第103話 志保の過去(3)

「……どうしたらいいかわかんなくて、とにかく誰でもいいから直哉に体を入れ替えてもらいたかったんだ……」

 下を向き、必死で泣くのを見られまいとしていた。真一は何も言わず志保の肩をポンポンと叩いた。正直こんな告白とは予想しておらず、2人とも何と返していいのかわからない。不老不死が本当で150年生き続けてきたというのも嘘ではなさそうだ。それに真一よりもはるかに扱われ方がひどかった。

 そして吉田志保という人間は、本物はもうとうに死んでおり、既に成り代わっていることも先ほどの出来事で疑いようがない。


 何とか彼女を助けてあげたいが、直哉の力を借りる事はできない。

「不老不死になる食べ物はずっと食べ続けてるの?」

 真一の問いに首を横に振る。最初は連日食べさせられていたが、その内数日に1回になり、管理者が変わる少し前頃から全く食べなくなったという。

「そうか……それを食べなきゃ治るかと思ったんだけど、だめか」

「何のためにこんな体にされたのかわからないんだよ。あたしたちが実験台なら、今頃もっと沢山の悪魔が不死になってておかしくないのに」

 言われればそうだ。直哉も真一も、元の世界でこんな存在の話など聞いたことがない。実験台ではなく目的をもって彼女たちだけが選ばれたような、そんな印象すら受ける。よくあるのが異教の邪神として祭り上げられること、だが彼女たちはずっと地下に閉じ込められたままで、特段あがめられていた様子はない。



「いつまで生きてればいいの……これからどうしたらいいわけ? それに、みんなあたしより先に死んじゃうんだ。頼る人もいなくて、そんなのもうやだ」

 真一は、なんとなく志保が自分から周りとの深い交流を断っているように見えていた。友達と仲良くしていても、最初自分たちに接していたように、どっかぎこちなくわざとらしい。吉岡と居るときすら稀にその気配が垣間見れたのはこれが理由だったのか。

「別れるのが嫌だから、なるべく好きにならないようしてたんだね」

「だって……みんな……いなくなっちゃうんだもの……」

 志保が言葉を詰まらせた。次の言葉の代わりに、耐え切れず嗚咽が漏れる。




「好きになっていいじゃない。その人の為になら、自分をいくらでも使おうって思えるし、その人の役に立てたら嬉しいじゃない」

「私が好きになっても相手は違うんだよ! 本当のこと知ったらどうせ都合のいい人形か道具ぐらいしか思わない……どんなに喜ぶことをしたって、どんなに耐えたって、そうするのが当たり前で、私の事なんかどうでもいいんだよ!」

「そんなことないでしょ、気にかけてくれた人が1人いたって……」

「確かにあの人だけは私を気にかけてくれてた。でも2度とそんな人には会えなかった……」

 堰を切ったように想いが溢れ声をあげて泣き出した。今は何を言っても、彼女には聞いてもらえそうにないな。そう悟った真一は、そのまま志保を抱き寄せ、ぎゅっと抱きしめた。


 真一が耳元で話し始める。

「僕は人形とか道具だなんて思ってない。1人の女の子だと思ってる。直哉だってそうだよ。死神の力は貸せないけど、もしかしたら解決策が見つけられるかもしれない。ここで生きていこうよ。僕たち3人偶然出会ったって思えない」

 不思議だった。

 こうして抱きしめられていると、唯一自分を気にかけてくれた“彼”のことを思い出す。名前は忘れてしまったが、老いても優しくて穏やかで、こんな監視の仕事本当は嫌だとある日漏らしたことがある。内緒だよ、と笑いながら口止めしてきたことも。

 あの時は彼の姿を見るだけで心が軽くなった。今それに似た心境だ。心を許せる相手がいるだけでこんなにも違うのか。

「お願い……離れないで……見捨てないで……嫌わないで……」

 哀願の言葉を思いつく限り真一に吐き出す。

「僕らが生きている限り、見捨てないよ。ね、直哉」

 2人の様子をふわふわとした不思議な感覚の中見つめていた直哉は、突然呼びかけられはっと我に返った。

「あ、あ、うん」

「ほら直哉もああ言ってる」



 本当はずっと言葉にしたかった想い。叶わないとわかっていながら口にするのは無意味だと思っていた。同時にこれは本物の、生きていた頃の吉田志保の想いでもある。

 だがこうして自分を受けいれた彼は自分と同じ悪魔。もしかしたら裏があるかもしれない。直哉だってもし次に自分が彼の意に反することをすれば、離れて行ってしまうかもしれない。それは怖かったが、今は騙されていてもいいとすら思っていた。

 志保の脇からドサッと鞄が地面に滑り落ちる。真一に縋り付き胸に顔を押し付け、声が広がらないようにしばらく泣いた。



「ねえ、僕と契約しようよ」

「……?」

 唐突に真一が言い出し、ゆっくり体を離して志保の泣き顔を見つめる。直哉も心配そうな顔をする。

「契約って言っても口約束だけど、その方が固い感じするでしょ。大丈夫、人間に迷惑かかるようなことしないから」

 直哉がまた申し訳ないような顔になり、志保は涙で曇る視界を晴らそうと、瞬きを繰り返す。やっと見えてきた真一の表情は明るくて優しく、安心感を覚える笑顔だった。

「ここにきてすごく感じたんだ。1人じゃ生きていけないって。僕らがまだこの世界を知らないのもあるけど、1人じゃどこにも行けないし何も食べられないし、学校だって行けなかった。沢山の人に助けて貰ってこうしてられるんだなって。志保ちゃんだって実の親じゃないけど、家族として一緒に住んでるでしょ」

 彼らの罪を隠す為に自分が娘に成りすましている。もし明るみになれば、それがこの世界では許されない事とも分かっている。真一は志保がそれを心配しているのを察した。

「今は他のこと置いといて、僕らのことだけ考えようよ。どう? 志保ちゃんがここで生き続けるつもりなら、どっちか寿命が尽きるまでずっと助け合うって。志保ちゃんの面倒見てくれた人みたいに上手くできないかもしれないけど、無理なことは周りに助けてもらえばいいし。吉岡さんたちも良くしてくれるし。直哉だって困ったときはすごい頼りになるよ」

 本当に頼っていいんだろうか。志保は戸惑いも覚えた。



「たとえ志保ちゃんが元の体に戻れなくて、僕が先に死んじゃっても、その間1人でいることがなくなるなら悪い話じゃないと思うけどな。それに僕らは悪魔同士なんだから、僕らの間でなら何をしたって咎められない。直哉にも迷惑かからない」

 志保が何度も何度も首を縦に振る。ここまで言ってくれる人はいない。嬉しくてどう反応したらいいか分からない。言葉が出せず泣きじゃくる声にしかならない。ありがとうと、契約すると言いたいのに。代わりに真一が握ってくれている左手をつぶれるのではないかというほど強く握り返した。

「どう? 契約する?」

 頭が痛いのも気にせず、頷きを繰り返して返事する。

「よかった」

 真一は片手でもう一度志保を抱きしめた。隠すことなく大声で泣いた。



 志保が落ち着いてから、真一がゆっくり体を離す。

「直哉も、いいよね」

「えっ?」

「直哉も仲良くしてくれるよね?」

 うん、といいながらはっきり縦に首を振った。それを聞いてまた少し涙が押し出される。

 直哉が一緒なら、万一……姉や杉元が自分を連れ戻しに来たとしても……助けてくれるのではないかという、淡い幽かな期待だ。人間には出来ないし頼めない次元の問題。その時に彼が味方にいてくれたらこんな心強いことはない。

 また天使でもあるのなら、もしかしたら本当に自分の体を浄化できるような隠された力があるのではないか……。

 ずっと立ち止まっていた場所からようやく動き出せる気がし始めていた。いい加減泣き止もうとぐっとこらえる。


「帰ろっか」

 5時半。すっかり暗くなった境内。最初に真一が立ち上がり手を差し伸べてくれた。それに捕まり体を立たせる。




 帰り道の景色も、それまで自分を拒むように見えた建物や道路、周囲の雑音や個々の明かりが、初めて自分が暮らす街の景観としてすんなりと視界に入った。

 周囲や他人に怯え、自分の事だけに必死になり、焦りと不安でいっぱいの心で周囲を見ていた。そんな心情で景色が優しく見えるはずもない。

 この世界で生きたい願望と期待に心が変わったとき、目に見えるもの、耳に入るものまでも穏やかになった。景色が自分をどことなく受け入れてくれたように感じた。

 自分が変わらなければ周囲も変わらない。もう昔の自分は捨てて吉田志保として生きる。終わりが見えないが彼女の記憶とともに、人間として生きる。

 志保は自身の変わりように驚いた。真一は本当に悪魔なんだろうか。本当は天使なのではないか。でも使い魔に蛇を持っていたから天使な訳がないな、など考えていると、自然に笑顔になっていた。




 その日の夜。真一は直哉に改めて聞いた。

「僕は志保ちゃんと仲良くやるつもり。直哉はあの話聞いてどうだった?」

 直哉はしばらく考えているようだった。

「……あいつなりにつらい状況から変わりたかったんだ。相当な芝居じゃなきゃ、俺らに心を許したんだろうな。あんな話までするんだから」

 本物の志保の気持ちも、彼女は十分理解している。それも踏まえて一体明日からどう周囲と接していくんだろう。

「裏に居る奴がいる以上、警戒は解いたわけじゃないけどこれだけは約束するよ、もう今まで見たいに敵意丸出しはしない」

「いい心がけだよ」

あはは、と真一が笑った。

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