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「―――それから、あの子の為にできることを私なりにやってみた。改名事件を専門に扱ってる弁護士に相談したり、改名が認められた過去の判例を調べてみたりしたわ。でも、調べれば調べるほど、人から話を聞けば聞くほど、彼女の改名は不可能に思えた。あの子よりずっと悲惨な名前を付けられた人たちが、全てを曝け出して……、血の滲むような努力をして……、望む〝名前〟を勝ち得てきたことが分かったから……」

「麻龍さんは努力が足りない、と?」

「努力……、いや、ちょっとだけ違うわね。なんて言えばいいんだろう」

「それでは――麻龍さんに意志がなかったんじゃないですか?」

「え?」

「麻龍さんはとにかく就活という目の前の問題から逃げたいだけで、改名をした後、自分の生活をどう変えていきたいのか、その展望がなかったのではないでしょうか。恐らく、司法側も彼女のそういう消極的な理由を鑑みて不許可にしたのではないかと見受けられます」


 名城は淡々と言葉を続ける。


「審議官は必ず改名後の名前についてその由来と掛ける思いについて訊ねます。その返答にこそ、申立書の字面から読み取れない、申立人の熱い気持ちが現れる。麻龍さんの弱い心を審議官に見抜かれていたのではないかと思います」

「そ、そう……」

「しばらくは再申立をしても受理される可能性は低いでしょう」

「ああ、それ弁護士の先生も言ってたわ。特に理由が変わらない限り、しばらく許可が下りることはないって」

「はい。それに、改名が認められるケースで一番多いのは〝永年使用〟――つまり、長年、慣用的に使われている〝通称〟を本名として認めるというものです。そのためには、〝通称〟を使って生活を送る必要があります。当然、使う本人が望む名前ですから抵抗はないと思いますが、家族や友人との間に生まれる混乱と軋轢は相当のものです。でも、そうした困難を乗り越えなければ、法的な改名は難しいんです。人の名前がどれほど珍奇であるかということを司法のものさしで判断するのは難しいですからね」

「そう……、なのね」


 私は不貞腐れながら笑みを浮かべた。

 

「名城さんはどう思う?」

「名城でいいですよ。僕、後輩です」

「―――名城は、どう思う? 麻龍って名前、変だと思う?」


 名城は表情一つ変えず、即座に返答した。


「思いません。とても可愛らしい名前だと思います」

「そうよね―――って、ええ? そう……なの?」


 思わぬ言葉に面食らう。


「川名、君はどう思う?」


 呼ばれた川名は椅子をこちらにクルリと回転させ、そして、小さな口を開いた。


「思わない。可愛い」


 川名の言葉を受け、名城はもう一度、私の方に顔を向ける。


「千早さん、これが僕たちの意見です。確かに珍しいお名前だと思いますが、だからと言って死にたくなるほど精神的な苦痛を感じているとは思えません」

「思えない」


 川名が名城の言葉を真似て後を追う。

 私は席を立ち上がると、名城の前に立ち、強い口調で答える。


「―――それはアンタ達の目が肥えてるからじゃなくて?」


 違う。そんなことが言いたいんじゃない。でも、溢れる感情を抑えきれない。


「どういう意味ですか?」

「アンタ達は、今まで変な名前に悩んでる人を沢山見てきたはず。だから、そんなことが言えるんじゃないの?」

「千早さん、それは大きな間違いです」

「どうして? だってそうでしょ? ここは、変な名前を付けられた人が最後の望みを懸けてやってくる駆け込み寺。麻龍と比にならないような、可笑しな名前を付けられた人がやってくるんでしょ―――――?」


「千早さん!」


 名城の鋭い声が私を制す。


「お帰りください。貴方はまだここに来るべき人間じゃない」

「どうして? あの子の名前が変だって本当は思ってるんでしょ? だってマロンよ? 犬みたいじゃない! そんな名前つけられて恥ずかしいじゃない! 実際、面接でもたくさんの大人に笑われてる! 私は、あの子の気持ちを考えて、こうしてここまで来たって言うのに……!!」

「貴方はまだココに来るべき人間じゃない。お帰り下さい」

「アンタはって普通の名前だから、そんなことが言えるのよ!」


 私は彼の名札を指でピンと弾いた。

 名城の目尻がピクリと動く。しかし、彼は変わらず気丈に振る舞う。


「お引き取り下さい」

「帰るわけには行かないわ! あの子の名前を変えてほしいの! 女の子らしい名前に変えて、生まれ変わらせてあげたいの!」


 熱くなる目頭、上気する声、興奮する私の言葉は彼の耳に届かない。


「今日の所はお引き取り下さい。……川名」


 川名が猫みたいに椅子から飛び降りると、扉を開けて手招きをした。

 冷たい風が逆流して私の髪を攫っていった。


「…………」


 くしゃくしゃになった髪を掻き上げないまま、私は名城を睨んだ。駄目だ。今、顔を見せたら泣き出してしまいそうだ。

 いま立ち去ったら全てが終わりになりそうで、出来れば、一秒でも長くしがみついていたかった。拒絶される理由が分からないから、二度とこの場所に来れないんじゃないかと思った。

 でも、ダメだ。分からない。名城の言うことが分からない。だから、強く言い返せない。私が彼に何を言った? いや、私の言葉に反応した様子はなかった。なにか決定的な何かに彼は難色を示した。私を拒絶する何かに、反応した。

 だから、それが分かるまではここに居させてよ―――――。


「お姉さん、またね」


 川名のしたり顔がドアの隙間に消えていく。

 ドアが閉まると、無機質なG513のプレートが再び私に挨拶をした。


 来た道を戻ると、さっきまで静かだった構内が嘘みたいに賑わっていた。ちょうど講義が終わったタイミングだった。すれ違う学生たちが慌ただしく次の講義に向かい、生協の入り口にはレジまで伸びる長蛇の列が出来ていた。カフェラウンジは、ティーカップ片手に続々と集まる学生たちが、課題のようなものを広げてああでもないこうでもないと楽しそうに会話している。 

 今はこの雑踏が落ち着く。私は手近なカウンター席に腰を落ち着かせると、望む景色に溜息を吹きかけた。こうしているとこの大学に通っていたことの頃を思い出す。私は夜間制だったけど、講義自体はお昼からあるので、気の合う仲間たちとこうして遅くまでカウンターでおしゃべりをした。

 あの頃、麻龍はキャンパスライフを存分に謳歌していた。名前のことなんかこれっぽっちも気にしてなかった。マロンちゃん、マロンちゃんと学部の男子たちから可愛がられていた。背が高く、粗雑な性格をしていたから、いわゆる小ぶりで可愛らしい女子ではなかったけど、「逆にそんな風貌でマロンて可愛い名前ウケるね」なんていじられていた。彼女はその度「言ったな、コイツ~」と言いながらヘッドロックをかます。それはもう見慣れた光景だった。


 彼女が変わってしまったのは、やはり、就職活動を迎えてからだ。もともと彼女には就職願望がなかった。かつて彼女は飲み会の席で、医者か弁護士の家に嫁いで専業主婦になるの、と息巻いていた。その時はみんな笑い飛ばしていたけれど、就活が上手くいかなくなって徐々に追い詰められると、彼女はそのことを頻繁に口にした。大手商社マン、会計士、公務員、でもいいかな……と段々、目線が下がっていった。

 そして、みんなが内定先を決め、揃って大学を卒業したころ、就職浪人となった彼女は自暴自棄になり、適当に就いた会社も一年と経たず辞めてしまった。アルバイトの期間も重ねながら、彼女は結婚もできないまま、条件の合う職場を求めて転職に転職を繰り返した。そして終に彼女は自分の身に降りかかるアクシデントを全て、自己の不運に結び付けた。


 就職できないことを、自分の名前のせいにした。

 

 そういって泣き言を言う彼女が、正直、私は好きじゃなかった。でも、彼女のことを放っておけない。そんな気持ちもどこかにあった。


 だから、も手を差し伸べたりなんかしたんだ。


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