10月13日 過去の整理【R15】
第98話 本物の彼女
特殊クラスの授業が終わり菊本が教室から去ると、直哉が志保に向かって「ちょっといいか」と呼び止めた。真一はただならぬ気配を感じその場を見守った。
「てめえ飯田さんに何した」
微動だにせず、志保は答える。
「あたしと替わらないかって言っただけ」
「そんな言い方で飯田さんが俺に言ってくる筈ないだろ。どういうやりかたで脅した」
志保はいかにも不快だと言わんばかりの顔で「ひどい言われようだなぁ」とだけ返した。しばらく無言が続く。
「もちろん断った、お前の思い通りにさせてたまるかよ……」
志保は特別驚くことも苛つくこともしなかった。ただ淡々と直哉の言葉だけ聞いている。
「お前の本当の目的はなんだ」
直哉が一歩近づく。
「体」
即答した。そして一つ間をおいて
「あと仕返し」
と付け足した。やはりか。
仕返しというのは、本物の吉田志保が受けたイジメに対してなのだろうが、もう死んでしまったはずの本人はそれを願っているのだろうか。それとも相当な恨みの念を彼女に写したのだろうか。
様子を伺っている直哉に、志保はこう告げて教室を去った。
「後であの女連れてここにきてよ。話がしたい。あんたらも一緒にね」
去った後、真一が心配になり直哉に話しかける。
「どうするの、飯田さん、連れてくるの?」
「俺がいれば大丈夫だとは思う。だけど、もし何かあったら、本当にお前の力必要になると思う。お前付き合えるか?」
真一は頷きながらもちろんと答える。でもどういう事なんだろう。彼女ら2人だけではなく自分らもだなんて。直哉にあんな目に逢わされたのに、何か思惑があってのことなのだろうが、心配になってしまう。
教室に帰ると飯田は1人だった。そばに行き、こそっと直哉が何か声をかけた。飯田はひとつ頷いただけだ。周りのみんなも何だろうと気にしていた。
田中が余計なことをいい、あいつら何か怪しい雰囲気だなどと変な噂を立ててしまったのだ。原田は頭をひっぱたいてやりたい気分だったが、なぜそこまで直哉のことに介入するのか勘ぐられるといけないので黙っているしかなかった。
放課後、志保が先に教室を出た。直哉もその後に続く。教室内では土曜という事もあって、気合十分に文化祭の準備を勝手に進める大治と吉永、その仲間。逆に沈んだ顔の安藤とやる気のない周囲がだらだら帰ろうとしていた。
人が少なくなったころ飯田は教室を出た。特殊クラスへ向かう足取りは重かった。怖くて恐ろしくて、本当は帰りたかった。でも昨日直哉に言われたことを信じ、体をこわばらせながらもその扉を開けた。
中には志保のほか、直哉と真一が狭い教室の端の方に立っていた。志保は1人椅子に座っていた。
「待ってたよ」
志保がゆっくり立ち上がり、ちょっと笑みを見せた。
「まあ、荷物おきなよ」
飯田は志保の方をちらちら見ながら、志保のとなりの机に荷物を置いた。隙を見せてはいけないと思っているのだろう。
「やっぱり直哉に断られちゃった。予想通り。だからあんたはこれからもいじめられ続けて、クラスで惨めな思いをし続ける。あんなに威勢が良かったのに落ちぶれたもんだって笑われる」
じわじわと飯田の心を殴るような言葉だ。
「あんたはあの女2人から嫌われている。どうしてかわかる? 自分らが権力者でいたいのに、あんたが乗ってこなかったから。あの2人側近かなんか? いつも一緒にいてさ。権力のおこぼれに預かれないようなトップは、あの子らにとっては不要なの」
何を言い出すんだ、こいつ。真一も直哉もいつでも出ていけるように構えはしていた。
「嫌われてるのに何でまだあいつらのことが気になるの?」
「気になんて……してない」
「してるじゃん。嫌われて泣くほどさぁ? 寂しくて辛くて、また3人で威張りたいんでしょ? こだわってる証拠じゃない。なんでかわかる? 3人でいた時が一番威勢張れて気分良かったからだよ」
飯田がうつむく。泣くのをこらえているようだ。
「人を支配することってさぞ気持ちいいもんなんだろうね。私もずっとひどい支配されてきた。言うこと聞かなきゃ殺される。あんたはそんな目にあったことないだろうけどさ。こっちの苦しみなんかわかろうともしないで……あたしはおもちゃじゃない。だからあんたを恨んでた。またひどい事され……」
志保が突然フラッとよろけた。そして机にぶつかりながら倒れた。
「おい! どうし……」
手を伸ばしかけた直哉が固まった。真一もはっと息をのんだ。
「や……やだ……」
飯田が後ずさる。
倒れた志保に重なるように、小さな女の子が立っていた。もしかしてこれが本当の吉田志保? どうなってるんだ……幽霊か、亡霊か、怨念か……?
倒れた志保の方は意識はあるものの体を1ミリも動かせない。目も開かない。声も出せない。自分の中から本物の志保が、生命力を一時的に全て使っているのが感じられた。
「恵夢ちゃん……」
何と言葉を発した。飯田にかすかに笑いかけた。しかし飯田にはそれすら恐怖でしかない。
「ねえ、私、恵夢ちゃんに何かした?」
細く弱い幼い声が、怯えて泣き出した飯田に向かって問いかける。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 許して! お願い!」
悲鳴にも似た声が教室に響く。
「ずっと嫌だったの。何か悪いことしてたら謝るから。ねえ教えて。どうしていじめるの??」
飯田はパニックになり、へなへなと腰を落として床に座り込んだ。ただひたすらに泣きながらごめんなさいと叫ぶだけで答えになっていない。
「ほんとは仲良くしたかったの。最初は一緒に遊んだり帰ったりしたのに、私のこと嫌い? どこが嫌なの?」
飯田はただただ首を横に振って泣きじゃくるだけだった。
「恵夢ちゃん、教えて。 嫌なとこがあったら直すから、ね?」
―――どうしてこの子は嫌われている相手に好かれようとするんだろう。そんな奴さっさとあきらめて他の友達に行けばよかったのに。
……ああ、そうだ、この子は親からも十分な愛情をもらえていなかったのだ。他に逃げることや誰かに助けを求めるやり方も、そんな逃げ道があることすらも知らずにいた。
自分を認めてくれる人が周囲にいない上、学校でもこれでは……。だからこそ少しでも、自分を見てくれる人間と離れたくない。そんな心理があるのかもしれない。そして誰も助けてくれることはなく最期を迎えてしまった。
あなたはそんなこと思う必要ない、そう言ってあげたいのに体が動かない。逃げ方を知らない者は目の前の相手の言うことを聞くしかない。それが間違っていても、理不尽であっても―――
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