第81話 8月9日(2) 落ちない汚れ

 直哉と真一は、血まみれのシャツとスカート、タオルと格闘していた。他の子供や職員に見つかったら厄介だ。洗濯機の使い方を覚えたいと理由をつけて、他の洗濯物と一緒に洗おうとしていた。

 いつまでも洗濯機の前でごたごたしていると、美穂が心配してやってきてしまった。水を入れ始めた洗濯機の中をかき回し一番下に慌ててかくす。

「大丈夫、2人で。変に洗濯したら色移りしちゃうよ!」

 2人は顔を見合わせた。美穂は心配そうに除く。

「ほら!なんか色落ちてるよ。茶色っぽいもん水……」

 泡がたってもわかるほど色付いている水。怪しまれて当然だろう。

「あーっ、大丈夫、大丈夫だよ!」

「でもこんなじゃ、他に移らない? これなんか大丈夫?」

 手を突っ込もうとするのを慌てて辞めさせる。

「僕らでやってみたいんだ! それに僕らの服やジャージとかだし、それなら失敗しても構わないしね!」

「そう、そう。やらせて」

 美穂はなんか変だな、と疑った。

「なんか変なもの隠してない?」

「してないよ! してない!」


 疑り深い彼女は、しばらく2人を見つめて止まっていたが、急に間をかき分けて洗濯機の中を覗いた。慌てたが遅かった。

「ほら! シャツ入って……えっ?」

 引っ張り出してその妙なシミをみて言葉を呑んだ。

「うわ、なにこれ、なんのシミ? あ、え? スカート?」

 タオルも一緒に絡まって引き上げられたものに一気に不信感を抱く。

「ちょっと事情があるんだよ」

 直哉が美穂の腕をつかんだ。

「痛い! ちょっと離して!」

「頼むからそのまま中に戻してくれ」

 切羽詰まったその物言いに美穂は怖くなり中へ戻した。真一もさすがに止められなかった。


「どういうこと、なんか鉄っぽいにおいするし……血みたい……」

「血だよ」

 真一がもう隠しきれないと即答した。

「学校でちょっと怪我して、僕のジャージを代わりに着てもらって、僕らは綺麗にして返さなきゃいけないんだ」

「……ケガさせたの? これじゃ結構大けがじゃ……」

「今見たこと黙っててくれ。怪我した相手は大丈夫だから」

「誰のなのマジで? どうしたらこうなるの? 下手したら警察に行くようだよわかってるの?」

 収まらない美穂に真一がかいつまんで答えた。

「同じ特殊クラスの吉田志保だよ。飯田さんに手を出したから止めたんだ。あ、飯田さんは無事だからね」

 さらに表情が曇る美穂。彼女も飯田がどんな立場かをわかっている。先輩たちともよくつるんでいて目を着けられると厄介。自分の嫌いな存在はことごとく無視したり、今までも友達だった女の子を突然外しにかかったり、権力を持っている、そんな存在だ。その彼女に手を出したとは、吉田志保は一体何をしたのか。深く聞くのも怖くなり、それ以上聞けなかった。


「後でアイロンのかけ方教えて」

 直哉が去っていく美穂に頼む。半分振り返って

「2人がスカートにアイロンかけてると怪しまれるから、私やるよ。乾いたら呼んで」

とは言ってくれた。明らかに不信感はもったままだったが、もう仕方がない。



 その日の夕方。洗濯ものを取り込んで美穂を呼んだ。美穂も口裏を合わせて、自分のスカートを洗ったと言ってくれた。直子は「縮んじゃうよ」と心配したが、もう遅いしどうせ自分のだからいいのいいのと適当にごまかしていた。

 当て布をしてアイロンをかける美穂を二2してのぞき込む。

「あー、シャツだめだね、残っちゃったほら」

 スカートはもともと紺色なのでわからないが、白いシャツは輪っか状のうすら茶色のシミが残ったままだ。

「これ、一日置いて渇いちゃったでしょ、先にもみ洗いするとか、漂白剤つけるかすればもう少し落ちたかも。ついたらすぐ洗わないと落ちないんだよ」

「そうなんだ……」

 肩を落とす2人。しょうがないので謝ろうと話していた。

 その時、瑠波が直哉と真一を呼ぶ声がした。

「お客さんだよ、吉田さんだって」

 2人は慌てて玄関へ向かう。



「返しに来たよ。ジャージ」

 どこかの店の使い回しの紙袋に入れて、わざわざ持ってきてくれたようだ。笑顔などない。お互い事務的だ。

「よくここがわかったな」

「地図書いてもらった」

 彼女の手には、母親が描いたと思しき簡易的な地図が握られていた。

「ありがとう、わざわざ。今ちょうど志保ちゃんの制服綺麗にしてたんだ」

「それはどうも」

 表情を変えず、棒読みで2人に返す。


 目線はどうしても彼女の右腕に。堂々半袖を着ているのが驚きだ。どこからどうみてもただの切り傷がかさぶたになっている程度だ。真一の腹の傷のほうがひどい。

 後ろからタタタッと走る音が聞こえてきた。

「間に合った……できたよ! アイロン」

 美穂だった。初めて見る吉田志保に一瞬びっくりして固まった。

「彼女が吉田さん」

 真一が一応敬称付で紹介する。志保は愛想よく笑顔を作って可愛らしい声でこんにちは、と挨拶した。直哉は変わり様にあきれた。

「あ、こんにちは……なんか、ケガさせたとか聞いたんだけど……大丈夫なの?」

「えっ?」

 志保は一瞬2人を見たが、2人とも目をそらした。

「あっ、うん、大丈夫。ほらこのとおり」

 腕を見せる。傷の程度からしたらあんな出血量になるはずがないという怪我だ。美穂は不思議で仕方なかったが、今持ってきてくれたジャージを取り出すと、それに入れて手渡した。

「ごめんね、すぐに洗わなかったからシャツはダメになっちゃったかも。シミが取れないんだ」

「いいよ。大丈夫。ありがとう。ねえ、なんていうの名前」

「あ、えっと、原島美保です。2年A組の」

「そっかぁ、クラス違うんだね」

 可愛らしい。くめのんに似ている。美穂から見てもそう思った。この子が飯田に手を出しただって……? にわかに信じがたい。

「じゃ、私帰るね。おじゃましましたー」

 にこやかに制服を手にし帰っていく志保。直哉は無表情で、真一もぽかんとした顔で立っていた。



 玄関扉が閉まるなり、美穂が鼻息荒く2人の方を向く。

「ちょっとぉ、何あれすごいかわいいんだけど! 制服洗ってあげようって気持ち、わっかるわぁ~」

 直哉の体を美穂が興奮気味にぱんぱんと叩く。

「え? ああ、うん」

 本性は真逆だぞと言いたいのを抑え、頷いておく。

「あれはモテるね! どっかからスカウト来るかも! 前に『くめのん』に似てるって言ってたの理解した!」

 美穂はニヤニヤしながら戻って行った。真一は「はぁ」とため息をつき、ジャージを自分らの部屋へ持ちかえった。



 ポリエステル製の生地のおかげなのか、洗剤のおかげなのか、ジャージは綺麗になっていた。タオルも丁寧にたたんで添えられていた。やはりすぐ洗わなかったせいなのかうっすらシミがある。

「あいつ、俺らのことちゃんと黙ってるかな」

 直哉が真一に聞いてみる。真一だってわかるはずのない答えだとは思っていたが、彼が何か言ってくれるだけで自分の不安が取れる気がした。

「大丈夫だよ。自分がばれる危険だってあるんだから。自分からここにいられなくするようにはしないよ。どうしても直哉に入れ替えやらせたいみたいだしね」

「やっぱそこかぁ、目的は」

 真一は念のため釘を刺した。

「絶対に引き受けちゃだめだからね。その時点でもう天使の資格なくなって死神の仲間に引き戻されて、また前と同じことになるよ」

「うん……わかってる。だけど、あんなに回復するなんて」

「どうやってあの体になったんだろうね? そこは僕も気になる」

 2人とも昨日さんざん考えたが、そこまでは知識も記憶も持ち合わせていなかった。

「あいつ、人間じゃないよな、吉田志保の偽物かな。どうみても悪魔だよなぁ」

「でも飯田さんのこと知ってたみたいだよね、さんざんイジメたとかなんとか言ってた。本物の吉田志保が悪魔に魂渡して復讐してもらったとか……」

 どちらにしろ、彼女は人間ではない。そして本物の吉田志保でもなさそうだ。どういうことなのか気になるし、また今後別の生徒が襲われる可能性だってなくはない。

 機会を伺って聞き出す必要がありそうだ。

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