第155話 11月27日(2) 妬みの影
直哉は夕方、石田のいる階へと向かってみた。1つ下の階は結構重症な患者のいるところらしい。面会に来る人間もまばらで話もせず、とても静かだ。空気が違う。
教えてもらった部屋へ向かう。ドアが半開きだったので、コンコンとノックする。中から何も聞こえない。
しばらく待っても返答がないので、失礼しますと声に出しながら半開きの戸を押し開ける。
誰もいないのか? ゆっくりとカーテンの向こうを覗きに近づいた。すると、母親がベッドの上に腕を乗せてうたた寝をしていた。起こすのも申し訳ないと思い、そのまま帰ろうとした時、目を覚ました。
「あ……すみません、お邪魔しました……」
「う……あ、ええと……学校のお友達よね」
「はい、藤沢です……」
「ごめんなさいねこんな格好で」
ゆっくり上体を起こす母親。2回ほど会ったことがあるのと、直哉の強い特徴のせいで覚えていてくれたようだ。直哉の姿を上から下までじろっと見る。痩せて目が落ちくぼんでいることもあってか、なんだか睨まれているようにも感じて少し怖くなった。
「翔、藤沢君が来てくれたよ」
わかったのか、目線をこちらに向けた。近寄ると左目を瞬きさせた。
「……」
こちらにどうぞと彼の脇へ通された。
何も言えなかった。こんな姿になっていたなんて。自分が寝ている間、彼は苦しんでいたんだろうと思うと、こちらの胸が締め付けられそうになる。拓の時は彼に助けてもらったのに、いざ彼自身の危機には全く役に立たない自分がいた。その悔しさもあり、直哉の目に自然に涙が溢れてきた。
「なんで……」
思わず出た言葉だった。きっと、彼が攻撃される理由は自分にある。だが何でここまでする必要がある? 自分のことが気に入らないなら、石田ではなく自分に来ればいいものを……。
「どうして、うちの子が、こんな目に合わなきゃいけないの?」
母親が直哉の後ろで呟いた。
「あなたもいいわね、助かって。こうして歩くことも話すこともできて……。少し分けてくれない? その体……」
突然、腕をぐっとつかんできた。予想もしない強さだ。目を見開いて口を真一文字にし、無表情でこちらを見据える。こんな人間の表情、あまり見たことがない。
「いた、痛い、離してください……」
握り潰されるような痛みに耐えきれず、腕を振り払おうとする。しかししばらく、まるで機械に捕まれているかのように強く固定され、離すまで数秒かかった。
はっと我に返り手を離すと、困惑したような表情が現れた。その顔に少しほっとした。人間らしい表情だと。
「ごめ……なさ……」
母親は震える手で自分の右手を左手で掴んで視線を落とした。
「……羨ましかったの……どうして……どうして……」
真一に聞いた話もあり、母親をじっと観察する。本当に悪魔が取り付いているのだろうか? 石田を見ると、ただ直哉を無表情で見返していた。声が聞けたら……。彼の中の双子に会おうかと思ったが、むやみに力を人の前で見せない方がいいと思い直した。今は特に。
元はといえば自分と志保の事件が発端でぐちゃぐちゃになり始めてしまったのだから。人間にとって訳の分からない力を見せて、神経を逆なでするようなことはしない方がいい。
いっそ、志保が彼と体を交換してくれていたら良かったのに。そんな事も思った。
石田はまた左眼で瞬きした。何を訴えているのかわからなかった。首も動かせないようだ。
「また……来るね」
これ以上彼を見ているのは辛かった。こんなことなら死んでしまった方が彼にとっては良かったのではないか……いや何を言ってるんだ! そんな風に考えちゃだめだ! 生きていればもしかしたら奇跡もあるかもしれないし、真一が言ったように「日本の医療はすごい」のだから、回復に向かうかもしれない。希望を捨てるなんて自分には許されない。彼の回復を願うのが筋だ。
そっと右手で、石田の額の包帯に触れた。するとまた瞬きをした。ちゃんと彼には言いたい事や意思がある。それを汲み取ってやれない自分がふがいなかった。彼自身もきっと、もどかしくて仕方ないだろう。それを思うとまた涙が押し出されてくる。
母親はまた泣いていた。失礼します、とお辞儀をして部屋を出ていく。
病室に戻ると、じっとしていられなくてまたうろうろとリハビリを兼ねて動き回る。
――俺がここまで回復したのも、本当に志保のお陰だよな……でもどうしてだろう、体を交換するって……別に女になってるわけでもないし、ケガがみるみる治ったわけでもないし……
そうだ、あの偽物って結局どうなったんだろう。元の世界に送り返されてるってことは考えにくいし、同じように人生を終わらせられてるのかもしれない。
みんなの話じゃ2階から飛び降りて消えたことになってるけど、多分杉元が何らかの術を使って回収したんだろうな。
殺されて回復する前に焼かれたらもう戻らないって言ってたし……そうなっているんだろうか――
そんな場面を想像してしまうと、怖くて無理にでも体を動かして気をそらしたくなる。
結局、その日は夕食が終わっても1人で消灯時間までうろついていた。
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