第26話 6月9日 体育祭(3)

 体育祭終了後。原田の母親がまたすごい剣幕で教員に迫る。その隣に直子と木村の母がいた。他にも沢山大人がいた。


「自分の息子が怪我したとか、そういう身内レベルで言ってるんじゃありません!」

「それはよく理解しております……私たちも周囲で監視はしておりまして……」

「でもあの生徒が飛び出してきて審判に言うまで先生方動きませんでしたよねぇ! 何を見ていたんです?」

 周りの保護者もそうだそうだと同調している。危険行為するだろうとわかっている生徒を何故出させるのか。いがみ合ってるのなら予測は簡単だったはずでは? そんな攻めの言葉が保護者から飛んだ。

「何かあったら医者代請求させてもらいますよ! もし目をやられてたかと思うともう……」

 木村の母も胸の前で手を組み蒼い顔をして抗議する。

 

 原田もさすがに止めに入る気にはなれなかった。全く同感だ。あいつらをなぜ出させるのか。

 直哉は周りに説明を受け、ゆっくり、ゆっくり思い出していた。全てが繋がった時、とてつもなく大きな罪悪感と恐怖が襲ってきた。

 自分だけならまだしも、なぜ彼らを巻き込むのか。自分の周りの者はいつも眉をひそめ、だれひとり幸せそうな顔をしていない。

 ――自分が周りを不幸にしている――ふと、幼いころに父親に言われた一言を思い出した。お前が生まれたせいで何もかもめちゃくちゃだ……

 そして役人につきだそうと首を絞めつけてきた父を……刺したんだった……


 直哉はすっと立ち上がった。手が震える。自分のせいでめちゃくちゃだ。やっぱりここにいたらいけない。少しの時間でもみんなと打ち解けた、楽しい時間を過ごしてよいのかも、と期待した罰が当たったのだ。


「直哉!じっとしてなきゃだめだよ!」

 美穂が手を引く。直哉の手に触れて驚いた。なんて冷たい手……。見上げる後ろからの横顔は、何の表情も持っていない。

「ねえ、ちょっと?」

 呼びかけに応じない。美穂はますます不安になった。その時。


「直哉ーーー!」

 真一の声だ。それが救いの声に美穂には思えた。遅れて孝太郎も来た。優二も陸上部も来て、4人を気遣いそれぞれに声をかけていた。あとから桑原や高野も駆けつけた。

「直哉大丈夫?」

「真一……俺……やっぱり」

「分かってるから何も言わないで。落ち着いて座って」

 直哉の言葉を遮って真一が言葉を重ねてきた。端から聞いたら不思議な会話だった。しかし言うことを素直にきき、力なく座ったのをみて美穂は、ひとまず脱走の心配はないと安心した。

 後ろでは田中がふざけんなあいつらと怒りの声をあげている。

「ごめん……俺のせいだ……ほんと……」

 聞き取れるかとれないかくらいの音量で、ふるえ声で何度も繰り返す。

「お前のせいじゃない! 何で藤沢が謝んだよ、明らかに悪いのあっちだろ!」

 桑原が肩に手を置いて声をかけてくれた。



 体育教師が車を用意し、養護教員と原田と医者に行くことになった。直子も受診に必要な一式やお金を持ってくる、と一旦園へ帰った。


 車が来るまで玄関で待っている間、直哉がぽつりと原田に語り掛けた。

「ごめんな、ほんと、俺といるとロクなことないだろ」

「うん、まあ……否定はできないな。けどそれはお前のせいじゃない。どう見てもあいつらが悪い」

 無理やり明るく務め、最後はきっぱり断言した。そんな返答に力なく返す。

「もう、俺と一緒に居ない方がいいよ」

 原田がパッと横を向く。

「何言ってんだお前! そりゃ違う、関係ないだろ」

「俺と一緒にいるとまた怪我する。もうやだ。人が苦しむの」

「……何かあったの、今までも」

 それきり直哉は黙ってしまった。触れてはいけないような気がしてそれ以上聞けなかった。この前の大鎌の件もそう。この子、本当に人間なのだろうか?



 原田の診断は右手首ねんざ。直哉は脳に異常なしと診断され、記憶の混乱も一時的なものだった。少しこぶができているので、湿布を当てた側頭部にネットをかぶり帰宅した。

 福島が迎えにきた車で直子と帰った。原田は病院でもなお母親が先生に抗議しているので、またな、と小さく左手を挙げて直哉の背中を見送った。

「真一が制服とか一式持って帰ってるから安心しな。あ、あと眼鏡もね」

「はい」

 福島と直子には、彼が登校拒否になるのではないかと映った。魂の抜けたような顔で一言も発しない、ため息すらつかない。何よりあんな酷い仕打ちをうけるために学校に通っているのではない。自宅学習も考えた方がいいだろうか……。



 家に帰っても、中学生組が「直哉は安静にしてなきゃだめなんだぞ」と釘を刺したおかげで、いつものやかましい集団は寄って来なかった。先にシャワーだけ浴びさせてもらい、横になるように言われた。

 真一が置いてくれたのか、机の上に眼鏡、脇にカバン、制服はハンガーに掛けられていた。

 布団の中で木村と田中は大丈夫だろうかと心配になった。




「直哉。ご飯持ってきたよ」

 夜。真一がコロッケとご飯、味噌汁、サラダ、煮物の入った小鉢をお盆に乗せ持ってきてくれた。

「うん……」

 体を起こす。左側頭部が少しズキズキと痛い。騎馬戦の最中に襲われた事は思いだしはしたものの、自分がどう蹴られてどう倒れたのか、その瞬間だけは全く思い出せない。

「大丈夫?」

「異常はなかった」

「そう、よかった」


 直哉は食事を机に置いてくれた真一にありがとうと一言いうと、頭に響かないようそろりと椅子に座りゆっくりと食事を始めた。

 真一がベッドの上にぽむ、と座る。


 テントの下で直哉が何を言おうとしたのか、真一には予想がついていた。自分はここに居るべきではない、そんな事を言いかけたに違いない。


「直哉、学校行きたくないって思ってる?」

 突然の問いに手が止まる。しばらく考えて首を振る。

「学校、楽しいよね。友達もいるし、字も書けるようになるし」

 その問いには無言で、軽く頷いた。

「あいつらなんかに遠慮することないよ。それに、直哉が悪いなんて誰も思ってないよ。だから自分からみんなを遠ざけないでよ。原田君たちが本当に怪我が多くて嫌だ、って思ってたら、言わなくても離れてくよ。もしそうなっちゃったら……さびしいけど、それは原田君たちの身を守る判断だから仕方ない。でもさあ、桑原先輩や高野君も守ろうとしてくれたんだから、振り払ったらもったいないよ」

 手が小刻みに震える。ボロッと涙の粒がご飯の上に落ちた。

「俺なんか……そんなことしてもらう価値ない……守ってもらうなんて…………」

 真一は傍に寄り、机の脇に膝立ちになった。

「何言ってんの、この前守ってくれたじゃない。正体ばれそうになってまでさ」

 とうとう、首を横に振りながら声を抑えて泣きだした。真一は続ける。

「価値があるとかないとか、そういうの違う気がするんだけどなあ。直哉のいう価値って基準は何なの?」


 自分の価値の基準……考えたこともなかった。しいて言えば父の言葉だろうか。今でもはっきり覚えている。


 お前が生まれてきたから人生をめちゃくちゃにされた……お前は生まれるべきではなかった。


 誰に否定されるより、実際血の繋がりはなかったが「父親」という存在から投げられた否定の言葉。石碑に刻まれたように動かすことも消すこともできず、自身の礎となって在り続けてしまった。


 真一はそれを見透かしたかのように言葉をつづける。

「僕の勝手な判断は、直哉は生きなきゃいけなくて、悪い奴らをやっつける、『カシパンマン』みたいな存在でなきゃいけないんです」

 いたずらっぽく笑顔で言う真一に、申し訳なさとありがたさ、自分に対する情けなさと、小さい子供に大人気のアニメヒーローに自分を例えたおかしさが入り交り、変な声をだして笑い泣きした。


 その後落ち着き、食事は冷めてしまったがゆっくり全部平らげた。

「お盆下げてこようか?」

「いいよ、自分で持ってく」

 真一はにっこり笑い「わかった」と入口のドアだけ開けてくれた。背中を見送っていると悲しくなってきた。


 彼が幼少に受けた扱いは、心を硬く縛り付け傷を負わせた。他人の命を奪ったことはあっても守ったことがない。その想いが必要以上に自分を責め立てている原因だ。

 そこまで自分を追い込まなければならないのか。できればこれ以上、自分に自分で罰を与えることはしないで欲しい……。

 それが真一の想いだった。

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