第23話 5月25日 期待の新星


 学生泣かせの中間試験も終わり、日常が戻ると本格的に陸上部の活動を始めることになった。

 100メートルタイムを計ってみようぜと言いだした本郷の言葉に、ついでに直哉も最後に走らせてみようということになった。

「まあ、先輩の見てりゃわかるけど、伊藤がいる所まで走り抜けるんだ」

 伊藤というのはストップウォッチを持った女子生徒の名前だろう。ゴールに立っていて時間を計り、手持ちのボードに書きいれている。

 クラウチングスタートはしたことがないというので、まあ最初だし、と普通に足を一歩引いて構えさせる。「よーい」顧問が笛をくわえたままかけ声をかける。ちょっと前傾になり体の動きを停止させる。ただそれだけのことなのに、その場にいた誰もがものすごい緊張感を感じた。視線も鋭く、動き出すためのエネルギーを溜めに溜めこんでいるような、矢を思い切り引絞っているような、そんな空気に変わった。

 

 ピッと鋭い笛の音がした瞬間、直哉の体がばねにはじかれたように飛び出す。学年関係なく、全員が身を乗り出しその背中を追う。思わず「早ぇぇ……」と誰ともなく漏らした。


 伊藤の前を走り抜けると「うわーー」と声が上がった。そして大声でゆっくりと

「じゅうにびょうに~~!」

と叫んだ。

 顧問も含めてどよどよどよっと驚きの声が上がる。

「はえええーーー! 一発目でこれは速すぎっしょ! ちょっと前まで松葉杖だったのに! 11秒夢じゃないだろ」

「ちょ、まじかよー、押すタイミングもあるかもだけど、病み上がりで12台って! 今から大会ださせようぜ!」

「全日本だって夢じゃないかも! スタートもうちょい練習すれば10秒台だっていけんじゃね?!」

 一斉にゴール地点へ駆け寄る部員。突然皆がワアワアと声を上げながら走ってくるのが異様な光景に見え、何か悪いことをしたのかと直哉は後ずさった。

 しかし取り囲むなり口々に「おまえすごいすごいよ大会に出ろ」と一気に畳みかけられ、立ち尽くすしかない。

 原田と真一は笑いながら輪の外で、困った顔であー、うーしか言えない直哉を見ていた。


 真一も、徐々に体が慣れてきて基礎ランニングの周回タイムが少し上がってきた。校庭のトラックを5周するのだが、最初は3周でへたばっていたのに、休みなしでも4周なら一定の速さで走りきることができるようになった。

「杉村君は長距離選手向きなのかもね、細いけど持久力ありそうだ。まだ初めたばっかなのにもう走るコツわかってきたんじゃない?」

 伊藤がタイムを書きいれながら真一に言った。筋力にも2種類あり、持久力のある筋肉が多い人、瞬発力のある筋肉が多い人、真一と直哉そのまんまだと笑った。

「伊藤さんは何をしているの?」

「私? 私は走り高跳び」

 不思議そうな顔をしている真一を見て、ああ知らなかったのかと説明してくれた。

「助走つけて、1メートル50センチぐらいの棒を飛び越えるの。私まだぜんぜんそこまでいけないけど」

「へえ~、いろんなのがあるんだね」

「まずは地区大会から慣れたら出てみなよ」

 真一は目標ができて少し嬉しくなった。


 直哉の噂はあっという間に広がった。サッカー部からちょっと貸してくれよとか、野球部から代走で出ないかとか、誘いがかかるたび原田がまるでマネージャーのごとく間に入ってお断りを入れる。

「それよりお前」

 原田が改まって直哉に言う。

「体育祭の種目は100メートルで決定な」

「たいくさい? 何それ」

 学校全体でやる体育の授業の延長みたいなもんだと木村が説明してくれた。1~3学年縦割りクラス別で対抗し、最終的に点を多く取ったクラスが優勝。優勝すると教師がジュースをおごってくれるという。

「陸上部の力の見せ所だ。女子にもモテるぞ」

 にやにやと田中が付け加える。「えろいなこいつ」と原田が体を引いた。やり取りがおもしろく、意味はわからなくとも直哉は自然に笑った。

「体育祭6月9日にやるんだよ。それまで特訓な。スタートの練習すればぶっちぎり1位!」

 その日から直哉だけの特訓が始まった。

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