楽しい準備期間

第104話 10月14日(1) 相談

 日曜日の朝、志保は吉岡に電話をしていた。今からちょっと会えないかな、という相談だった。どこで会おうかと話をしていると突然

「おいうっせぇんだよ! こっちは寝てんだ!」

という怒鳴り声が背後から飛んで来た。

 もちろん電話の奥でも吉岡の耳に不快に響いた。


 吉岡は電話の向こうの様子を察し喋るのを止めた。声の主は志保の父親だ。耳をそばだてる。

「ちょっとやめ……」

 志保の声の直後とんでもない乱暴な衝撃音がして思わず電話を耳から遠ざける。再び耳にしたとき、何すんのよ、という志保の声と男の叫ぶ声……

「なに勝手に電話してんだ!」

ガチャン!と耳を刺すような音とともに切れた。

「志保ちゃん?」

 もう繋がっていないのに呼んでしまう。心臓がドクンドクンと大きく鳴り、手がかすかに震えた。

 身だしなみもそこそこに、携帯と財布をもって家を飛び出した。


――あの家、やっぱなんかおかしい――




 父親が志保から受話器を取り上げ、電話器めがけ叩きつけていた。前日深酒をして寝ていた所、話し声が煩くて気に障ったらしい。

 慌てて母親が飛んできた。

「ちょっと何すんの!」

「こいつがうるせえから寝てられねえんだよ! お前も大声出すな!」

「そんなことしてどうなるかわかってんの!!」

 母親の言葉に、父親は黙った。ここのところすっかり慣れてしまい、警告を忘れていたようだ。

「何かあったら通報されるんだよ……わかってよ、いい加減学習してよ!」

 父親は何も言いかえさず、くるりと背を向けると「やってらんねぇ!」と捨て台詞を吐きそのまま台所へ向かう。水を一杯飲み干すと部屋へ戻って行った。


「大丈夫?」

 母親が志保を気遣う。それもまた子供を心配するのではなく、自分たちの立場を心配しているのだ。わかっている。わかっているならなんで涙が出るんだろう!

「大丈夫……」

 涙なんか絶対見られるもんか、と志保もその場を逃げるように学生証と財布をつかんで家を飛び出した。




 途中、こちらに向かってくる吉岡と鉢合わせた。髪型が違うので一瞬わからなかった。髪をお団子にせず降ろしているとなんだか大人っぽく見えた。

「志保ちゃん! 大丈夫? 何があったの?」

「なんでもない、大丈夫だよ気にしないで」

 笑って見せたものの吉岡は

「あんなひどい態度とるなんて親じゃないよ!」

と興奮気味に怒鳴る。ドキリ、とした。見透かされたわけではないが。

「今日は私がおごるから、お昼どっかで一緒に食べよ!」

「そんな、いいよ、お金だって私少しは……」

「いいの! 私が出すって言ったら出すの!」


 駅方面に向かって2人歩いていく。あまりに怒っているので簡単に経緯を話した。無言で聞いていたが

「だーかーらー酒飲みは嫌いなんだよ! 私ねぇタバコ吸ってる奴と酒飲む奴とパチンコばっかする奴は死ねばいいと思ってる!」

と過激な発言をしだした。心の中で、すべて当てはまる父親を思い浮かべ返答に困ったが

「そうだね……」

とあいまいな返事をするにとどめた。

「ほんと、なんかあったら警察に行った方がいいよ」


 そこからしばらく吉岡は害悪と感じていることをつらつらと並べ立てた。気が済んだところで、ドーナツ店に入った。

 好きなものを選んでというので、小さいのを選ぶと遠慮するなとストロベリーチョコのかかったドーナツを勝手に乗せた。最初スーパーでアイスを買ったときもイチゴアイスだったし、イチゴ好きなのかと問うと「3食イチゴでもいい」というくらい好きだという。


 まだお昼より早いので店内は空いていた。壁際の向い合うボックス席に入る。

「で、志保ちゃんの話なのにね、ごめん喋っちゃって」

 ちゅーとアイスティーを飲んでから、思い出したように吉岡が切り出した。

「あのね、文化祭のことなんだけど」

 志保からこんなことを言うのは珍しいなぁと思った。全てが初めてで物珍しそうに見ているだけだったのに。さては準備をやりたくなってきたな。でも安藤さんがあれじゃな……

「飯田さんも仲間にして、安藤さんたちと準備しようよ」

「へぇっ!?」

 思わず裏返った声が出た。なんだって、飯田、安藤? そんな水と油みたいな2人を……?

「なんだか勝手に委員の人もやってるじゃない。だからこっちの委員も勝手に本来の企画を進めようよ」

「でもでも、あの2人の仲知ってるよね、すごい険悪じゃない。それに飯田さんだってなんだかハブられてて……」

「大丈夫。心配ないよ。あたしはもう飯田さんとは友達だから」

 吉岡はただただ目を丸くして口を半開きにしている。

「安藤さんが進めなきゃこの企画成り立たないでしょ。それに安藤さんが事前に賛成しろって言ったから決まったなんていってるけど、安藤さんの企画聞いて乗ろうって思った子が多かっただけだと思うんだよね。ずるじゃない、人徳だと思うよ。実際に楽しくしようって一番頑張ってたの安藤さんじゃん。賛成してくれたみんなのためにさ、ね」

「はぁー」

 感心したように吉岡が声を漏らす。

「確かに」

 一旦紅茶のカップを置く。

「賛成しなかった子にも、普段仲良くない子にも積極的だったもんねぇ。うん、あの企画はつぶしたらもったいないわぁ」

「飯田さんは委員一人で、勝手にやってるグループに対して立場上弱いかもしれないけど、だったらこっちは数で勝負だよ。委員のくせに企画に反対する方がどうかしてる。賛成の方がこっちは多いんだから文句言わせないようにしようよ。やるなら徹底的に」

 今日の志保はなんだかよくしゃべるし、こんなに積極的だったっけ……まるで人が変わったようだ。でもなんだか嬉しかった。本当は吉岡も塚田も岡山も、この企画つぶれちゃうのかなぁと心配し、どうしたらいいのかと話していたのだ。志保が心強く見えた。

 はくはくとドーナツを食べる志保。おいしい、と笑ってくれた。朝嫌なことがあったんだろうに、そんなに嬉しそうにされるとこちらも嬉しくなる。おごってよかった、と吉岡もドーナツをかじり始めた。



 吉岡が1つ食べ終えたところで志保に質問した。目を合わせず、少し聞きづらそうにしている。いつもの勢いはなかった。

「ねえ、どうして飯田さんと仲良くなったの?」

 少し手を止め、ううーんと考えている。

「直哉と、真一のおかげかなあ」

「藤沢君の? だってあいつなんだか志保ちゃんに『吉岡に迷惑かけるなー』なんてとんちんかんなこと言ってたじゃない」

「ああ、あれはほんと何でもないから気にしないでよ」

 そうなの? と疑わしい視線を向けたまま、志保の話をきき続ける。少し小声で話し始めた。

「……小学校で、私いじめられてたでしょ」

 吉岡の表情がこわばる。それは否定しようがない。黙って続きに耳をそばだてる。

「このまえ、ちょっと私からも飯田さんにひどいことしちゃったことがあって、直哉と真一に間に入ってもらったんだ。そこでようやっと聞けたの。どうして私のことをいじめていたのか」

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