったんですか」

「そうね。それより――あの子は彼女自身が付けられるべきだった本当の名前を知ることができたの。だから今は名前を改めたいって思ってる。そのために私も色々頑張ってるんだけど――」


 暗い事務室に、パソコンの光に照らされた私の顔がフラッシュバックする。

 まるで他人事のような他者の視点から、その情けない顔を私はいま一度思い出していた。


。私に出来ることは……、もうないのよ」


 結局、罪を犯す決心はつかなかった。

 公文書を偽造することの罪の重さをこれまで幾度となく教えられてきた。組織の中で何度も繰り返し、犯されざるべき御法度として、脳の奥に深く刻み込まれてきたのだ。めくるめく〝慣れ〟を反芻する中で、それは固く固く私を縛り付けていた。友情よりも固い鎖で――。


「なるほど、そういうことですか」


 ユウリが私の肩をポンポンと優しく叩く。


「名城に断られたんでしょう」

「名城……? アンタ、名城を知っていたのね」


 初めて会った時はめいめい研の存在すら知らないような素振りを見せていたのに――。


「マブダチですよ。それと同時に、同じ志を持つ、スタディーメイトでもあります」


 ユウリは見覚えのある名札を胸ポケットから取り出した。

 それはめいめい研究所の所員であることを示す名札だった。


「所員No.2 鶴舞ユウリ……、アンタ、めいめい研の」

「そうです。オレもあの〝特異点〟について研究しているんですよ?」

「ウソでしょ……?」

「な、なんスか? 疑ってもしょうがないでしょ、事実は事実はなんですから――それより、知りたいのはどうして名城に断られたかじゃないんですか?」

「ええ、まあ、〝改名の儀〟自体は執り行ってもらったのよ。でも名城が本意気じゃなさそうっていうか――」


 私は川名と名城の言い争う様子を傍から見ていた。

 何か事情がありそうだという事、そして、その事によって麻龍の〝改名の儀〟がおざなりになった事がよく分かった。


「そうですね。名城は今後も――誰かのために〝改名の儀〟を行うことはないでしょうね」

「どうしてなの?」

「それはアイツ自身が信じていないからですよ――『名前で運命は変えられる』ってことをね」

「名城が……? でもアイツ……、いや、そうね、確かに言われてみれば、相談に応じた時はいつも『自分の名前の由来を知れ』ってそればっかりで追い返してたような……」


 思えば私に対する態度もそうだった。

 ただあれは親から貰った名前を大事にしろというメッセージと受け取った。

 

 名前を変える術を知っている彼が、『名前で運命を変えられる』ことを信じてないですって?

 

 じゃあ、いったい何のための研究なのよ。

 知識を得て、その上座に胡坐をかいて、悩める私達を見下そうっていうの?


 そんなバカバカしいことがあっていいわけがない……!


「オレも命名師を装って、こうしてめいめい研に色んな相談者を誘導しているんですけどね。いつか彼の琴線に触れるような相談者が現れないものかと思って――」


 学問は全ての人間に開かれていなければいけない、そうのたまったのは名城だ。

 アイツ自身がそれを独占して何になる?

 アイツのエゴで――私の麻龍がこれ以上苦しむ姿を見たくない。


「ユウリ、私やっぱりアイツに一発かまして――」

「待ってください。ただ彼の気持ちも理解してあげて欲しいんです」

「理解? アイツは研究なんて形のエゴで、救える命を見捨てているのよ? そんなの許せないじゃない!」

「違うんです。彼にも理由がある、それはちゃんと聞いてあげてください」


 私は込み上げる怒りをなんとか抑えて、ユウリの言葉に耳を傾ける。


「彼を殴って話が付くなら、オレだってそうしてます。でもそうじゃないんです。彼の心を動かすことができなければいけない――『名前で運命は変えられる』と証明しなければいけないんです」

「証明――」

「だからオレはこうして意志のある相談者を彼の元に送っています。まだ実を結びませんがいつかは――いや、もしかすると今がその時なのかもしれない」


 ユウリは私の手をとった。


「千早さん! もう一度、めいめい研に行って、名城と話をしてください!」

「も、もちろん、そのつもりだけど、証明なんてどうやって」

「千早さん――気づいていないんですか?」

「何に?」


「改名を強く望む者だけが〝特異点〟に導かれるんです」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る