第76話 8月8日(2) 教室は惨状だった

※今回は痛々しい描写がございます




「……おい、おい真一!」

 窓の下でうずくまる真一に駆け寄ると腹から出血していることに驚いた。弱弱しい声で返事が返ってきた。

「大丈夫……深くない……大きく切れてるだけ……」

「本当に大丈夫か?」

 早口で小声で聞くと、確かに頷き聞こえるか聞こえないかくらいの声でぼそぼそと

「あいつ僕らと同じだ。僕が弱ってるふりして倒れてるから時間稼いで。ピロを背後から襲わせる」

と耳元に告げた。

 同じってどういうことだ、詳しく聞きたかったが今はそんな時間はない。

 声が消えると直哉はひとまず真一を置いて立ち上がった。



「おいテメエなにした!」

 志保は再び飯田の髪の毛をつかみ立たせた。

「そいつを助けたかったら、今すぐ、この女とあたしの魂を入れ替えてくれない?」

「はぁっ!?」

 直哉は警戒した。こいつ自分の素性を知っている。その上で仕組んでるんだ。

 

 同じってこういうことか。悪魔―死神の使い―なのか、それとも天界からの追っ手なのか。考えている暇はない。

 

 にやにやと笑いながら挑発する志保。

「早くしないとちょっとずつこの女切り刻むよぉ」

「……やめろ! 死んじまうだろ!」

 飯田の体に向けて刃を立てる。

「あたしの体ねぇ、不死身なの。体を入れ替えてあげればこの子助かるからだいじょーぶだよ。あたしは死んでもいいけど、真一も助けたかったらそのあと『生命力』っての分けてやれば? あんたなら簡単でしょ」


 ……こいつどこまで知ってる、それに不死身だって? 色々疑問は湧いたが、まずは飯田を助けるのが先決だ。脅しに引っかかってたまるかと話に耳を貸さなかった。

 その時、視界の左端、黒板の上の縁に何かを見つけた。それを相手に気づかれないよう気にしながら、時間稼ぎの会話を続ける。

「俺がそんな安っぽい罠にひっかると思ってんの? 」

「じゃあこの子刻むね。生きててもしょーーーもない屑人間だから死んじゃってもいいよねぇー」

 髪を引っ張って頬が接するほどに顔を引き寄せ、飯田に話しかける。飯田は恐怖で言葉が出せない。ぎゅっと目をつぶり、何か言いたくても呻き声しか出せなかった。


「あたしを……吉田志保をさんざん傷つけてイジメた張本人。こんな汚い魂も珍しいわ。いない方が世の中のためってくらい低レベル。あの子の恨み、あたしが晴らすって約束したんだ。そうじゃなきゃあの子浮かばれない!」

 今までのような挑発する笑いはない。本気だ。直哉はもう一度、視界の端のものにまたちらっと眼をやった。



 志保が飯田に刃を向けようとしたとき、突然「いたっ」と大声をあげ、手が緩んだ。右腕を振るようなしぐさをする。飯田をついに離した!

 その隙に直哉がさっと身をかがめ、体をかすめ取るように抱きかかえて床に伏せる。

「なにを……何した……!!」

 突然走った痛みに身をよじりながら、志保が何かを背中から引きちぎるように取り上げた。蛇だ!


 向こうで真一がうずくまりながらもしてやったりといった顔で見上げていたのを見て、志保はこれがどこから来たのかすぐに察した。怒りと悔しさと焦りで計画など頭から飛んでいた。蛇を床に投げつけると光の粒になって弾け消えた。



「あぁぁああぁぁ!!」


 大声をあげ、真一めがけて刃を突き立てようとした。だが直哉が一足早く飯田から離れ大鎌を出現させると、志保の右手が振り上げられた瞬間、鎌を下から一気に振り上げた。



 何が放物線を描きながら宙を舞う。 



 飯田はその光景を見て、声も上げずに失神してしまった。

 鋏の片刃は一瞬で消え、どたっという重たい音と大量の液体をまき散らしながら床にたたきつけられた。

 直哉が切り落としたのは、肘から少し下あたりの志保の「右腕」だった。

 

 


 


「どういうことだ、死なないってのは」

 床に膝をつき、苦悶の表情で左手で必死に右腕を抑える志保。まるで閉め忘れた蛇口のように溢れ続ける血で、見る間に床や制服が染まる。

 大鎌と反対側にある三又の槍先を向けて直哉が相手を見据える。対する志保は痛みに呻きながら直哉を睨みつけるだけだ。汗が滴り、動くことも、声をあげることすらもままならない。呼吸だけが激しくなる。


 直哉がもう一度、声を鋭くして聞く。

「死なないってどういうことだ!? 体を入れ替えるって……」

 言い終わらないうちに志保が突然自分の腕を拾い上げ、逃げだした。

「あ、おい! まて!」

 左手で引き戸を開ける間に直哉の手が志保の肩に届いた……

「ぐぇ!!」

 志保が半身をひるがえし、直哉の腹に痛烈な前蹴りを食らわせた。逃げ出した上、反撃する力まで残っているとは予測しておらず、まともに受けた直哉が今度は苦悶の表情で膝から崩れ落ちていく。


 その隙に走り去る志保。廊下に血を垂らしながら、あんな姿で人の目に触れたら大事だ。なんとか追いかけたいが体が起き上がらない。




 それから少し経った頃。

 3人が転がっていると、なかなか戻らない2人を心配して原田がやってきた。教室の後ろから入るとみんな寝転がっている。

 ゆっくり進むと、ペンキか絵具でもこぼしたのか大量の赤黒いものが床に広がっていた。

 3人はただ寝転がっているのではなかった。気を失っている飯田、腹から血を出す真一、体を「く」の字にして倒れ込む直哉をみて、その液体が何か分かった。あまりの量の多さに「血」だと逆に気付かなかった。


 とたんに全身の力が抜けた。へなへなと膝が折れ、歩けなくなった。

「なななになになんなん……」

 口もろくに回らない。誰も何も言ってくれない。襲われた? もしかして大野達が来た? そんな予測までした。

 真一が力の入らない声で「志保ちゃん見なかった」と問いかけた。原田は首を振るのが精いっぱい。そう、とだけ返す。



 校舎の作りのおかげで人目につかなかったのだろう。廊下中央にある階段は玄関へつながっているが、校舎の一番端にある階段は非常口も兼ねており、グラウンド側の出入り口に通じていた。おそらく原田はそこから教室へ向かい、志保は玄関へ向かって走って行ったため行き違いになったのだろう。でもここに来るまでに血が垂れているのに気づかなかったのか。

「ほ、ほけ、ほけんしつ……いかないと……」

「大丈夫……いい……」

 真一が答えた。とでもじゃないがよくないと言いたかったが、直哉もよろよろ立ち上がって歩き出したので、それ以上何も言わなかった。

「ごめんね……今日は帰る……」

 原田はひたすら頷くことしかできなかった。でも、襲われたり事故だったりしたら学校に言わないといけないのではないか。不審者なら警察に通報しないと……。


 そんな原田を察してか、直哉が汗をたらしながら

「俺らのこと気にしないでくれ。お願いだから、今見たこと全部、誰にも言わないで。あと、ここから離れてくれ。お前まで巻き込むわけにいかないんだよ」

と哀願するようにゆっくりと言った。

「そんな……こんなの見て気にしない方が無理……」

 へたり込んでいる自分が言うのも情けない話だが、一応こいつらとは友達のつもりだ。困っているなら手を貸さなければ、とは思う。だが思うだけで体が言うことを聞かない。

「大丈夫、俺らなら。飯田さんはどうにかしないと。一番心配だよ」

「原田君はここから離れて。申し訳ないけど先輩には、僕が具合悪くなったから直哉に連れ帰ってもらうことにしておいてくれないかな」

 少し落ち着いてきた真一も頼む。

 原田は言う通りにするしか自分の役目はなさそうだと悟った。前から思っていたが、本当にこの2人、何者なのだ……。



 誰かの机に寄り掛かかってやっと立ち上がり、力の入らない手足で歩き出す原田だったが……

「ひゃあ!」

「どうした?」

「血が! 血が垂れてる!」

 今頃気が付いたのか……それも口止めしなければ。

「そのことも絶対言うなよ!」

「わかった! わかったよ!」

 もう恐怖しかなかった。訳の分からないことが今ここで起きていた。誰が怪我をしたのか。吉田志保なのか。それとも真一の血なのか。もうどうでもいい! とにかく言う通りにしないと命の危険が、今度は自分に降りかかるんじゃないか、そんな不安が嫌でも湧いてくる。

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