1-7
*
「メイメイケンキュウジョ……?」
ユウリは小首を傾げた。
「ええ。私も噂で耳にしただけで、詳しいことは何も知らなかったんだけど。でも話に聞いた場所に行ってみたらホントにあったのよ、その、命名研究所」
「誰かいたんですか?」
「白衣を着た男と、ちんちくりんなメモ魔の女がいたわ」
思い出してもどこか変な二人だった。何が変という訳ではない。私と少し感性がズレてる……、それぐらいの小さな違和感だ。目の前のコイツも相当変わってるけど。
「ウチの学生ですか?」
「さあ、ね。本人たちはそう言ってたけど」
「へえ」
ユウリは呑気にストローの端を口に咥えた。
「命名研究所は本当に名前を変えたいと思う人しか入れないんだってさ。こう、特殊なチカラが働いてるみたい。とても信じられたもんじゃないけど」
「というか、そもそも『名前を変える』ってどういう意味ですか?」
「まあ、私も実際はまだよく分かんないんだけどさ。私だったら〝千早〟、アンタだったら〝ユウリ〟って名前があるでしょ? でも親に付けてもらったその名前が気に入らないとか、人と比べて変わってるっていう理由で変えたいと思う人がいるのよ」
「ああ、なるほど……」
「実際に私の友達にそういう子がいてさ、すごく悩んでるからどうにかしてあげたいと思って」
「それでここに来たんですか?」
ユウリが目を丸くして驚く。
「そうよ」
「千早さん、優しいんですね」
「当たり前でしょ。友達なんだから」
「それで、その……命名研究所の二人はお友達の名前を変える方法を教えてくれたんですか?」
「いや、『あなたはまだココに来るべきじゃない』って追い返されちゃった。理由は分かんないんだけど」
私は意味もなく手首の裏をさすった。ユウリが何か言いたそうに私を見つめている。
「何?」
彼は体を正面に構えて言った。
「千早さん、俺思うんですけど――どうしてお友達に言ってあげなかったんですか?」
「何を?」
「あなたの名前すごく〝イイね〟って」
ぴしゃりと、電気が走る。
「マロンって名前、可愛いじゃないですか。これは俺の個人的な意見かもしれない。でも彼女のことを思うなら、千早さんが取るべきだった行動は、改名を薦めることじゃないと思うんだよなあ……」
私が麻龍の悩みを聞いて、まず感じたのは『可哀そう』という気持ちだった。それ以外に心の内を占めるものはなかった。とりあえずセンシチブな問題だからその場は同情しておこうって、無意識にそうした。家に帰って話を振り返って、あの子の為にできることをあれこれ考えた。そして、いまそれを実行に移して、私は彼女のために心血を注いでいる自分に満足している。
違う。
私がすべきだったのは、あの場ですぐにあの子の名前の美しさを説いてやるべきだったんだ。もう一度、あの子に自信を取り戻させるために、彼女にのみ与えられた〝麻龍〟という名前がいかに輝きを放っているか、それを伝えるべきだった。
改名を手伝おう、なんて、軽はずみに考えるべきじゃなかったんだ……。
「……ありがとう! 私、もっかい行ってくる!」
椅子を蹴って走り出す私を見送って、ユウリはひとり呟く。
「これでよかったかな、名城……? あ、違う違う。コレデヨカッタンヤンナ?………アア、スッカリ忘レテモウトッタデ、ホンマ。美女ト話スト、ホンマ調子狂ウナア」
ユウリは首に掛けた名札を懐から取り出して眺める。
『命名研究所 所員No.2 鶴舞ユウリ』―――――甘いフェイスの顔写真が見つめ返していた。
「ネーミングライツ、イズ、マイン……、幸運ヲ祈ルデ、千早ハン」
*
扉を勢いよく開けると、二人の視線が私を刺す。肩で息をしながら、乱れた息を整えようとする。膝頭を押さえながら、大きくせき込み、汗ばんだ額に張り付く前髪をそのままにして、顔を上げる。キョトンとする名城と川名に向かって私は叫んだ。
「―――ごめん! 私が間違ってた!」
私は体中の空気を押し切るようにまた叫んだ。
「あの時! 私は、麻龍の名前がホントに可哀そうだって思ってた!」
大人になり、少しずつ社会の汚い部分が見えてきたことで、彼女の苦しみは社会が差す大きな影の一部だと思った。だから、私は、彼女を哀れんだ。
「でも違う! どんな名前を与えられても、そこに必ず込められた想いがあるから!」
私は何千回、何万回と彼女の名前を呼んだ。その時は可笑しな名前だって思ったことは一度もなかった。麻龍と言えば、あの子だったし、あの子と言えば、麻龍だった。
「私は、友達だから! あの子の名前がどんなに美しいかって……! あの子の名前を呼ぶ友達として、それを教えてあげなきゃいけない! 親の首根っこを捕まえてでも、名前の由来を問い質さなきゃいけない!」
変な名前なんかじゃない、社会が差す影の一部じゃない。だってこんなにあなたの名前は綺麗に輝くから。そのために私は……!
「……よく分かりました、千早さん」
名城は私の肩を諫めて言った。
「そのことに気づいてもらえてよかった」
名城は私の顔を見て何かに気づき、川名に「ハンカチ」と言って呼び掛けた。川名は背負っていたリュックから、小さな手拭いを取り出すと、私にそれを手渡した。
「お姉さん、涙」
「ありがとう……」
つい感極まってしまった。最近、涙腺が緩くなったような気がする。歳だって思われたくないから、何でもないことで涙なんか流したくないのに。でも、いつのまにか私の中であの子の存在は何でもないことじゃ済まなくなってたみたいだ。
「そこまで彼女のことを心配できるなら問題はないでしょう。貴方の気持ちは十分に伝わりました」
私はサッと涙を拭き取る。
「それじゃあ! 名前を変える方法を教えてくれるの?」
「いえ」
名城は厳しい顔つきでばっさりと言葉を切った。
「伝わったのは、千早さんの気持ちだけです。僕は麻龍さんの気持ちが知りたい。どういう経緯で名前を変えたいと思ったのか。本人から直接お話をお伺いしたいんです」
名城のいうことは尤もだ。
「分かった。麻龍をココに連れてくるわ。でも、今のあの子はちょっとやそっとじゃ外には出て来ない。最近また一社落ちたみたいだから、かなりふさぎ込んでる。だから、あの子の希望の拠り所になるものだけは持って帰りたい」
「何が知りたいですか?」
「改名の方法」
私は名城の目をまっすぐに見つめる。
名城は数秒思案して、答えた。
「分かりました。それでは、一言だけ差し上げます」
「……」
私はごくりと唾を呑みこむ。彼の口がゆっくりと開いて、その言葉が追って聞こえた。
「〝ネーミングライツ・イズ・マイン〟この言葉を心に秘めるようにと伝えてくれますか」
ナンチャラ・イズ・マイ……、すみません、よく分かりません。その意味を解明するために、私の脳内の検索エンジンがフル活動する。あれでもない。これでもない。検索結果ゼロ。いったい彼は何と言ったのだろう。
「あの……、私、改名の方法について聞いたんだけど?」
「生憎ですが、改名方法は研究所の最重要機密になりますので、いまはお答えできません。実際に麻龍さんのお悩みを聞いてからになります」
「そんな……、それじゃあ」
「それでは彼女はココまで足を運ぶ気にならないとおっしゃりたいんでしょう?」
訳の分からない話にホイホイついていくほど、あの子の頭のネジも緩くはない。だから、話を詳しく教えてと言っているのだ。
「だからこそ、先ほどの通り、麻龍さんの希望となる言葉をお届けしようと思ったのです」
「それが、つまり、さっきの……?」
「ネーミングライツ・イズ・マインです」
「英語? 意味は?」
「命名権は我にあり」
窓辺にスッと西日が差し込む。長く伸びた書物の影が名城の影と重なった。
「僕たち命名研究所、略して〝めいめい研〟はその言葉を胸に日々活動しています。少しでも多くの方が、名前に縛られず、明るい明日に向かって歩けるよう、人知れず名前を変える研究に励んでいます。そのことをお伝えいただけますか」
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