第27話 6月10日(1) 初めてのお絵かき
朝からしとしと雨が降っていた。中学生組は昨日の疲れもあり、遅くまで寝ているようだ。直哉と真一はいつも通り起きてしまったが、他の中学生は9時ごろにもそもそとやってきた。小学生組がブーブーずるいずるいと文句を言う。いつもなら日曜だろうが祝日だろうがたたき起こされるのに。
朝食を終え自分たちの部屋を掃除したり、洗濯を手伝ったりして午前中は終わってしまう。昼過ぎに孝太郎は勉強すると図書館へ行き、美穂は友達の所へ行ってしまった。
みどりは福島と一緒に車で隣の市のホームセンターへ買い出し、真一は真子がコインランドリーに行くというので荷物持ちについて行き、優二もうるさい小学生が遊びに行った隙に昼寝すると部屋へいってしまった。
直哉は昨日の一件で、とにかく安静にしていなさいと周りに言われお留守番だ。
柔らかい雨の音以外なにもない、静まった食堂の一番角で1人、千帆が絵を描いている。
直哉は何を書いているのか気になり、ちょっとだけ近くに寄ってみる。短くなったクレヨンを指先で握りしめ、何か塗りつぶしている。
こちらの視線に気付くと、彼女はびくっとして目を伏せ絵を隠すような動作をした。怖がられているのかと少々悲しくなったが、一体何を書いているのか、そもそも直哉には絵を描くという行動自体が珍しくてもっと見たくなった。
小さくなったクレヨンが、コトリと音を立ててテーブルの下へ落ちた。直哉はそれを拾い、千穂の目の前にあるクレヨンの箱に入れながら「何を描いてるの?」と聞いてみたが
「……」
ますます下を向き絵を隠す。見られたくないようだし、外見がやはり怖いのか、一瞬怯えたような目で見上げ首を縮ませてしまった。
「見てていい?」
小さく首を横に振られた気がした。ますますショックだ。だが隠されると見たくなるもの。直哉は暫く考えた。
「俺にも何か描かせて」
千帆は少しだけ首を起こし、上目づかいでこちらを見る。直哉は頬杖をついてじっと見つめている。すると渋々、と言った感じで自分の描いている次のページの白紙を破って渡してくれた。
「借りていい?」
クレヨンを指さし尋ねると、縦にうなずいたように見えた。いまいち反応が見えない子だ。しかし直哉がクレヨンに実際取ってもただ見ているので許可してくれたのだろう。
クレヨンはなんだか油っぽい臭いがした。描く前にすんすんと鼻の近くにもっていき嗅いでみた。千帆は怪訝な顔でその行動を見ていた。クレヨンの匂いを嗅ぐ人間が珍しいのだろう。
直哉は割と長く残っている水色のクレヨンを借り、紙に一本線をひいた。鉛筆とは違うぬるっとした柔らかい感触で「うぉほ」と声をあげてしまった。ますます目が点になっている彼女を尻目に、面白くなってそのまま手をまわして塗ってみた。
「おおおこれすごいな、どんどんかける、すごいすごい……」
特に目的もなくグルグル手を動かしていると、画面には水色の太い輪ができた。
「他の色もいい?」
困惑しながらも今度ははっきり頷いた。次に手にしたのは黄色。これもぐるぐると回す。
「あ、すごい! 色変わった……」
ひたすら書いた線の水色と黄色が混ざった部分がうすら黄緑になっている。
「うわ、これ面白い」
千帆の絵はどうでもよくなり、ひたすらぐるぐると描き続ける。
最終的にはピンクやら赤やら灰色やら紫やら、数色がただ画面上に混ざった抽象絵画が出来上がった。1人興奮する直哉。しかしふと見ると、千帆の描く画面がとても暗いのに気付いた。それにクレヨンの箱の中で、やたらと暗い色ばかり減っている。
子供が好むのは、世羅の服装を見ていると特にそう感じるが、目立つ明るい色と思っていた。しかし彼女は逆だった。
紙の中には人……だろうか、黄色のクレヨンで丸が描いてあり、目と口がある。目は黒く塗りつぶされたただの黒。口は半円形の黒の輪郭に中が赤く塗られている。顔らしき所から体と思われる灰色の長い楕円が伸びていて、そこから4本の棒が伸びて手足を現している。手先は黒い丸で、何か握っている。何かわからないが棒のようなもの。その先はオレンジで、灰色の線がグニャグニャとそのオレンジから発せられている。
その隣には黒の線で、それこそ先ほど直哉がぐるぐる円を書き続けたような、一体何を書いたのかわからない塊がある。小さいものがいくつか集まっていて、そこにはまばらに赤い点が描き足されていた。
「何かいたの?」
返答はなかった。こちらから再度聞く。
「これは人?」すると頷いた。
「へえー、上手だな。ちゃんと人だってわかるもん。どうやって描くのか教えて」
すると怪訝な顔はますます険しくなった。直哉が「真似するから、描いてみて」としつこく聞くので、しかたなくまた新しい紙を渡す。千帆先生のお絵かきレッスンが始まった。
まず丸を描く。その中に目を入れる。口をいれる。半円だと笑っているようにみえる。鼻はないが顔とわかるからいいのだろう。次に髪の毛を書く。千帆先生の描く人物は黒くて長い髪。
「そうか、俺赤いから、赤にしよう」
直哉は赤のクレヨンで頭を見よう見まねでぐりぐりと塗った。
次は体。長いU字型を描き、その脇から脚2本、腕2本を生えさせ、手と足は丸で表現している。
「うわーーできた! すげえ! 人だー」
人というより体が長く手足の短い、赤いヘルメットをかぶった尻尾のない人面トカゲが描き上がった。しばらく見とれた後、千帆の方に向けた。
「どう? どう? 人に見える?」
千帆はそのあまりの滑稽な人間にくすっと始めて笑った。直哉も笑った。絵を教わって初めて描いたこともそうだったが、表情を見せない彼女が笑った顔を見せてくれたのが素直に嬉しかったからだ。
そうこうしていると真一と真子が帰ってきた。始めて見る直哉と千帆のツーショット、しかも楽しそうに笑う2人を目にして、真子は驚いた。
「何やってんの? ずいぶん楽しそうじゃない。あ、絵を描いたの?」
近づくと直哉が笑顔で答えた。
「初めて描いたんです」
「えっ」
2人は直哉の画力に唖然とし、その後笑いをこらえるのに必死だった。
「……う、ふふ……うまくかけ……っねえ……」
「……うう……ひふっ……うん……みえるみえるっ……ふっ……」
素直に受け取った直哉は改めて自分の絵を見つめた。真子はこらえきれず、お茶入れてくるねっと場を離れた。真一も手伝いますと離れた。2人の肩が笑いで震えていたのに、直哉は気付いていない。
その後福島とみどりが帰ってきたが、2人は目にするなりお構いなしに爆笑しだした。ただ救いだったのは、直哉がどんなに「なんだそりゃ」と笑われても、がっかりすることなく満足そうだったことだ。
千帆と打ち解けたのは園内でも事件だった。一体どうやって? という声が上がるたび、直哉が絵を教えてもらったと力作を見せると誰もが首をかしげながらも笑った。
拓だけが超下手、うぜえとバカにした態度をとっていたが、自分でもまだまだだというのは感じていたし、彼はそういう態度をとる子なのだろうと気にしなかった。
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